リカちゃん、バービー、ジェニーの大人な関係

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1967年にリカちゃんが誕生してから今年で50年。その半世紀の歴史の中で、数々のライバルたちがいたのは言うまでもない。その代表格ともいえるのが、バービーとジェニー。着せ替え人形で遊んだことがある人なら思い浮かぶ名前ではないだろうか。実はそのいずれにもタカラ(現タカラトミー)が関係しているのはあまり知られてはいない。そして、その裏にはライセンス契約に関連する複雑な事情があった。そこで今回、M&A Online編集部では、この3人を巡る“大人な関係”を紐解いてみた。

戦友のようなバービーとリカちゃん

三者の中で最も歴史が古いのはバービーで、1959年に米国のマテル社から発売された。面白いことに、初期のバービーは日本で製造されていたとのこと。当時の日本の人件費が安く、繊維業も盛んであったために人形本体と衣装をまとめて発注することができたからだという。日本でのバービーの販売は、株式会社国際貿易によって1962年にスタートした。しかし、リカちゃんに5年先行してはいたものの、発売当初から販売数はあまり伸びず、リカちゃんの登場で市場からいったん撤退することとなる。

そんなバービーに救いの手を差し伸べたのは、意外にもリカちゃんを擁するタカラだった。1980年ごろにタカラはマテル社と提携し、バービーの輸入代行販売を開始。さらに、1982年には、タカラはマテル社からバービーの製造販売のライセンスを取得してオリジナルのバービー、いわゆる「タカラ・バービー」を発売した。従来のバービーからより日本人向けに変更され、一時はリカちゃんを追い抜くほどの人気に。リカちゃんが11歳の小学5年生というのに対し、バービーは17歳の高校生。リカちゃんが親近感を感じられる等身大の存在であるのに対し、バービーはファッショナブルで少し大人っぽいといったように、きちんと住み分けがなされており、両者は日本の着せ替え人形市場を牽引していくこととなった。

バービーからジェニーへの華麗なる転身

しかし、順調に思えたリカちゃんとバービーの関係も1986年にタカラとマテル社とのライセンス契約が切れたことで一転する。ライセンス契約がなぜ継続されなかったのか確かな理由は不明だが、これまでバービーの名前で子どもたちに親しまれていたものをどうするかという問題が勃発。タカラが出した苦肉の策がバービーの改名だった。こうして、ジェニーが誕生する。つまり、ジェニーはバービーだったのだ。

タカラが用意したストーリーは次のとおり。ミュージカル「ジェニー」のプロデューサーに見出されたバービーが、このミュージカルで大成功を収め、役名であるジェニーの名前を襲名したのだそうだ。バービーの販売も好調だっただけに、この筋書きは大々的に新聞広告やテレビCMにも打ち出された。ジェニーが子どもたちに自然に受け入れられるよう、当時のタカラは必死だったに違いない。

本家バービーの行く末は?

一方、本家のバービーはどうなったのか。マテル社は、バンダイと合弁会社マーバコーポレーションを設立し、日本市場向けのバービー(マーバ・バービー)を新たに発売する。しかし、その顔立ちがジェニー(つまりはタカラ・バービー)にそっくりだったため、タカラから提訴されてしまい、「人形裁判」として注目を集めた。

結局、マーバ側がバービーの顔立ちを変えることで和解するも、バービーの売上は低迷し1989年には生産が打ち切られ、マーバも解散。同年、マテル社とバンダイの提携が続く中で、バンダイから新たなバービー(バンダイ・バービー)が発売されるが、こちらも相変わらず人気が出ず、わずか2年で販売終了となってしまった。こうして1991年以降は日本独自のバービーは消え、マテル社のバービーがバンダイから販売されることに。2003年にはバンダイとの提携も終了し、現在バービーはマテル社の日本法人であるマテル・インターナショナルから販売されている。

<バービーを巡るライセンス事情の変遷>

30代以上の間で、幼い頃の記憶にあるバービーと現在のバービーの印象が大きく異なったり、ジェニーとバービーを混同したりするのは、こうしたバービーを巡る大人の事情があったからだ。このように一度定着した名前やデザインが使えなくなるというのは、ブランドイメージや商品イメージを大きく左右し、その売上にも影響しかねない。まさにライセンス契約のある種の繊細さを物語る一例といえるだろう。

文:M&A Online編集部

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