「克己」判断を誤らないための心|M&Aに効く言志四録

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判断に迷わず誤らず、壁を超えよ!(bee32/iStock)

私たちを、より前に向かわせる原動力

 西郷隆盛は、『言志四録』から101条を抜き出し、「南州手抄言志録」として活用していたことが知られています。前回からその言葉を紹介しています。

 『言志録』から28、『言志後録』から20、『言志晩録』から29、『言志耋録』から24となっています。佐藤一斎は88歳まで生きましたが、世代が違うこともあり、西郷は直接、教えを受けたわけではありませんでした。『言志四録』は長く、そして広く多くの人に愛読されていたことがうかがえます。佐藤一斎が67歳から78歳まで記した『言志晩録』は、『言志四録』の3巻目に当たりますが、政治家だけではなく、経営者、起業家などにも好まれる言葉が多いと言われています。そのためか、西郷も『言志録』より多い29の言葉を選んでいます。

 こうした言葉は、ハウツー(書かれた通りにやれば成果が出るもの)ではなく、心構えや気持ちのあり方、態度を示唆するものが多く、抽象的な印象もあるでしょう。ただ、噛みしめていくと、自分の中で具体化していく力がこの言葉にはあるのです。普遍的な人間の心理に触れているため、今日でもそのままで通用する部分もあります。

 西郷隆盛は歴史的な成功者でもありながら、そこに満足せずちょっと複雑な生涯を送りました。ですが、そこには人間らしく生きよう、命を燃やして終わらせようという強い心があったのではないでしょうか。

ビジネスをコントロールする心

 ビジネスの場面で、私たちをより前に向かわせるもの、よりよい結果を生み出す原動力、さらに相互に理解を深めて満足できる成果を得るためには、こうした心に響く言葉を探ってみる時間を持つことはプラスになります。即効性はないかもしれませんが、私たちのアウトプットに大きく影響するはずです。私たちは自分の心を言動として外に出す、または内に秘めることで、日々生きています。こうした言動や態度、つまり日常をコントロールしているのは心だからです。

心は現在なるを要す。事未だ来らざるに、邀(むか)う可からず。事已(ことすで)に往(ゆ)けるに、追う可からず。纔(わずか)に追い纔に邀うとも、便(すなわ)ち是れ放心(ほうしん)なり。(『言志晩録』175 心は現在なるを要す

●心は今

 心は今この時にあること。まだなにも実現していないうちに、それを手にすることはできない。もう過ぎてしまったことも、追いかけようがない。追えないものを追おうとし、現実になっていない未来をいま手にしようとあくせくしても、自分の心を失うだけだ。

間違った判断を減らす

私たちは未来も過去も自由には操れない(Urupong/iStock)

 私たちはどうしても、「こうなればいいな」とか「前にこうしておけばよかった」と思ってしまうものです。ただ、未来も過去も自由には操れないのですから、今をメインに据えて日常に立ち向かわなければ、何事もうまくいきません。判断も鈍ります。

 ギャンブルはとてもわかりやすい例でしょう。冷静に分析して適度に賭けているときはまだしも、「もし手元のお金が3倍になったら」とか「以前に損した分は絶対に取り戻したい」といった未来や過去に心が傾いていくにつれて、冷静でいられなくなり、間違った判断をし続けてしまうものです。

 もしも、間違った判断を減らすことができれば、それだけ私たちは大きな成果を得られるはずです。その根本に心があるのです。

 欲の多くは、存在していない未来を必ず自分だけはたぐり寄せることが可能だと過信させますので、どうしても判断を誤らせやすいのです。一方、欲がなければやる気や原動力にならない人も多いことと思いますが、その欲が未来や過去を追いかけ、欲に引きずられてしまうと、現実の判断を惑わせてしまうのです。

奪われた心を取り戻す「元気」

 放心には二つの意味があります。なにかに心を奪われてぼんやりしてしまうこと。いわゆる放心状態。もう一つは、気がかりなことや心配を払いのけ安心することで放念とも表現します。ここでは前者の意味ですね。

 心を常に「今」に向けておく──。忘れがちなことでしょう。

 もちろん冷静であった方がいいのでしょうが、それだけで何事もうまくのでしょうか? ちょっと物足りない気もしますよね。

 心は今にあるとして、それをよりプラスに持って行くにはどうすればいいのでしょうか?

 それを人は「元気」と呼んだりします。元気は、古来中国では万物の生まれ成長する根本的なエネルギーの意味がありました。そこに、病気の「気」が衰えていく、つまり病から回復していく意味、さらにクスリや治療の効果が現われていくこと、そして活動が盛ん、エネルギーに満ち溢れているイメージが重なって、いまの意味になっていったそうです。

 心をプラスの状態に保つこと、それが元気です。

元気があればなんでもできる!?

濁水(だくすい)も亦(また)水なり。一たび澄めば清水と為る。客気(かっき)も亦気なり。一たび転ずれば正気と為る。逐客(ちっかく)の工夫は、只だ是れ克己(こっき)のみ。只だ是れ復礼(ふくれい)のみ。(『言志晩録』17 克己と復礼

●カラ元気も元気

 濁っている水も、水であることには変わりない。澄んでくれば清い水になっていく。カラ元気も元気であることには変わりない。うまく本当の元気に転じることができればいい。カラ元気の「カラ」の部分を追い払えばいいのだ。そのためには、孔子の言葉にある「克己復礼」を思い出してほしい。

 カラ元気。空元気と漢字で書くわけですが、「空」には中身のないうつろな状態といった意味もあります。どうも元気が出ない。心が前に向かっていかない。そんなときには、カラ元気でもいいじゃないか、というのです。そこから、「カラ」を取り除けば、本当の元気になるから……。濁った水を濾過し、上の方だけも澄むまで静かに待つように、ニセの元気も本物の元気にできるのです。

己を克(せ)めて礼に復(かえ)るを仁と為す(typhoonski/iStock)

 克己復礼は、『論語』にある言葉です(顔淵第十二の一)。弟子の顔淵から「仁」について問われ、孔子は「克己復礼為仁」(己を克(せ)めて礼に復(かえ)るを仁と為す)と応えたというのです(岩波文庫版・金谷治訳)。

 自分に勝つ、克服すること。そして礼の根本に立ちかえることが、仁なのだ、というわけです。仁と礼については、『M&Aに効く論語10 プロトコルとしての礼』をご参照ください。私たちが仕事をする上で、すでに確立され多くの人の共通認識となっている行動様式(プロトコル)に立ちかえることも大事だというのです。

「元気があればなんでもできる!」はアントニオ猪木の名言ですが、プラス思考の典型としてとらえられがち。でも、もしかすると『論語』から来ているのかもしれませんね。だとすればとても含蓄のある言葉です。

 簡単にいえば、「おはようございます」「ありがとうございます」といった行動様式に基づく言葉一つでも、カラ元気から「カラ」を吹っ飛ばして本当の元気にしていく効果があります。

 礼には、心を「今」にスイッチする効果もあります。目の前にいる人(上司、同僚、お客さまなど)に向って「こんにちは」と声をかける瞬間。それはまぎれもなく「今」なのですから。私たちは、未来も過去も自由にはできません。ですが、今この時、目の前のことに集中することで新たな道が拓けていくのです。

※漢文、読み下し文の引用、番号と見出しは『言志四録』(全四巻、講談社学術文庫、川上正光訳注)に準拠しています。

文:舛本哲郎(ライター・行政書士)