【旭硝子】なぜ業界トップがM&Aで「ガラスの天井」に挑むのか

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世界最大の板ガラスメーカー・旭硝子<5201>が積極的なM&Aに乗り出している。しかも、全くの畑違いの異業種で、だ。装置産業であるガラスメーカーだけに、得意の板ガラスへ経営資源を集中して生産量でライバルを凌駕するのが最適に思えるが、同社の選択は違う。旭硝子は何を狙ってM&A戦略を展開しているのか。

戦前から積極的に取り組んだM&A

旭硝子のM&Aは戦前に始まる。1939年に昭和人絹(現・クレハ<4023>)と鈴木商店(現・味の素<2802>)が設立した昭和化学工業を吸収合併して伊保工場(現・関西工場高砂事業所)に組み込んだのが始まり。終戦直前の1944年には日本化成工業と合併し、三菱化成工業に社名変更している。同社は終戦を迎えるとコークスと硫安の生産にシフトし、1949年には早くも戦前の生産水準にまで回復した。1950年に三菱化成工業は、旭硝子と新光レイヨン(現・三菱レイヨン<3404>)、日本化成工業<4092>の3社に分割され、現在に至っている。

インド旭硝子
戦後初の海外生産拠点となったインド旭硝子(同社ホームページより)

その後は積極的な海外展開に乗り出す。1956年にインドでガラス製造会社を設立、1964年にはタイの板ガラス市場に参入、1972年にはインドネシアでガラス事業を始めるなど、アジアでの事業基盤を固めた。

1981年にはベルギーのグラバーベルを買収し、欧州の板ガラス市場に本格参入する。1985年に米国の自動車用ガラス事業に本格参入し、1997年にはロシアのガラス市場に参入するなど、M&Aを織り交ぜながら着実にグローバル化を進めた。

現在では日本を含むアジア、欧州、米州の3極を軸に30カ国以上の国と地域で事業を展開している。このうち最も依存度が高いのが早くから事業展開をしていた日本を含むアジアで、同社売上高シェア67%を占め、従業員は約3万人。続いて欧州が同22%で従業員約1万6700人、米州同11%で従業員約4300人の順だ。こうしたグローバル展開でアジア・欧州・米州の3大市場を押さえたことにより、板ガラス生産では世界最大手メーカーとなった。

外国企業の買収でグローバル展開

グローバル展開は販売市場を拡大する「水平戦略」といえる。一方で事業のバリエーションを増やし、多様な商品ラインナップで新たな顧客を開拓する「垂直戦略」でも旭硝子はM&Aを活用した。

その背景には、祖業である板ガラスの価格低迷がある。主に建築用として利用される板ガラスの国内市場は1990年をピークに減少傾向にあり、現在ではピーク時よりも約4割減っている。当然、価格は下落傾向にあり、生産設備は全社ともに低い稼働率で推移している。

海外も先進国は日本同様、市場の成熟化に伴って成長は止まったまま。新興国での需要は急増しているものの、板ガラスでグローバル生産能力の約6割を占める中国の過剰生産で価格は低迷している。世界シェア7.8%と世界首位の旭硝子だが、板ガラスのコモディティー化に伴って国際競争は激化するばかりだ。

旭硝子のフッ素樹脂チューブ
旭硝子のフッ素樹脂チューブ(同社ホームページより)

これを受けて旭硝子は2014年に子会社の米AGCフラットガラス・ノースアメリカの商業ビル向け建築加工ガラス事業を、米ガラス加工会社のトゥルーライトガラスカンパニーへ売却。2017年には建築用ガラスを手がける子会社のAGCフラットガラス・フィリピンを現地企業に売却した。旭硝子はM&Aで「脱・建築用ガラス」を急いでいる。

一方、建築用ガラス以外の事業では積極的な買収に乗り出した。ガラス生産工程と親和性が高かったために、戦前から取り組んでいた化学事業は格好の対象となった。1999年に英ICI社のフッ素樹脂事業を買収したほか、ベトナムで塩化ビニル(PVC)を手がけるフーミー・プラスチック・アンド・ケミカルズ社やベルギー化学大手ソルベイ・グループのタイ子会社でPVCメーカーのビニタイ・パブリック・カンパニーを子会社化するなど、M&Aによる化学事業の強化を進めている。

