「あんぱん」でおなじみの“キムラヤ”。漢字で書く際、「木村屋」か「木村家」かで迷ってしまうなんてことはありませんか。でも、よくよく考えてみると、どちらも見たことがある気がするのは気のせいではありません。では、「木村屋」と「木村家」の違いは何なのか。その素朴な疑問の答えを見つけるべく、リサーチしてみました。
1869(明治2)年に、木村安兵衛と次男の英三郎が前身となる文英堂を創業。翌年、火災のために店舗を焼失し、場所を変え、屋号も「木村屋」と改めて営業を再開しました。
1874(明治7)年には、現在の看板商品でもある「酒種あんぱん」を発明し、瞬く間に評判となったのだそうです。以前から木村親子と親交のあった山岡鉄舟も「酒種あんぱん」をいたく気に入り、「木村家」の看板を揮毫しました。原物は関東大震災で焼失してしまいましたが、現在の銀座木村家に掲げられている看板であり、シンボルマークでもあります。
と、ここで既に「木村屋」と「木村家」が入り乱れることに。真相は定かではありませんが、鉄舟が間違えて「家」と書いてしまったという説も。いずれにしても、親子で経営していたパン屋であり、木村親子に向けて贈られたものなので、「木村家」でもあながち間違いではないともいえます。
1930(昭和5)年には「木村屋總本店」として株式会社化し、現在に至ります。ちなみに、銀座本店の運営は2009(平成21)年に設立された「銀座木村家」に委ねられています。
現在、「木村屋總本店」はスーパーやコンビニ向け製品のブランド名、「木村家」は銀座本店、直営店向け製品のブランド名として使用されているとのこと。また、屋号としての「木村家」は鉄舟の看板に由来し、暖簾分けの際に「木村屋一家」という意味を込めて独立する職人たちに授けたのだといいます。ただし、親戚や特別な縁故者には「木村家」ではなく「木村屋」という屋号を与えたのだとか。鉄舟の看板と、暖簾分けの際の屋号の使い分けが事を少し複雑にしたようです。
今では、暖簾分け制度は廃止となっていますが、この制度のおかげで全国に“キムラヤ”ブランドは広がっていきました。主な暖簾分けは次のとおり。
<木村屋の主な暖簾分け>
蔵六餅本舗木村屋 | 1882(明治15)年に銀座木村家の2号店として千葉県佐倉市で創業。現在は和菓子店となっている。 |
つるおか菓子処木村屋 | 1887(明治20)年に山形県初のパン屋として鶴岡市で創業。現在は和洋菓子中心のラインナップ。 |
田村町木村屋 | 1900(明治33)年に東京都港区新橋にて創業。1920(大正9)年にはパン食促進のため喫茶部を併設した。「バナナケーキ」が名物。 |
築地木村家 | 1910(明治43)年に東京都中央区築地で創業。パン生地にビールホップを使ったあんぱんは50種類もある。 |
岡山木村屋 | 1919(大正8)年に岡山市で創業。直営店と専売店を合わせて約100店舗を展開。 |
札幌キムラヤ | 1927(昭和2)年に札幌市南区で創業。2002年に民事再生法を申請し、現在は木村屋總本店が支援し、経営再建中。 |
ヨーロッパンキムラヤ | 1927(昭和2)年に福井県鯖江市で創業。今年で90周年を迎える。 |
銀座本店から暖簾分けした各地の“キムラヤ”の中には、オリジナルの商品を生み出し、地域の名物になっているものもあります。
昨年末、福岡県久留米市を拠点とする「木村屋」が全店閉鎖するというニュースが久留米市民に大きな衝撃を与えました。同店の名物「ホットドッグ」やメロンパンのような菓子パン「まるあじ」は、まさに久留米のソウルフード。店舗には、最後に食べておきたいと買い求める人が後を絶たなかったそうです。
岡山県にある岡山木村屋では、岡山名物ともいわれる「バナナクリームロール」や素朴な味のうずまきパン「スネーキ」、「さくらあんぱん」といったロングセラーも。時代に合った美味しいパンを作るべく、年間50種以上の新作パンを作っているのだとか。
福井県鯖江市のヨーロッパンキムラヤには、大福をブリオッシュ生地で丸ごと包んで焼き上げた「大福あんぱん」なるとてもユニークなパンも。この「大福あんぱん」も30年以上もの歴史があるというから驚きです。
こうした独創的で美味しいパンを追求する姿勢は、まさに「酒種あんぱん」を生み出した創業主のスピリットを引き継いでいるよう。今後も各地の“キムラヤ”から美味しいオリジナルパンが出てくることに期待したいものです。
文:M&A Online編集部