バリュエーションを考える 平時におけるバリュエーションのすすめ

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「有事」におけるバリュエーション

「アクティビストを考える(上)アクティビスト株主によるBumpitrageとAppraisal Litigation」で触れたように、「有事」では、企業価値が焦点になるケースが多い。

「有事」とは、典型的には、株主によるM&Aキャンペーンや敵対的買収のケースである。3D Investment Partnersが東芝の企業価値評価(バリュエーション)を行い、東芝の経営陣に対し、潜在的な株式価値達成に向けた株式非公開化提案を行い、東芝の経営陣もバリュエーションを行い、会社分割を提案したことは、「M&Aバリュエーションを考える サム・オブ・ザ・パーツ(SOTP)分析」で触れたとおりである。また、最高裁判所が「特定の株主による経営支配権の取得が企業価値をき損するか否かの判断は、最終的には、会社の利益の帰属主体である株主自身により判断されるべき」と判示したことは、「アクティビストを考える(中)アクティビスト株主による敵対的買収とその防衛策」で触れたとおりである。

この他、株主が「エンゲージメント活動」と称し、ホームページを開設した上で、株式価値と株価のギャップを指摘、その改善を促すプレゼンテーション資料を開示し、その後、株主提案を行うケースは検挙にいとまがない。

「有事」は上場会社だけではない。非上場会社でも「有事」がある。それは、株主による株式譲渡承認請求のケースである。

非上場会社は、定款で「株式の譲渡は、会社の承認を要する」と定めることができるが、会社法は、可及的には株式譲渡の自由は保護されるべきと考えているため、株主が会社に株式の譲渡承認を請求できることを認め、株主は、当該承認を求める際して、意図した「譲渡先」への譲渡を承認しない場合には、別に「買取人」を指定することを請求でき(138条1項1号ハ)、会社が「買取人」を指定した場合には、株主と「買取人」との協議により売買価格を決めるが(144条1項・7項)、両当事者間で協議が調わない場合には、株主または「買取人」は裁判所に対し、売買価格の決定を申し立てることができ(144条2項・7項)、株主または「買取人」は会社のバリュエーションを行い、会社もバリュエーションを行い、裁判で売買価格が決定される。相続で株主が分散し、経営陣と疎遠になっている非上場会社はいつ請求されてもおかしくない。

コーポレートガバナンス・コードとROIC経営

一方、「平時」では、M&Aによって株式や事業を買収したり、グループ会社を売却するケースを除き、企業価値が焦点になることは多くないかもしれない。

もっとも、コーポレートガバナンス・コード(2015年策定、2018年・2021年改訂)は、経営戦略や経営計画の策定・公表に「自社の資本コスト」と「収益性・資本効率性の目標」を求めたため(原則5-2)、上場会社では、「税引後加重平均資本コスト(after-tax Weighted Average Cost of Capital: WACC)」と「投下資産収益率(Return On Invested Capital: ROIC)」を意識した経営を行うケースが増加している。

WACCは投資家の期待収益率、すなわち、税引後有利子負債コストと株主資本コストを加重平均したものを、ROICは投下資産収益率、すなわち、事業に投下した資産(Invested Capital:IC)に対するみなし税引後営業利益(Net Operating Profit Less Adjusted Taxes: NOPLAT)の割合を、それぞれ意味し、投資家は経営陣に対し、WACCを上回るROICを求め、経営陣もROICをマイルストーンとするケースが増加している。

これを実践している最も著名な会社が、オートメーション機器のメーカーであり、自動改札機、現金自動支払機(ATM)、家庭用電子血圧計でお馴染みのオムロンである。同社は、コーポレートガバナンス・コード策定前からWACCから目標とするROICを設定した上で、これをバリュー・ドライバーやKPI(Key Performance Indicator)に分解し、現場でPDCA(Plan-Do-Check-Act)する「逆ROICツリー経営」を行っている。

