北國銀行の話に戻そう。北國銀行は隣県の富山第一銀行、福井銀行との地銀連携(業務提携)はあるものの、創業の地・金沢で積極的なM&Aを進めることなく地盤を固め、さらに昨今の地銀再編の難局に立ち向かおうとしている。
新たなM&Aは見えてこないので、ここで、北國銀行の創業前後の金融界もあわせて振り返っておきたい。北國銀行が創業した1943年前後は第二次大戦の戦時下にあって、さまざまなM&Aが繰り広げられていた...
阿波銀行は1896年6月、阿波商業銀行として創業し、1964年10月に阿波銀行に行名変更した。大きなM&Aはない。では阿波商業銀行がどのような経緯で誕生したのか。この源流を探ると、徳島における傑出した豪商の圧倒的な強さが浮かび上がってくる。
広島県には2つの国立銀行があった。尾道市に創立した第六十六国立銀行と広島市に創立した第百四十六国立銀行。両行は1920年に統合し、芸備銀行となった。芸備銀行は1945年5月、周辺他行と大合同を果たす。その3か月後、広島に原爆が投下された。
福岡県内には現在、福岡、筑邦、西日本シティ、北九州と4つの地方銀行があり、また、ふくおかフィナンシャルグループ(FG)、九州FG、西日本FGと金融統合を重ねてきた。そのなかで、無尽出身の西日本シティ銀行の歴史を振り返ってみる。
熊本県の地銀・肥後銀行は預金は4兆7000億円、貸出金は3兆5000億円(2018年3月期)。県内企業のメーンバンク採用率は過半数を超える、熊本金融界のガリバー的存在である。士族の強い土地柄の国立銀行として誕生した。