医業承継対策として、医療機関、とりわけ医療法人を第三者へ譲渡する「医療法人のM&A」が増えています。しかし医療法人のM&Aは手続きが複雑なため、需要に対応できる仲介会社やアドバイザーが少ないのが現状です。
本稿では、病院や診療所(クリニック)などの医業承継を目的としたM&Aで知っておくべき・気を付けるべき情報や業界知識ー例えば、需給動向や法制度、スキームや最新事例、承継時の評価手法などについてわかりやすく解説します。
これまで、へき地診療や感染症対応など公益性の高い医療サービスは、主に自治体の病院が担い手となり支えてきました。しかし今、その医療体制が揺らいでいます。
背景にあるのが、「医師・看護師の不足」や「医師の高齢化と後継者問題」という人の問題、そして「地域医療の継続」と「赤字経営からの脱却(生産性の向上)」という業界構造と経営面での問題です。これらを解消するために第三者への医業承継、医療法人や病院のM&Aが水面下で行われているのです。
まずは医療法人が抱える問題からみていきましょう。
一般社団法人日本病院会、公益社団法人全日本病院協会、一般社団法人日本医療法人協会が発表した「新型コロナウイルス感染拡大による病院経営状況調査(2021.6.3)」によると、2020年第4半期における医療利益は前年比で4.3ポイント悪化しました。
また福祉医療機構の統計によれば、2019年度と2020年度を比較すると、医療法人全体で経常利益率は上昇したものの、赤字法人割合は 3.5ポイント拡大の 25.9%となり、経営状況の厳しい法人が増加しています。特に「病院主体」の法人は、従事者1人当たり人件費が高い背景もあり、事業利益率および経常利益率ともに低く、事業利益率は△0.4%とマイナスになりました。
また、売上高に相当する事業収益規模別に見ると、収益規模10億円以下の医療法人の経常赤字割合が36.2%と最も大きく、60億円以上70億円未満の医療法人が最も事業利益が高かったことから、医療法人の経営には規模の拡大が求められることがわかります。
日銀によれば、病床利用率が一般的に9割を下回ると、医療機関の赤字要因になると試算しています。
病床利用率は地域差が大きく、2021年9月の月末病床利用率(一般病床)をみると、全国平均は68.2%で、最も高い鳥取県と最低の福島県では13%の差がありました。また都道府県が算出している地域ごとの医療機関の適正病床数(基準病床数)と比較すると、西日本を中心に多くの県で、医療機関の病床数が過剰となっています。
後継者不在を理由に病院や診療所(クリニック)を廃業してしまうと、患者が行き場を失い、医療のライフラインに綻びが生じるおそれがあります。
日本医師会総合政策研究機構(JMARI)によると、2010年から2020年にかけて医師数は 44万人増加しましたが、8割は病院に流れています。診療所医師の増加は若干にとどまり、2010年からの10年間で、ほぼそのまま年齢が上がっています。
このことから若手医師の診療所開業は、病院医師数に比べると少なく、診療所医師の高齢化が進んでいることがわかります。
厚生労働省によると2020年時点で、医師の平均年齢は、「病院」で45.1歳、「診療所」で60.2歳となっており、同機構によれば、病院の大半を占める勤務医師は、約2~3割が定年で退職しているとのことです。
帝国データバンク調べによると、2021年の病院・医療業の後継者不在率は約7割で、全業種平均の61.5%を上回っており、業界としても後継者問題は喫緊の課題であることがわかります。
また、医師と同様に看護師の人手不足も深刻な問題となっています。平成18(2006)年度の診療報酬改正で看護師を奪い合う構造が生まれてしまいました。
患者1日当たりで医療保険から病院に支払われる入院基本料は看護師1人当たりの入院患者数で決まり、看護師密度が高いほど高額に設定されています。これが従前は「10対1」が最高額でしたが、「7対1」に引き上げられたのです(これを 「7対1特需」といいます)。
一方で看護師国家試験の合格者数は微増傾向にあるものの、非正規雇用の割合は看護師で17.6%、准看護師で30.1%と当直や過重労働を避けるために自ら非正規を選択する者も多く、特に急性期病院の看護師不足が問題となっています。こうした背景から看護師の引き抜きや好待遇を条件に転職を斡旋する業者も多く、完全な売り手市場となっています。
喫緊の課題である後継者問題ですが、なぜ親から子へ医療法人の親族承継が進まないのでしょうか。主に以下の理由が考えられます。
開業医の場合、代々医師の家系であることは珍しくありません。しかし他業種・業界と同じように「家業を継ぐ意思がない」というケースが増えています。
また子女が医師免許を取得していても、親子で診療科目が異なっていたり、民間の病院や企業に就職していたり、医系技官として働いていたり、海外で活躍したり、研究者としての道を究めたり…と家業を継ぐ以外の選択肢が増えたことがあげられます。
昔に比べて承継意識が薄れている背景には、病院や診療所の経営が難しくなっていることもあるのではないでしょうか。
出資持分とは、平成19(2007)年3月31日以前に設立申請された出資持分のある医療法人に対する財産権のことです。医療法人は剰余金の配当が禁止されているため、長く順調に経営している医療法人ほど純資産が大きくなる傾向があります。
