コーポレートガバナンスを考える 株主提案から考える企業価値の創造(中)

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資本コスト開示の提案と投資家との対話

2014年に公表された伊藤邦雄一橋大学教授(当時)を座長とした経済産業省の「『持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~』プロジェクト」の最終報告書である「伊藤レポート」は、「資本コストの概念は企業価値創造に決定的に重要な役割を演ずるもの」と指摘しているが、2018年に改訂されたコーポレートガバナンス・コードが「自社の資本コストを的確に把握した上で」「収益力・資本効率等に関する目標を提示」することを求めたため(原則5-2)、代表的な資本コストであるWACC(Weighted Average Cost of Capital)とそれに対応する収益力・資本効率等に関する指標であるROICは、日本の上場会社にも浸透してきている。

一般社団法人生命保険協会のアンケート(2021年度版、回答数458社)によると、資本コストを把握しているとの回答は93%を占めている。しかし、詳細な資本コストを算出していないとの回答は30.2%を占めている。また、みずほ証券の菊地正俊氏の2019年分析によると、「コーポレートガバナンス報告書」に資本コストを言及していた会社は、2104社中、923社であり、WACCへの言及は1%しかなかった。それゆえ、今年の総会では、株主資本コストの水準を問う質問も目立った。中には、株主資本コストの算定根拠を開示することを定款に規定すべきとの提案もあった。

もっとも、欧米でも、資本コスト自体の開示は求められてない。それにもかかわらず、このような質問や提案が目立たないのは、経営に資本コストの概念がビルトインされており、WACCに対するROICのトレンドを開示するケースも多いため、投資家との対話が噛み合うからといわれている。価値創造の原則のとおり、WACCを上回るROICを生む投資を行うことによって成長し、フリーキャッシュフローを生み出さなければ、価値を創造できないため(「コーポレートガバナンスを考える 株主提案から考える企業価値の創造(上)」参照)、資本コストは経営の「アラート」であり、会社が最低限超えなければならない「ハードルレート」であるが、対話のための「共通言語」ともいえる。

資本コストの水準についは、「伊藤レポート」の指摘のように、会社と投資家、あるいは投資家間でも意見が異なり、「競争力」はもちろんのこと、「経営陣の価値創造への姿勢やコミットメント」「環境変化への対応力」「課題解決力」等の非財務情報が投影されるため、投資家と対話し、理解を促すことが重要といえる。そして、2021年に改訂された金融庁の「投資家と企業の対話ガイドライン」は、「資本コストを意識した資本の構成や手元資金の活用を含めた財務管理」を求めている(2-2)。経営者と投資家との対立が続いている東芝問題も、2006年に公表した原子力事業のM&Aにおける資本コストの対話不足に端を発しているとの指摘がある。数値ではなく、判断基準や妥当と考える水準は何か、バランスシートの見直しはできているか、今一度考えてみてもよいかもしれない。

なお、経営者から質問が多いのは、資本コストはハードルレートとなるため、市場のデータから推定するWACCでいいのかというものである。

この点、ノースウェスタン大学のJagannathan教授らの共同研究によると、米国のCFOは、WACCのような金融資本のコスト(cost of financial capital)よりも高めの割引率(self-reported discount rate)をハードルレートとして使用しており、両者の乖離は平均値で2.37倍、中央値でも2.11倍となっている。これは様々な理由が考えられるが、理由の一つは、投資案件はばらつきがあり、毎案件NPVが正の投資をすることができわけではないためと説明されている。例えば、資本コスト経営で著名なエーザイもWACCは5.759%であるが、ハードルレートは8%を設定している。

ESG対応の提案と非財務情報開示の志向

米国では、1980年以降、上場会社の約30%が当期純損失を計上し、米国以外の国でも営業赤字の会社が増加している。米国では、債務超過の会社も多い。しかし、PBRが2倍以上の会社の割合が最も多い(「コーポレートガバナンスを考える 株主提案から考える企業価値の創造(上)」参照)。これは、具体的な「財務情報」の積み上げを定量化して導き出される部分よりも、「非財務情報」等から可能性を読み取り、相対評価も含め反映される部分、すなわち、「市場期待値(Market implied)」の割合が圧倒的に大きいことを意味する。PBRが20倍を超えるテスラの時価総額の大部分が市場期待値であることは周知の事実である。

