一神教と疫病とコーポレートファイナンス Ⅱ|間違いだらけのコーポレートガバナンス(13)

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中世ヨーロッパを襲った疫病が「株式会社」を生んだ?

前回は中世ヨーロッパを苦しめたペストの治療薬とみなされた香辛料を求めて大航海時代が幕を開けたーすなわち疫病と経済社会の関連について説明した。今回はまさに現在、世界を席巻している新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をめぐる状況と対比して考えてみたい。

香辛料獲得戦争とコロナ新薬開発競争

コロナ禍に直面している今、水面下ではコロナ新薬の開発をめぐって激しい競争が繰り広げられている。もちろん開発に成功した場合の利権を狙ってのことだ。しかし、同時にこれは仮に他社・他国の治療薬が特効薬として独占的な地位を占めた場合の、自社・自国のリスクを考慮した防衛的競争でもある。

実際、もし新型コロナ特効薬を政治的に利用しようとする特定の国に独占されたら、自国の国民の生命を大きな危険にさらすことになる。そう考えると大航海時代の戦争と侵略の歴史についても、より解像度の高い理解ができるかも知れない。

株式会社の成立と発展に貢献した初期東インド会社は単なる調味料を調達する「アグリテックカンパニー」ではなく「社会を脅かす難病の特効薬」を調達する「メガファーマベンチャー」だったのではないか。

そしてこのメガファーマベンチャーは、文字通り戦争までして香辛料を求めたのだ。欧州各国は貿易中に他国の艦船と遭遇した場合、その艦船を襲って積み荷を略奪することが許可されていた。こうした船団を私掠船(しりゃくせん)という。いわば国家公認の海賊だ。

疫病とコーポレートファイナンス

疫病と初期東インド会社の関係についてプロダクト(香辛料)の視点に加え、もうひとつ別の視点からも考えてみたいと思う。「株式会社」という仕組みそのものの成立との関係だ。

株式会社は「株主の有限責任原則」を特徴の一つとしている。この原則が成立することで、企業金融(コーポレートファイナンス)は初めて資金調達源泉における「デット(負債)」と「エクイティ(資本)」という明確な区分を持つことになった。

デットを生み出す「金貸し」自体は、古代から存在する金融手段である。であるならば、有限責任原則の成立とはすなわち「エクイティの発明」だ。歴史の大きな流れを追った時、この「エクイティの発明」もまた、疫病がもたらした副産物なのではないか。これが筆者の仮説だ。

株主有限責任原則はオランダで成立

株主有限責任原則の成立、すなわち「エクイティ」の概念が世界で初めて適用されたのは、これまで何度か取り上げた「イギリス東インド会社」(1600年設立)ではない。「オランダ東インド会社」(1602年設立)だ。オランダ東インド会社は、イギリス東インド会社よりも2年遅い設立だった。

だが、イギリス東インド会社での有限責任原則は当初曖昧だったとされる。さらに言えばイギリス東インド会社は、まだ継続企業ではなく当座企業(1回のプロジェクトのために資金を集めて稼ぎ、終了したら解散して利益を山分けする会社)の性格が強かった。

このことからオランダ東インド会社は、後世の専門家たちにより「世界初の株式会社」の栄冠を与えられている。オランダ東インド会社が厳密な意味で有限責任だったかどうかは、専門家の間では議論があるようだ。しかし、本稿では初期オランダ東インド会社において、基本的な有限責任制度が成立していたとの立場に立つ。

オランダ東インド会社とユダヤ教徒

このオランダ東インド会社の設立と発展に重要な影響を与えたのが、トーラー(ユダヤ教の聖書「タナハ」における最初のモーセ五書)の民、そしてディアスポラ(離散)の民でもあるユダヤ教徒だ。ユダヤ教は世界三大一神教の源流である。キリスト教もイスラム教も、源流をたどればユダヤ教から派生した一神教だ。

詳しくは今後のコラムで述べていきたいが、ユダヤ教徒が世界に離散した大規模なディアスポラ(離散)は、大きく2つの出来事がきっかけとなっているとされる。ひとつは紀元前740年頃、北イスラエル王国(古代イスラエル王国はこのころ北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂していた)がアッシリアとの戦争に敗れたことによる「アッシリア捕囚」。

そして西暦70年前後に起きたユダヤ戦争。ローマの属州となっていたイスラエルの地に戻っていたユダヤ教徒たちは、領主であるローマ帝国に対し反乱を起こしたが圧倒的軍事力の前に敗れ、エルサレムの第2神殿が破壊された。

離散の民、ユダヤ教徒

この2つの戦争により、古代イスラエルの地にいたユダヤ教徒たちは世界に離散した。ある人々は西へ、ある人々は南へ、そしてある人々は東に離散した。離散したユダヤ教徒の一部は欧州各地に渡り、それぞれの地で定住して持ち前の才覚と努力でやがて重要な役割を演じるようになる。

一つの民族が祖国を追われて世界中に離散した後、2000年以上にわたって自らのアイデンティティを失わずに生き続けた。それだけではない。世界史の中で、とりわけ金融の発展において彼らは極めて重要な役割を演じてきた。それは歴史における一つの壮大な奇跡だ。

それは同時に、移民への軋轢(あつれき)と凄惨な迫害の歴史でもある。欧州のユダヤ教徒への迫害の歴史には、中世のヨーロッパ人たちを苦しめた恐怖の疫病「ペスト」の影響がありありと刻まれているのだ。

一神教と疫病とコーポレートファイナンス

私たちの経済社会の最も重要な基盤となっている企業金融(コーポレートファイアンス)の仕組み。その成立に一神教と疫病の歴史が大きく関係しているとしたら、私たちが今生きている経済社会はやはり「かつての疫病」の影響から逃れられていない。

これは非常に大きなテーマで、筆者の手に余ることは明らかだ。しかし、コロナの脅威に直面する今こそ考えるべき問題だと思う。とりわけ多くの国民が多神教、無宗教である日本人にとってこそ重要ではないだろうか。

次回以降、このトーラーの民・ユダヤ教徒の歴史を通じて、一神教と疫病とコーポ―レポートファイナンスの関連について詳しく書いていきたい。その歴史には、きっとコロナ後の世界を生きるためのヒントがあるはずだ。

(この項つづく)

文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)

*(旧)「紀元前597年前後、古代イスラエル王国が新バビロニアとの戦争に敗れたことによるバビロン捕囚」を、(新)「紀元前740年頃、北イスラエル王国(古代イスラエル王国はこのころ北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂していた)がアッシリアとの戦争に敗れたことによる『アッシリア捕囚』」に変更しました。これはバビロン捕囚よりもアッシリア捕囚の方が離散の規模ははるかに大きかったからです。