出資持分は相続税の課税対象となるため、純資産が大きいほど相続税の負担も大きくなります。しかし出資持分は一般の株式と異なり換金性が低いため、相続者が納税資金を捻出できない可能性も出てきます。このようなケースや出資持分を不要と考える者がいる場合、親族承継は上手くいきません。
医療法人はM&A予備軍が多いことがわかりましたが、医療法人のM&Aは手続きが複雑なため、需要に対応できる仲介会社やアドバイザーが少ないのが現状です。ここでは医療法人のM&Aで特に問題となる点を3つあげてみます。
M&Aのメリットである「時間を買う」ことを目的に、新規開業ではなく、医療法人を買収するケースも増えていますが、初めての買収となるため、手続きなどのプロセスを含め、時間がかかることは間違いありません。また、勤務医をしながら案件を進めるには通常の診療と並行して案件を進める必要があります。
医療法人のM&Aでは、一般的にクロージング(譲渡完了)まで買い手が見つかってから早くて3カ月、長いと2-3年かかると言われています。
医療法人のM&Aでは、行政対応が不可欠です。また、取引先だけでなく、地域の医師会や大学病院の医局、自治体なども関与してくる場合もあり、ステークホルダー(利害関係者)の多さがあげられます。また従業員の雇用継続についても配慮が必要です。医療従事者の人材不足が指摘される中、M&Aで退職されてしまっては元も子もありません。
運よく後継者がいた場合や第三者への承継のめどがついた場合でも、経営面での不安は残ります。なぜなら医業承継には、「事業承継」と「資産承継」という二つの側面があるからです。相続対策としての資産承継も考えなければなりません。
また制度上の違いから一般的な事業会社(民間企業)に比べて制約が多く、経営統合や買収に向けたハードルが高くなります。
では「医療法人」とは、他の事業会社(民間企業)と比べてどのような違いがあるのでしょうか。ここからは、医療法人について解説します。
「医療法人」とは、病院、医師もしくは歯科医師が常時勤務する診療所又は介護老人保健施設を開設することを目的として、医療法の規定に基づき設立される法人のことです。医療行為は生死にかかわることですから、日本の医療制度はすべての国民に等しく医療が保障されることを大原則としています。このため医療法人は「非営利性」が求められ、株式会社に代表される営利法人とは区別されます。
医療法人は資金集積を容易にすることを目的として1950(昭和25)年に創設された*比較的新しい制度です。また、医療法人でない者は、医療法人と名称をつけることができません。*正しくは昭和22年に制定された医療法への条文追加で昭和25年に医療法人制度が創設されました。
医療法人が属する医療業界には、医療機関をはじめ、製薬会社、調剤小売り、医薬品卸、医療機器メーカーなども含まれます。このうち、医療を提供する施設は「病院」と「診療所(医院やクリニックともいう)」に区分され、「病院」は20床以上の入院設備を有する施設、「診療所」は、入院設備を持たないか病床数19床以下の施設を指します。
病院も診療所も開設主体(いわゆる創立者)は、国や地方自治体、全国厚生農業協同組合連合会、日本赤十字社 、企業、学校、個人など幅広いですが、全国の病院の69.3%、全国の診療所の 43.5%を「医療法人」が占めています(2022年5月31日時点「医療施設動態調査」データに基づく)。
医師個人が都道府県知事に届け出た場合は個人事業主となります。
個人病院や診療所(クリニック)は、営利目的での運営が可能となります。財産や収入はオーナーである個人に帰属し、自由に使うことができます。医療法人の場合、財産はすべて医療法人に帰属し、報酬という形で収入を受け取ります。
医療法人化のメリットは、以下のように個人事業主に比べて所得税などの税額軽減効果が得られるという点です。
医療法人とは繰り返しになりますが「病院、医師が常勤する診療所又は介護老人保健施設を開設しようとする社団または財団」であり、人の集まりが基盤となる「社団医療法人」と、寄付や拠出による提供財産が基盤となって設立される「財団医療法人」の2つに区分されます。
2022年3月時点では、医療法人総数57,141のうち、「財団医療法人」は367にとどまり、99%以上を「社団医療法人」が占めています。(厚生労働省「医療法人数の年次推移」2022年3月)
「社団医療法人」は、出資持分の定めの有無でさらに分類されます。「持分あり」とは、出資した割合に応じて財産権や返還請求権を持つことです。2007(平成19)年4月1日以降、新設を認められるのは、出資持分のない医療法人のみとなりました。
なお、全国にある医療法人社団のうち、83.3%の医療法人は「一人医師医療法人」となっています。この「一人医師医療法人」とは、常勤の医師又は歯科医師が1人または2人勤務する診療所を開設する医療法人をいい、役員や社員、および評議員が1人しかいないというわけではありません(医師・歯科医師でなくても理事になることは可能)。
なお、2007年4月1日時点ですでに許認可が下りている「持分あり医療法人」と「出資額限度法人」は当分の間、「経過措置型医療法人」として存続できます。厚生労働省によると「経過措置型医療法人」は2010年3月末時点で、社団医療法人の93%を占めていました。こうした背景を受けて、厚生労働省は「持分なし医療法人」への移行を促進する税制優遇策を設置しました。
