米ペイパルのペイディ買収「3,000億円」は、高いのか安いのか(上)

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Pavlo Gonchar / SOPA Images/Sipa via Reuters Connect

フィンテックの巨人ペイパルが、日本のBNPLスタートアップ「ペイディ」を3,000億円で買収

    2021年9月7日、米国決済サービス大手のペイパル(Paypal)が日本で後払い決済サービス(BNPL;Buy Now Pay later)のスタートアップ企業であるペイディ(Paidy、港区)を買収しました。その買収額は、約3,000億円(270億米ドル)と報じられています。

    BMPLは今世界的に非常にホットなスタートアップ領域で、連日大型の資金調達やM&Aのニュースが世界を駆け巡っています。

    中でもこのペイパルによるペイディ買収は、国内スタートアップのM&Aとしてもおそらく過去最大級の規模になると思われます。

    このコラムでは、この買収額3,000億円が「高いか安いか」について分析します。

    非公開企業のM&A案件ですから、開示されている情報は極めて限定的です。従って、いくつかの仮定や条件を置いた上での推定分析であることをあらかじめお断りしておきます。(しかし、筆者はこの案件に関し、日本のスタートアップマーケットにこれまでなかったいくつもの「新しい側面」を示しており、仮にこの検証が不完全であったとしても、多面的な分析がなされることに大きな意義があると考えています。)

    筆者の結論「3,000億円は高くない!」

    最初に結論を書きます。筆者はこの買収額3,000億円は「説明がつく」と考えています。

    財務内容は開示されていませんが、決算公告からも赤字(それもかなり巨額の赤字)であることは確実な会社が、なぜ3,000億円もの巨額で買収されるのか。そしてそれがなぜ「高くない」といえるのか。この問題を深堀するために、まずは評価の手順を明確にしましょう。

    買収額」を定義する

    M&A、すなわちコーポレートファイナンスの世界では、買収額が「どのように決まるのか」が非常に重要です。そこでまず、本稿における買収額が「なにを指しているか」を定義します。

    余談ですが、「買収額」という言葉が経済紙で報じられる場合、それが何を意味するのか、よく分からないケースが非常に多いことにいつも困惑します。

    このコラムでは、買収額「3,000億円」を「100%の株式譲渡価額」として捉えます。というのも今回は「現金による100%買収」という極めてシンプルなM&A取引であるため、買収額3,000億円が、純負債を含む「企業価値ベース」である可能性は低いと考えられるためです。

    では次に、評価の手順を明確にするため、今回の評価指標のPSRについて解説します。

    株価売上高倍率(PSR)を用いて評価する理由

    PSRとは

    株価水準の高低を判断する指標として、通常は各種倍率指標(マルチプル法)が用いられますが、今回の評価では、PSR(株価売上高倍率、Price to Sales Ratio)を用います。

    PSRは売上高に対して株価が高いか安いかを判断する指標です。計算式は、
    「PSR=時価総額(株価 × 発行済株式数)/ 年間売上高」です。

    PSRは伝統的な企業価値評価の手法では用いられることのない、いわば「亜流」の指標です。なぜなら、教科書的なコーポレートファイナンスの理論では、「いくら売上があっても、利益のない会社の価値は”ゼロ”である」と考えるためです。

    「会社は株主のもの」というのが会社法の定めであり、「利益は株主の持ち分」であるから、利益がゼロなら「株主価値」はゼロ、というのは至極当然の帰結です。

    しかし、このような考え方では、巨額の赤字を出しながら成長を続けるスタートアップ企業の時価総額が数兆円にもなる現実を、説明できないことになります。

    実際に過去には、多くの空売りファンドが、巨額赤字のスタートアップやベンチャー企業を「根拠のないバブル」と判断して、ショート(空売り)を仕掛けてきました。しかし、少なくないケースで空売りファンド側が一敗地にまみれています。

    ”利益”倍率が正しいのか、”売上”倍率が正しいのか。

      このような中で、海外では急成長するスタートアップやベンチャー企業を評価する新たな指標としてPSRが用いられるようになってきています。

      「利益より売上を重視する」という考え方を筆者なりに解釈するなら、「株主より顧客を優先する」ということです。つまり、「顧客に圧倒的に評価され続けるならば、いつかその果実は株主にも還元されるはず」という考え方です。

      しかし、この考え方が正当化される前提としては、重要な前提条件があります。それは「成長のスピード」と「売上の質」です。

      PSRで評価することが正当化されるようなスタートアップ企業は、売上高の成長スピードが「非常に速い」ことが必須条件です。そしてもう1つの条件は、その売上高の「質(内容)が高い」ことです。

      PSRが正当化される条件①高い成長率

        では、成長スピードの速さはどのくらいを指すのでしょうか。目安としては、上場企業では年率130%以上の成長、未上場企業ではさらに「2T3D」(2Triple、3Double=売上が伸び始めた最初の2年間は年々3倍成長、その後3年で年々2倍成長)といった成長スピードが理想として語られます。

        PSRが正当化される条件②売上の質

          次に、売上の中身(質)です。分かり易く言えば、同じIT業界のビジネスでも、月額固定収入(ID課金など)が売上収益の5割以上を占めているSaaS企業と、労働集約型の受託開発/下請けをしている企業では、売り上げの「質(安定性)」が全く異なります。

          PSR評価が正当化されるのは、サブスクリプション型の課金体系や、プラットフォームの規模(例えばメルカリなら流通総額)に応じて安定的な収益が発生するビジネスモデルとなります。

          ペイディの売上収益は「成長性」「安定性」両方の要件を満たす

          ペイディの売上収益は、「決済回数」に応じて手数料が得られる「プラットフォーム型」ビジネスです。過去の継続的な資金調達状況、今回のペイパルによる買収の実現を鑑みても、ペイディの売上高の成長力と質は高く、株式価値評価にPSRを用いることに一定の合理性はあるでしょう。

          なお、本来売上高と比較するべき指標は、「企業価値(Enterprise Value)」であるため、厳密にはEV/Revenue倍率「企業価値(時価総額+純負債)/ 売上高」を用いるのが正しいと考えられます。

          なぜなら、企業の売上高は「負債と資本」の両方を投じて獲得されるものであり、当然利払い前の指標であるためです。

          しかし、PSRは簡便的な評価指標として一般的であり、かつペイディの純負債(有利子負債-現預金)は非開示で、合理的推計も不可能であるため、今回はPSRを採用しました。

          長くなりましたので、前提条件の解説はこのくらいにして、明日は本題であるペイディの買収額(100%株式価値ベースで3,000億円)が、PSRで見た場合どの程度の水準だったのか検証してみたいと思います。

          文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)

          次稿に続く