「手痛い失敗」も経験

M&Aでの手痛い失敗もあった。1999年に韓国大宇グループから買収したブラウン管ガラスメーカーの韓国電気硝子だ。当時、旭硝子のブラウン管ガラスの年間売上高は約1800億円で、国内はもとより米国、シンガポールなど世界7カ国に生産拠点を開設し、主に日本の家電メーカー向けに供給していた。当時、ブラウン管ガラスの市場規模は6000億円程度で安定しているうえ、旭硝子は付加価値の高いワイドフラットブラウン管ガラスで差別化に成功しており、同社にとっては「おいしい市場」だったのだ。

初期のブラウン管向け管球ガラス
初期のブラウン管向け管球ガラス(同社ホームページより)

そのブラウン管ガラスの世界トップシェアを握っていたのが日本電気硝子<5214>だった。1999年当時の同社のグローバルシェアは約38%。それに対して旭硝子は約29%であり、世界4位でシェア約10%だった韓国電気硝子を買収で取り込めば、日本電気硝子を抜き去り世界ナンバーワンが実現する。「全商品で世界のナンバーワンかナンバーツーを目指す」としていた石津進也社長(当時)にとって、願ってもない買収相手だった。おりしも当時の韓国はアジア通貨危機のあおりを受けて、韓国電気硝子の親会社である大宇グループは解体が進んでおり、買収はとんとん拍子で進む。

ところが、買収直後からブラウン管ガラスの市況は失速。旭硝子は韓国電気硝子株の持ち分51%のうち20%を、同社製ブラウン管ガラスの半分を納入していた韓国家電大手のLG電子に譲渡して大口取引の安定を図る。ここで手を引いておけば良かったのだが、2003年に旭硝子は日本電気硝子が保有していた韓国電気硝子株を取得して持ち株比率を42%に引き上げた。

読めなかった「ブラウン管の衰退」

旭硝子は1996年に世界初となる大型平面ブラウン管パネル「トリプレッド」を開発してソニー<6758>の大型フラットテレビ「WEGA」に採用されるなど高付加価値化で自信をつけており、ブラウン管ガラスの将来性に疑いを持っていなかった。2004年には中国製ブラウン管テレビの需要を狙って、中国湖南省に韓国電気硝子の工場を建設するなど設備を増強した。

ソニー「WEGA(ベガ)」シリーズ
ソニー「WEGA」に採用されたブラウン管ガラス(ソニーホームページより)

ところが2005年前後から液晶やプラズマなどの薄型大画面テレビが急速に普及し、ブラウン管テレビの生産量は激減する。旭硝子は2006年にブラウン管ガラスの国内生産を中止。インドネシアや台湾などでの海外生産からも撤退し、2007年には子会社の韓国電気硝子でのみ生産を続けることになった。それも重荷となり、2007年には公開買い付け(TOB)で韓国電気硝子の上場廃止をもくろんだ。結局は8.71%の株式しか取得できず、持ち株比率も51.47%に止まったため、上場廃止は叶わなかった。

液晶・プラズマテレビの価格下落でブラウン管ガラスの市場縮小はさらに加速し、韓国電気硝子の業績は、ますます低迷する。2010年に旭硝子は再度TOBを実施して持ち株比率を95.87%まで引き上げ、ようやく韓国電気硝子の上場廃止にこぎつけた。同社の事業停止の結果、旭硝子は95億円もの特別損失を計上することになる。

もっとも旭硝子が「M&A下手」というわけではない。建築用ガラスのグラバーベルや米AFGインダストリーズなどの買収には成功し、建築用板ガラスでは世界のトップメーカー飛躍している。そんな旭硝子でも、M&Aで読み違えて失敗することがあるのだ。

M&Aで板ガラスに代わる成長事業を開拓

旭硝子は韓国電気硝子買収の失敗を乗り越え、M&Aの精度を上げている。とはいえ、ガラスと縁を切ったわけではない。市場競争が激しい板ガラス事業は売却しているが、市場で高い評価を受けている自動車用強化ガラスは引き続き力を入れている。1960年代後半に業界初のガス炉を川崎工場に導入し、自動車用強化ガラスの大量生産を可能にして以来、旭硝子は品質と機能で他社をリードしてきた。