詳細はこちら➡「持分なし医療法人」への移行促進策 のご案内(厚生労働省)
また、出資持分の定めがない社団医療法人は、以下の通りさらに分類されます。
「基金拠出型医療法人」
2007年4月1日以降、金銭の出資に代わり採用された基金制度(配当・利息なし)で、資金調達手段として定款に基金に関する条項を持つ法人をさします。
「出資」ではなく「拠出」なので、出資持分の概念はありません。解散時には定款の定めに従って拠出額を限度として返還され、残余財産は、国や地方公共団体等に帰属されます。
「社会医療法人(旧特別医療法人)」
非営利性に加えて高い公益性が求められ、救急・災害・周産期または小児救急にまつわる医療を提供する医療法人で、医療法を根拠とします。
都道府県知事(または厚生労働大臣)により認定されます。法人税が非課税になるとともに、救急医療等確保事業に供する資産について固定資産税及び都市計画税が非課税になるなど、税制上の優遇措置を受けることができます。収益業務や社会福祉事業(ケアハウスや保育所の設置運営など)も行うことができます。
「特定医療法人」
医療の普及および向上と社会福祉へ貢献、かつ公的に運営されていることを要件に国税庁長官の承認を受けた医療法人で、租税特別措置法を根拠とします。法人税の軽減税率が適用されるなど、税制上の優遇措置を受けることができます。
なお「医療法人」の分類には、以下のように公益性(休日診療や難病患者・感染者の医療、離島医療など)の高低に応じて「地上2階、地下1階」と例える場合もあります。
医療法人のM&Aでは、「経過措置型医療法人」「社会医療法人」「基金拠出型医療法人」の3つを押さえておけばよいでしょう。
医療法人を規定する医療法では、個人事業主とは異なる種々の規制を設けています。他の一般的な業種とは異なる最大の特色は、国民の健康の保持に寄与することを目的として設立した機関であることから「公共性」が求められている点と、患者の生命や安全に直結することから事業の「非営利性」を重視する点です。
これらの観点から剰余金の配当も禁止しています。勘違いされやすいのですが、非営利とは「儲かってはいけない」とか「利益を出してはいけない」というわけではありません。正しくは「利益を関係者に分配してはいけない」のです。
もうひとつの特徴は「経営権」です。M&Aは、経営権を獲得することを目的に株式の保有割合を高め、株式の売買が行われます。ところが医療法人の場合、出資持分(あるいは基金)を100%承継しても支配権は移りません。
つまり医療法人の場合、事業の主体は医療法人となり、創立者である医師は、理事長や院長の肩書きはあっても医療法人の「構成員」という立場になります。
病院や診療所の廃止届は、所轄の保健所に届け出を提出するだけで手続きは完了します。しかし医療法人を解散するには都道府県知事の認可が必要となるほか、行政手続きが煩雑なため、廃業しにくいという側面があります。
例えば社団医療法人の場合、持分の定めのある場合は残余財産の分配を行い、持分の定めのない場合は基金の返還・残余財産の帰属手続きが必要となります。このため、業績が悪化したからといって簡単に解散はできないですし、簡単に個人事業主には戻れないのです。
厚生労働省が2022年9月に公表した2021(令和3)年度の概算医療費は44.2兆円と前年度比4.6%増となりました。新型コロナウイルス感染症拡大を受け、高齢者などによる受診控えがあったものの、PCR検査など単価が比較的高い診療が増えたことが増加の要因となりました。
医療業界の市場規模は年々拡大しており、民間の調査会社によると.2030年には医療業界(介護を含む)の就業者数が製造業や卸売・小売業を抜いて、サービス業に次ぐ国内第2位の労働市場規模になるといわれています。
日本人にとっては当たり前の国民皆保険である医療保険制度ですが、世界各国からみれば大変恵まれているといえる一方で、構造的な財政問題を抱えているのもまた事実です。
高齢化に伴い国民医療費は膨れ上がり、団塊の世代が全員75歳以上となる2025年には、国民医療費は総額で52.3兆円にのぼると試算されています(厚生労働省「高齢者医療制度改革会議」(平成22年10月25日)より)。年齢が高いほど受療率が高くなる傾向があるため、患者数は今後もますます増加すると予想されます。
2022年の診察報酬本体の引き上げ幅は0.43%。看護師の処遇改善や22年度から始める不妊治療の保険適用などを配慮する一方で、繰り返し利用できる「リフィル処方箋」の導入を進め、20年度の前回改定率(0.55%)より伸びは抑えられています。
全国の医療法人数は、2022年5月31日時点で5万1342、病床数は89万7977です(厚生労働省「医療施設動態調査」より)。2016年以降の5年間をみると、病院も有床診療所も減少する一方、入院施設を有しない無床診療所の増加傾向が続いています。
2-1.施設数
2-2.医師数
2000年代後半からの積極的な医師養成により、医師数は増加傾向にあります。ただし増加分のほとんどは病院の医師で、診療所医師への参入(新規開業、承継)は伸び悩んでいます。
また地域的特徴として、医療施設の後継者不足が目立つ地域も多く、地域的偏在が深刻化しています。医療法人の分布を都道府県別でみると、東京都および石川県を除く東日本で医師少数、西日本で医師多数と「西高東低」となっています。