出所:経済産業省「グローバル競争で勝ちきる企業群の創出について」(2022年3月31日)16頁

そのような経緯もあり、2021年に改訂されたコーポレートガバナンス・コードは、「財務情報」のほか「非財務情報」についても、任意開示を推奨した(原則3)。「非財務情報」は、「サステナビリティについての取組み」や「人的資本や知的財産への投資等」をいう。また、プライム市場の上場会社は、「気候変動に係るリスク及び収益機会が自社の事業活動や収益に与える影響」も含まれる(補足原則3-1③)。

具体的には、世界の策定機関(例えば、GRI、CDSB、CDP、VRF〔SASB、IIRC〕、IFRS財団・ISSB、TCFD、経済産業省)のフレームワークに沿って開示されているが、企業価値レポーティング・ラボの調査「日本の持続的成長を支える統合報告の動向2021」によると、2021年に国内で「財務情報」と「非財務情報」を統合した報告書(Integrated Report)を発行した企業数は、2020年から100社以上増加し、700社を超える水準となり、2019年から2020年にかけてその増加数はやや鈍ったものの、2021年は再び加速度的に増加している。

今年の総会ではこれらの影響が大きく、ESG(環境・社会・ガバナンス)に関する質問や提案が急増した。株価への反応はペイアウトの提案に比べ限定的だが、米国で同様の提案が2021年に過去最高となっていることに鑑みると、来年以降も増加する可能性が高い。

もっとも、気になるのが、開示の品質である。ハーバードビジネススクールのEccles教授らの共同研究によると、ブラジル、フランス、ドイツ、イタリア、日本、オランダ、南アフリカ、韓国、英国、米国の各国から5社を選択し、開示の5つの領域(重要性、リスクと機会、戦略とリソースの割り当て、パフォーマンス、および見通し)を評価した結果、日本は長期にわたる価値創造の説明の質に関する評価項目のスコアが低いため、下位に位置付けられている(10か国中8位)。

非財務情報が企業価値や株価に与える影響については、アカデミックの世界でも見解が分かれており、非財務情報の要素をどのように企業価値評価(バリュエーション)モデルにビルトインするかについても、コンセンサスの取れたメソッドが確立していない。しかし、非財務情報も将来的には価値を創造しなければ意味がない。非財務情報のバリュードライバーは何か、誰のどのような価値を創造するのか、その開示はフォワードルッキング(forward looking)な志向になっているか、今一度考えてみてもよいかもしれない。

なお、リスクアバース(risk aversion)の傾向が強いといわれる日本の経営者にフォワードルッキングな開示を求めるためには、「たとえ現在の開示が将来の結果と異なっていたとしても虚偽記載にならない」というルールの策定が必要不可欠であり、当局の対応が俟たれるところである。

<参考文献>

佐藤明(2021)「資本コスト経営のためのマルチステークホルダーとの対話」企業会計73巻7号50-57頁

Eccles, R. G.,Krzus, M. P., Solano, C. (2019) A Comparative Analysis of Integrated Reporting in Ten Countries. Available at SSRN: https://ssrn.com/abstract=3345...

Gillana, S. L., Koch,A., Starks, L. T. (2021) Firms and social responsibility: A review of ESG and CSR research in corporate finance. Journal of Corporate Finance, 66.

Jagannathan, R., Matsa, D., Meier, I., Tarhan, V.(2016)Why Do Firms Use High Discount Rates?. Journal of Financial Economics, 120(3),445-463.

Larcker, D. F., Sheehan, B., Tayan, B. (2016) The 'Buy Side' View on CEO Pay. Rock Center for Corporate Governance at Stanford University Closer Look Series: Topics, Issues and Controversies in Corporate Governance No. CGRP-60.

文:吉村一男