AGC旭硝子の切子調ガラスオーナメントがトヨタLEXUSの新型「LS」に採用
切子調ガラスオーナメントなど自動車のインテリアとしても、旭硝子のガラス製品が使われている(同社プレスリリースより)

日本車メーカーの米現地生産に合わせて、1995年に米国で自動車用強化ガラス事業に本格参入。2015年にはポーランドで自動車用補修ガラスの製造・販売などを手がけるノードガラスを買収し、人件費が安く欧州の新たな自動車生産拠点になりつつある東欧圏での自動車用ガラス生産にもメドをつけた。

自動車用ガラス以外にも2012年にドイツの中堅ガラスメーカーで太陽電池用ガラスを製造するインターペイン・グラス・インダストリーを買収するなど、次世代エネルギー向けのガラス生産にも取り組んでいる。まだまだガラスが活躍する市場は残っているのだ。

それらに加えて、全くの異業種への参入も急いでいる。旭硝子は1985年にバイオサイエンス事業を立ち上げ、2000年にはバイオ医薬品原薬の開発製造受託企業(CDMO)を立ち上げた。2016年にCDMOである独バイオミーバとデンマークのCMCバイオロジックスを相次いで買収。これによりCDMO業界では、富士フイルム<4901>や米パセオンに次ぐ世界3位になった。旭硝子は板ガラスに続き、グローバルトップ3の一角を占めたのだ。

新薬開発にかかわるCDMOはガラス事業と違って市場が成熟しにくく、長期的に安定成長が見込める。低迷する板ガラスをカバーする事業としてCDMOに目をつけた旭硝子は、この事業を一気に成長させるためにM&Aを選んだのだ。まさに「時間を買う」M&Aといえる。

経営の多角化で安定成長を狙う旭硝子に、分厚い「ガラスの天井」を打ち破ることはできるのか。そのためには、さらなるM&Aによる加速が必要になるだろう。

旭硝子のM&A年表

 年  出 来 事
1907 三菱財閥の2代目経営者で岩崎彌之助の次男だった岩崎俊彌氏によって創業(現兵庫県尼崎市)
1909 尼崎工場(現/関西工場)で板ガラスの製造を開始
1925 中国に昌光硝子を設立し、初の海外ビジネスがスタート
1939 昭和人絹(現・クレハ)と鈴木商店(現・味の素)が設立した昭和化学工業を吸収合併
1944 日本化成工業と合併し、三菱化成工業に社名変更
1956 インドにガラス製造会社を設立
1981 ベルギーのGlaverbel社を買収。欧州の板ガラス市場に本格参入
1985 バイオサイエンス事業を立ち上げ
1985 米国の自動車用ガラス事業に本格参入
1992 米AFGインダストリーズを買収
1997 ロシアのガラス市場に参入
1999 韓国大宇グループからブラウン管ガラスメーカーの韓国電子硝子を買収
英国ICI社のフッソ樹脂事業を買収
2000 バイオ医薬品製造受託事業を開始
2009 旭硝子ウレタンを旭硝子へ統合
2010 韓国電子硝子の事業を停止し、ブラウン管ガラス製造から撤退
2012 ドイツの中堅ガラスメーカーで、建築用や太陽電池向けのガラスを製造するインターペイン・グラス・インダストリーを買収
2013 ブラジルの板ガラス市場に参入
ベトナムで塩化ビニル(PVC)を手がけるフーミー・プラスチック・アンド・ケミカルズ社の持分78%を取得
2014 AGCフラットガラス・ノースアメリカ社の商業ビル向け建築加工ガラス事業を、米トゥルーライトガラスカンパニーへ売却
2015 ポーランドで自動車用補修ガラスの製造・販売などを手がけるノードガラスを買収
2016 ドイツのバイオ医薬品会社バイオミーバを買収
デンマークのバイオ医薬品会社CMCバイオロジックスを買収
ベルギー化学大手ソルベイ・グループのタイ子会社でPVCメーカーのビニタイ・パブリック・カンパニーを子会社化
2017 建築用ガラスを手がける完全子会社のAGCフラットガラス・フィリピンを現地企業に売却

文:M&A Online編集部

この記事は企業の有価証券報告書などの公開資料、また各種報道などをもとにまとめています。