医療収入は「単価×患者数」で決定しますが、保険診療では一つひとつの医療行為ごとに診療報酬の公定価格(点数)が決められています。勝手に診療報酬を高くすることはできず、約1700項目に分類された既定額となるため、患者数の増減によって医療機関の収入が左右されます。
このため、病床回転率を高めることを目的に「平均在院日数の短縮」と「病床利用率の向上」の両立を目指し、入院基本料、投薬、注射、検査などをパッケージ化し、定額料金とするDPC(診断群分類別包括評価)制度を併用する医療機関が増えています。
一方で、DPC制度から退出する動きも出始めました。2021年9月にDPC対象病院から退出した神代病院(福岡県)は、その理由を「地域の医療需要の変化に対応するため」としています。
医療法人の設立は許可制で、主務官庁は都道府県となります(二つ以上の都道府県の場合は主たる事務所の所在地)。
法規制では、医療法、医療法施行令、医療法施行規則、医師法、医薬品医療機器等法など幅広く、最近では2015(平成27)年9月の第7次医療法改正により、「地域医療連携推進法人制度」の創設と「医療法人制度の見直し」が行われました。
地域医療連携推進法人制度とは、複数の病院(医療法人等)を統括し、一体的な経営を行うことで経営効率の向上を図り、地域医療構想を達成するために創設された制度です。医療の機能に見合った資源の効果的かつ効率的な配置を促し、急性期から回復期、慢性期まで患者が状態に見合った病床で、状態にふさわしい、より良質な医療サービスを受けられる体制を築く狙いがあります。
「医療連携推進方針」を定め、「医療連携推進業務」を行うことを目的とする一般社団法人は、「地域医療連携推進法人」として都道府県知事の認定を受けることができるようになりました。
非営利性を強化する目的で、第5次医療法改正において新規の医療法人の設立は「持分なし」に限定され、既存の持分のある医療法人は「経過措置型医療法人」と位置付けられました。
今回の改正では、さらなる非営利性強化のために、医療法人の会計基準や役員と特殊の関係がある事業者との取引の状況に関する報告書の作成、理事の忠実義務、任務懈怠時の損害賠償責任等を盛り込んでいます。また、医療法人の「経営の透明性の確保」および「ガバナンスの強化」に関する事項が盛り込まれました。
以上で医療法人についての解説は終わりです。医療法人ならではの特性を理解したところで、次からは本題の「医療法人とM&A」について解説していきます。
冒頭に申し上げたとおり、医療法人や病院のM&Aは水面下で行われています。ここでは平成23年度厚生労働省医政局の調査報告書から、収集84事例の経営統合理由より、譲渡理由を以下の四つに分類してみました。
政府が積極的に事業承継問題に取り組んでいる一方、医業承継については(行政が)距離を置いているのが実情です。確かに医療機関は社会の公器という側面があることから「M&A」にアレルギーがあるのかもしれません。
しかし、実際にM&Aの現場では、医療法人を第三者へ譲渡する「医療法人のM&A」が増えています。
ここでは、買い手がつきやすい医療法人・病院の一例をあげてみたいと思います。
注:あくまでも買い手がつきやすい傾向であり、上記の例に当てはまらないから売却できないというわけではありません。
社団医療法人の経営権を獲得するには、「社員の構成」に配慮することです。この場合の「社員」とは、一般の事業会社の社員ではなく、「株主」に近い概念です。医療法人の場合、社員数のシェアによって社員総会の議決権をコントロール(すなわち支配権を獲得)します。
実際に「社員」についての知識がないために、医療法人が乗っ取られるケースもあるようです。
また、個人病院や診療所(クリニック)を買収する場合、買収する側は新規開設手続きが必要となります。この場合、病床過剰地域であれば病床承継ができない可能性もありますので、担当医局への事前確認が必要です。
価格決定要素の項で述べたとおり、基本的には患者の単価を上げて収益を増やすことはできません。そのため、事業規模を拡大することで患者数を増やし、収入を増やすことになります。また地方ほど医師不足や後継者問題は深刻です。後継者が見つからず廃業(廃院)されてしまうと、患者は医療が受けられなくなってしまいます。地域医療の継続は、地域住民や地域社会にとっても大きなメリットがあります。
医療法人・病院M&Aのメリット・デメリットについて、まとめました。
医療法人・病院のM&Aで用いられる主なスキームを紹介します。事業会社の場合、株式譲渡や事業譲渡が一般的なM&Aスキームとなりますが、医療法人は株式会社ではないので、出資持分譲渡という手法が一般的です。
医療法人や病院に出資されている財産を売却することを出資持分譲渡といいます。譲渡後、定款に定められている手続きをもとに、メンバーの入れ替えを行います。社団医療法人の場合は社員総会と理事会のメンバー交代が必要となり、財団医療法人の場合は理事会と評議員*のメンバー交代が必要となります。*寄附行為に基づき評議員が設置されている場合
医療法人から個人事業主へ承継する場合、対象法人が保有する権利義務すべてを引き継ぐことになるため、デューデリジェンスが非常に重要となってきます。一方で丸ごと新体制に引き継がれるため、メンバー交代(出資者や社員・理事が変更された)だけであり、実務面での移行は他のスキームに比べるとスムーズに行うことができます。
特定の事業に対して必要な有形的・無形的な財産を一体とした上で、それらの全体または一部を譲渡する手法です。例えばある特定の科をほかの法人に譲渡したり、複数のクリニックを経営している場合、ある施設のみ譲渡する場合などに用いられます。
単なる居抜き物件と違い、カルテや検査記録などの患者情報や取引先、スタッフに関する個人情報を引き継ぐことができます。
事業譲渡も行政に対する事前相談(承認)が必要となります。簿外債務を引き継ぐ必要がないというメリットがある半面、従業員との雇用契約を個別に結ぶ必要があるなど手続きが煩雑になるというデメリットがあります。また個人事業主の診療所(クリニック)を医療法人が買収する場合、定款の変更認可が必要となるため、時間がかかるのが難点です。
2つ以上の医療法人が契約により存続する1つの医療法人に集約される、組織再編行為です(医療法第57条以下)。合併を受けた側の医療法人は消滅します。消滅する医療法人の権利義務を存続する医療法人に承継する「吸収合併」と、消滅する権利合併を新たに設立する医療法人に承継する「新設合併」の2つの形態があります。
合併するには都道府県の医療審議会に意見を聞き、許可をもらう必要があります。メリットは消滅する側の医療法人が持っている取引先や医師や看護師との関係を丸ごと引き継ぐことができる点で、デメリットは消滅側の負債も引き継ぐリスクがある点です。なお合併スキームは定款に合併に関する規定を持つ社団医療法人同士もしくは財団医療法人同士による合併のみ、認められています。
既存の医療法人に資産・負債を移転する「吸収分割」と、新たに設立する医療法人に資産・負債を移転する「新設分割」の2つの形態があります。吸収分割の場合、組織再編税制の適格要件を満たせば適格分割となるため、税制上の恩恵を受けることができます。
分割するには都道府県の医療審議会に意見を聞き、許可をもらう必要があります。なお分割スキームは定款で分割に関する規定を持つ医療法人が対象となり、社会医療法人は認められていません。
分割は包括承継のため、個別の承諾が必要となる事業譲渡に比べ、煩雑な手続きが不要となる点がメリットといえます。
メディカルサービス(MS)法人とは、医療機関でなければできない業務以外、例えば会計業務や保険請求、医療機器や器具の仕入れや管理、人材管理など運営に係る法人のことで、会社形態としては株式会社や合同会社になります(俗称であり、商号ではありません)。MS法人が出資持分を保有し、経営は第三者に委託します。主に再生の場面で金融機関や投資ファンドが用いる手法です。
医療法人・病院のM&Aでは、出資持分をいくらで売買するか評価します。ここでは医療法人のM&Aで比較的使用されている評価手法について、わかりやすく解説します。
M&Aにおいて企業価値(バリュエーション)を算定する場合、絶対的な方法はありません。実務ではDCF法とマルチプル法で評価するなど、単一の算定手法によるのではなく、複数の算定手法により評価します。
M&Aの評価手法は、「インカムアプローチ」「コストアプローチ」「マーケットアプローチ」の3つの考え方に分けられます。
インカムアプローチとは、会社から期待される利益、あるいはキャッシュ・フローに基づいて価値を評価する考え方で、DCF法や配当還元法などがあります。なかでもDCF法はM&Aの評価(バリュエーション)では最も一般的な手法になります。
将来期待される収益(キャッシュフロー)を、一定の割引率で割引いて現在価値に換算して評価します。精緻な事業計画書が必要なことから、小規模なM&Aの現場では使われない場合もあります。また、将来の見通しを正確に予想することはできないこと、計画の前提条件によって計算結果が大きく変わってしまうことなどから、主観的な要素が排除できないという問題があります。
売却する(譲渡)側が「一人医療法人」の場合、(前任者が引退することで)収益性は承継されないため、評価手法としてDCF法はなじみません。一方で、複数のクリニックを展開している大規模な医療法人や大きな組織に帰属している医療機関、健診センターなどが対象となる場合に採用されています。
コストアプローチとは、ネットアセットアプローチとも呼ばれ、貸借対照表の純資産に注目する考え方です。代表的な手法に簿価純資産法、時価純資産法(修正簿価純資産法ともいう)などがあります。医療法人のM&A実務では、純資産にプレミアム(のれん代、営業権ともいう)を加味して評価する場合が多いようです。
実務で使用される代表的な算式は、次の二つです。
「時価純資産+のれん代(営業権)」
資産基準となる純資産(資産と負債の差額)を簿価から時価に修正します。この時価純資産にのれん代(営業権)を加算して算定します。のれん代とは「超過収益力」のことで、将来性、土地の利便性、集患力、口コミ、ノウハウ、従業員、医療器具などの保有設備といった付加価値を加味します。また、医療過誤のトラブルや訴訟リスクなどが存在する場合は減算されます。
「時価純資産+修正後営業利益×3-5年」
純資産に数年分の利益を付加する手法で、年倍法(あるいは年買法)といいます。適正年数は一般的に3年から5年程度といわれています。資産基準となる純資産(資産と負債の差額)を簿価から時価に修正し、役員報酬や節税費用などの増減要素を加減し、評価します。
コストアプローチは貸借対照表を基に算定するため、評価プロセスが理解しやすいですが、過去の利益が純資産に積み上がっているだけの場合は、過大評価となる点に注意が必要です。またのれん代の評価が主観的となり、売り手と買い手の価格ギャップが大きくなる傾向にあります。
マーケットアプローチとは、市場で成立した買収価格に基づいて算定する考え方で、上場している同業他社や類似取引事例など、類似する会社、事業、あるいは取引事例と比較することによって相対的に価値を評価します。
実際の買収事例(買収額)から、①最も適当と思われる類似事例の買収価格倍率を用いる場合、②複数の買収事例の買収価格倍率の平均を用いる場合、③進行中の案件の倍率を参考にする場合などがあります。
マーケットアプローチの考え方で、実務でよく使われる評価方法の一つに「マルチプル法(Multiple methods)」があります。「マルチプル」とは投資尺度のことです。
マルチプル法の計算式で代表的なものは、次の算式です。
「評価対象会社のEBITDA × EBITDA倍率※ + 事業外資産 - 有利子負債」※EBITDA倍率=類似会社の事業価値/ EBITDA
医療法人は上場できないため、類似企業の取引データを取得することが難しく、評価対象会社を設定することが困難です。仮に非上場会社の取引データが入手できた場合でも、特有の事情(例えば巨額の訴訟を抱えているなど)が存在している可能性もあるため、採用の判断が難しいというデメリットがあります。ただし、独自に医療法人のM&Aデータベースを持っている場合は、算定が可能となります。
参考:マーケット・アプローチと市場株価法|企業価値のアプローチと評価手法(1)
相続税評価では、かつては医療法人の出資額を純資産価額方式により評価することとされていましたが、改正により、「取引相場のない株式」の評価方式に準じて評価することになりました。
「取引相場のない株式」の評価とは、同族株主等は原則的評価方式で、同族株主等以外の者は特例的評価方式(配当還元方式)で評価します。
医療法人は、医療法の規定により剰余金の配当が禁止されていますから、一般の取引相場のない株式の評価方法とは異なります。このため特例的評価方式(配当還元方式)は採用できません。また、類似業種比準価額の算式では「1株当たりの配当金額」の要素を除外します。
医療業界では医療法人の経営者の高齢化や慢性的な人材不足を理由に、売却を選択するケースが増えています。買い手側にとっては患者の受け入れ数の増加、拠点の拡大などのメリットがあり、買い手・売り手双方のM&Aに対する意識は高まっています。
ここでは比較的大きな医療法人・病院のM&A事例を紹介します。
事例:伯鳳会グループが個人病院を吸収合併
複数の病院や介護老人保健施設、医療専門学校などを運営する伯鳳会(兵庫県赤穂市)は2007年、姫路市にある個人病院の小国病院を買収しました。小国病院は明治時代から続く姫路市内でも歴史のある産婦人科病院で、父子2名で運営していました。
父親が死去したため、昼夜問わず診療を行っていた息子が事業の継続を断念し、病院の売却を決意します。経営状態は良かったことから、業務維持・拡大のため伯鳳会が吸収合併しました。
姫路市は病床過剰地域でしたが、産婦人科が不足していたため、県は伯鳳会との統合を許可しました。伯鳳会は発祥地が人口減少地域であり、経営安定のため人口規模の大きな都市の病院を相次いで買収しています。
事例:日本郵政が京都逓信病院を売却
2022年9月、日本郵政<6178>が旧逓信省時代から経営を続けてきた京都逓信(ていしん)病院(京都市中京区)を、不採算事業の整理の一環として地元の医療法人知音会に売却しました。
日本郵政は2015年11月の上場で赤字病院事業の縮小を迫られ、新潟逓信病院(新潟県新潟市)と神戸逓信病院(兵庫県神戸市)を、社会医療法人新潟臨港保険会(新潟県新潟市)と医療法人社団南淡千遥会(兵庫県南あわじ市)に、それぞれ事業譲渡しました。
かつて逓信病院は札幌から鹿児島まで14カ所あり全国展開していましたが、立地面で不利だったことなどから赤字が続いており、売却や閉鎖を進めました。
事例:東海大学が医学部付属病院を徳洲会に譲渡
学校法人東海大学は、付属大磯病院を2023年3月1日付で医療法人徳洲会(大阪府大阪市)に譲渡する予定です。
東海大学医学部は4つの附属病院があり、譲渡する大磯病院は病床数が312床、全23の診療科では各科専門医が担当しています。救急や夜間、休日診療も実施しており、地域の中核医療を提供していました。
M&Aを実施する背景には、少子高齢化と人口減少で経営状況の好転が見込めないとの判断がありました。
徳洲会は2022年10月現在、病院71施設、診療所・クリニック・介護施設を合わせ総事業所数400施設を展開し、従業員数も3万6000人を超える一大医療グループです。西日本を中心に病院や医療施設を展開していましたが、2005年に東京都昭島市に東京西徳洲会病院を開業。M&Aを積極的に推し進め、現在は東京都や関東地方にも積極的に医療を提供しています。また2020年には、湘南鎌倉医療大学を開学しました。
東海大学は、原則として現行の診療体制を維持する計画であり、当面は東海大学から複数名の常勤医師を派遣する予定としています。
事例:ユニゾン・キャピタルがファンドを通じて熊谷総合病院へ出資
ユニゾン・キャピタルは2017年5月に運営するファンドからの出資を通して「地域ヘルスケア連携基盤(CHCP)」を設立。地域の病院や介護施設、ヘルスケア関連ビジネスへの経営支援に乗り出しました。2020年9月には、CHCPを通じて社会医療法人北斗(北海道帯広市)と協働し、社会医療法人熊谷総合病院(埼玉県熊谷市)に出資、支援を行うと発表しました。
ユニゾン・キャピタルは日本の独立系投資ファンドの一つで、中堅未上場企業への出資を得意としてきました。これまで、回転ずしのあきんどスシロー(現:FOOD & LIFE COMPANIES<3563>)、ワインショップのエノテカ(東京都港区)、建材店の建デポ(東京都千代田区)などに出資してきました。
近年は医療、ヘルスケア領域に注力しており、運用総額(組合規模)300億円のヘルスケア特化型ファンド「UCヘルスケア・プロバイダー共同投資事業有限責任組合」を立ち上げています。
医療法人M&Aの現場では、残念ながら「ブローカー」が群がるという土壌があります。ブローカーは元医療機関職員から医薬品卸、不動産事業者など様々ですが、ブローカーが横行している背景には、医療法人のM&Aは難易度が高いため、的確にアドバイスできる人材が少ないことがあげられます。こうして知識をもった一部の悪徳業者が介在する案件でトラブルが発生しているのです。
最近では2022年8月、買収した医療法人から融資の担保名目で5000万円をだまし取ったとして、江東区にあるコンサルタント会社の代表取締役社長らが逮捕されたと報じられました。自称医療コンサルタントを名乗る者、「〇〇(有名人や政治家)を知っている」などの言動があったら、怪しいと疑ってかかるのも一考です。
では、どのようなアドバイザーに依頼すればよいのでしょうか。
ドクター同士で順調に話が進んでいても、配偶者が異論を唱えて話が流れる(破談になる)というのはよくあるケースです。仲介人が売り買い双方の間に立って契約を進める場合、まずは、医療法人のM&Aを得意とする仲介会社に相談することをおすすめします。
上場企業であれば守秘義務の管理も徹底しているため、情報が洩れる心配もありません。できれば医療法人のM&Aを専門で行う部署やチームを設けている会社に相談するのが良いでしょう。初期相談が無料となっており、具体的に案件を進める前に担当アドバイザーとの相性を確かめることができます。
また、地域限定になりますが、福島県医師会無料職業紹介所が「福島県 医業承継バンク マッチングナビ」というサイトを運営しています。県内の方は、是非チェックしてみてください。
アドバイザーに依頼する前に、医療法人のM&Aについて理解を深めたいという方は、以下の書籍が参考になるでしょう。
病医院の引き継ぎ方・終わらせ方が気になったら最初に読む本(日本法令)
医業承継の教科書 親族間承継・M&Aの手法と事例(日本医事新報社)
院長先生の相続・事業承継・M&A 決定版 第2版(きんざい)
医業承継 地域医療を未来へ繋ぐ、医療法人の相続・承継とM&A(ダイヤモンド社)
帝国データバンクの「医療機関の休廃業・解散動向調査(2021年)」によると、2021年の医療機関の休廃業・解散は567件で、過去最高水準。2019年以降、3年連続で500件を超えました。
病院の代表者は70代以上が5割を超えるなど、世代交代が進んでいません。特に診療所や歯科医院は規模の拡大や永続的な経営を望まず、後継者を置かないまま自分の代で廃業する意向が強いといわれています。
しかし、診療所や歯科医院が地域医療を支えているのは事実です。存続させることが人々の豊かな暮らしに繋がります。M&Aは医療を永続的に提供する有効な手段となります。
出所一覧
新型コロナウイルス感染拡大による病院経営状況の調査
WAM リサーチレポート「2020年度(令和2年度)医療法人の経営状況
WAM「病院、老健及び医療法人の経営状況等について」
内閣府 経済財政諮問会議「社会保障改革の推進に向けて」
JMARI リサーチレポート「医師養成数増加後の医師数の変化について」
厚生労働省 厚生労働統計一覧
帝国データバンク 全国企業「後継者不在率」動向調査(2021年)
厚生労働省 国家試験合格発表
厚生労働省 医療法人の基礎知識
厚生労働省 種類別医療法人数の年次推移
厚生労働省「DPC制度(DPC/PDPS※)の概要と基本的な考え方」
帝国データバンク「医療機関の休廃業・解散動向調査(2021年)」
地域医療の崩壊が懸念されている。とりわけ過疎化に悩む地域では人口減少と医師不足で、高齢化に伴う医療ニーズが高まっているにもかかわらず医療機関の閉院が相次いでいるのだ。こうした地域医療の崩壊を防ぐ取り組みとして注目されているのが「医業承継」だ。
その先進事例が、福島県で実施されている「医業承継バンク マッチングナビ」事業。ネットで譲渡を希望する病院と、それを引き継いで開業を目指す医師を引き合わせ、医業承継を実現する取り組みだ。医業承継の最新事情を、同事業の立ち上げから運営に携わっている石塚尋朗福島県医師会常任理事に聞いた。
-医業承継バンクを設立したきっかけを教えて下さい。
2011年3月の東日本大震災とそれに伴う東京電力福島原子力発電所事故の影響で、浜通り(福島県東部の太平洋側沿岸地域)の医療機関が大幅に減少した。それでなくても県内の高齢化や人口減少が進み、10年間で140件もの医療機関が減少している。これでは地域医療が成り立たないと危機感を持った福島県が、県医師会に協力を求めてきた。年間2000万円の予算がつき、医師会として県内での医業承継事業に乗り出したのだ。
-医業承継バンクの設立で苦労はされましたか?
そもそも全国で組織的な医業承継の前例がなく、どうすればいいのか全く分からなかった。承継手続については県医師会と付き合いのある税理士に相談しながら仕組みづくりに取り組んだ。先ずは医業を引き継ぐ開業希望者を募り、それから承継(譲渡)を希望する医療機関を集めることにした。
ところが承継を希望する医療機関が、なかなか集まらない。医師が承継を内密にしたがり、(医業承継の)案件情報提供に消極的だったのだ。「外部には絶対に漏れないでしょうね」と念を押されたこともある。
-県医師会が動くまで、県内で医業承継はなかったのでしょうか?
個々の医療機関と付き合いのある会計事務所や金融機関などを通じて医業承継を実行する事例はあった。しかし地元の狭い範囲でのマッチングに留まっていたため、紹介できる承継候補者が少なく、条件面などで折り合わないケースが多かったようだ。
民間企業でも医業承継を手がけているが、開業後のノウハウや地域との関係づくりといったフォローアップや医業承継して開業した医師の困りごとに対応してくれないなどの不満の声も聞く。地域とのつながりを壊さない医療承継をするには、医師会が関与しないと難しい。
-医業承継バンクでは、どこまで当事者間の交渉に踏み込むのですか?
マッチングサイトを開設しただけではダメ。福島県医師会ではマッチングサイトに応募した登録者との面談でニーズを聞き出したり、承継対象となる医療機関の視察に同行して話し合いが前向きに進むような環境づくりに取り組んでいる。こうしたきめ細かい支援をしないと、医業承継は動かない。
ただ、合意後の金銭的な交渉は当事者同士に任せている。医師会はタッチしない。税理士などに支払う医業承継に伴う手続費用といった実費を除けば、無料で医業承継サービスを提供している。
-医療承継バンクに手応えを感じたのは?
2020年12月に初の成約案件となる福島県川俣町の診療所での医業承継が新聞などで大きく報じられると、問い合わせや申し込みが急増した。県内市町村が医業承継した開業医に対して独自の補助金を新設するなど、行政の支援も充実している。
-医療承継バンクの実績を教えてください。
現時点までの累計で譲受側の開業希望医は59名。うち37名の医師が県内で、残る22名が県外だ。一方で譲渡を希望する医療機関は45施設。医業承継の成立件数は12件で、成立間近な有望案件も数件ある。2022年の医療承継バンク登録者は、開業希望医が21に対して、譲渡希望医療機関が14だった。
登録が多いのは県中18件、県北12件、県南7件の中通り(福島県中部)3エリアで、全県の8割以上を占める。成約件数もこの3エリアが10件と全体の8割以上を占めている。東北新幹線や東北自動車道などの交通インフラが整っていることから、生活環境面で開業希望医のニーズがこの地域に集中しているのだ。
診療科目別では内科が最も多く、次いで外科。そのほかにも耳鼻咽喉科眼科、乳腺外科、心療内科などがある。
-医療承継バンクの課題は?
マッチング希望者、すなわち医療承継バンクの登録件数をいかに増やすかだ。相互の要望をすり合わせるためには選択肢を充実する必要があり、現在の4〜5倍の登録がほしい。そうなるとスムーズなマッチングのためには医師会側も希望者と面接する担当者を増やさなくてはならず、その人件費をどう負担するかが課題になる。
福島県内にこだわらず東北や関東北部で同様の医療承継バンクを立ち上げてもらい、広域で相互融通して医業承継に取り組む必要もあるだろう。すでに複数の県で取り組みが始まっている。
-過疎化や高齢化などに直面する医療危機に、医業承継はどのような解決策を提示できると思いますか?
福島県の医業承継バンクの登録や成約を見ても、交通の便が良い都市部に集中する傾向がある。医業承継だけで医療危機問題を解決することはできない。自治体が競争して開業医や医療機関を呼び込む環境づくりに取り組む必要がある。
福島県内では新設医院に10年間で5000万円の補助を出す自治体もあるが、医療機関での新規雇用や税収、地域医療の充実による人口流出の防止、移住者の誘致といった経済効果を考えれば安いものだと思う。
◎石塚 尋朗(いしづか・じんろう)氏
慶信會石塚醫院院長、日本臨床内科医会学術委員会委員長。1951年仙台市生まれ、1978年東北大学医学部卒。同大消化器内科勤務を経て、1985年に渡米。ワシントン大学(ワシントン州シアトル)とテキサス大学(テキサス州ガルベストン)の医学部で上級研究員として、がんの先端医療研究に取り組む。一時帰国を経て1990年に再渡米し、テキサス大で准教授や客員教授を歴任。実父が福島県小野町で開業した石塚醫院を、1994年に引き継ぐ。2010年に福島県医師会理事、2014年から同常任理事。
聞き手・文:M&A Online 糸永正行編集委員