出所:オムロン株式会社「オムロンにおける⻑期視点の経営-成⻑投資の観点から-」(2016年2⽉25⽇)13頁

また同社は、ROICと売上高成長率の2軸で経済価値を評価する「ポートフォリオマネジメント」を行うとともに、「経済価値評価」だけではなく、「市場価値評価」も行っている。これは、ROICは、NOPLATを上げるだけではなく、ICを下げることによって上がるところ、これを防止するため、成長率を意識していることの証左である。

出所:オムロン株式会社「統合レポート2020 To improve lives and contribute to a better society」(2020年3月期)28頁

もっとも、このような経営を行っている会社は、必ずしも多いわけではない。

ROIC経営と企業価値

なぜコーポレートガバナンス・コードは、WACCとROICを意識した経営を求め、オムロンはROICと売上高成長率の2軸で経済価値を評価しているのか。

それは、会社は投資家からキャッシュを調達し、それを投資することによって、より多くのキャッシュを生み出し、投資家に価値を創造するが、創造される価値は、事業活動から生み出すキャッシュから投資額を差し引いた額に等しいため、その大きさはROICと売上高成長率をどれだけ維持できるかで決まり、ROICがWACCを上回ったとき(ROIC>WACC)のみ、会社は価値を創造できるからである。

すなわち、WACC、ROIC、そして売上高成長率は、企業価値のキードライバーであるため、これを意識することは企業価値を意識することに繋がるからである。

オムロンのROICは10年間平均値で10.3%であるが、これは2012年以降、想定資本コストの6%を上回って推移している。

出所:オムロン株式会社「統合レポート2021 To improve lives and contribute to a better society」(2021年3月期)26頁

注目すべきは、現場の変化である。CFOは「統合レポート」で以下のように述べている。

・まずは現状の数字に基づいて議論し、問題点は何か、いかに改善していくのかを考える。

・次いで、ハードルレート(想定資本コスト6%にスタッフ部門などのコストを加えた10%)をクリアするには、どのようなマイルストーンや施策が必要になるのかを記した行動計画を作成・説明する。

・ROICを共通言語とした議論を毎年繰り返す中で、「この事業の問題は自分たちで十分解決できる」、「どこかと提携する」、もしくは「譲渡するのが賢明である」といった冷静かつ現実的な意見が自然に出てくる。

・全社のポートフォリオの視点から、事業のリポジショニングや組織再編などが検討されるようになる。

今後は、ROICでは示せない将来の成長性につながる価値の指標化への議論を行うという。

「平時」におけるバリュエーション

このように、わが国の会社は、「平時」で企業価値を意識した経営をせず、「有事」で初めてバリュエーションせざるを得ないケースが多い。しかし近年、上場会社、非上場会社を問わず、株主の活動が活発化している。したがって、「平時」でバリュエーションを行い、企業価値を意識した経営を行うことを真剣に考える時期がきているように思われる。

そのバリュエーションは、わが国でも普及しているエンタプライズDCF法(Enterprise Discount Cash Flow method)が適していると思われる。なぜなら、ROIC経営は、将来の目標を設定し、そこから立ち戻って現在のPDCAを考えるバックキャスティング(Backcasting)アプローチであるところ、エンタプライズDCF法は将来のフリー・キャッシュフロー(Unlevered Free Cash Flow:FCF)を予測し、その現在価値を求めるアプローチであり、かつ、WACC、ROIC、売上高成長率が包含されているアプローチであるからである。

具体的には、以下のプロセスが考えられる。

    ① 過去の財務諸表を再構成し、ICとNOPLATを計算した上で、NOPLATから純投資額(営業用資産への新規投資から減価償却や除却により減少した資産を差し引いた数字)を減算したFCFを計算する。
    ② NOPLATを支払利息・のれん償却費等営業外損益および税引前利益(Earnings Before Interest Taxes and Amortization: EBITA)×(1-現金ベースの税率)と置き換えて税引前のROICを計算した上で、営業利益率と資産回転率に分解し、時系列変化や競合他社との比較を行い、バリュー・ドライバーを抽出する。
    ③ バリュー・ドライバーから将来の財務諸表をシミュレーションし、予測FCFをWACCで割り引き、事業価値を算定した上で、非事業用資産を加算、有利子負債を減算し、潜在的な株式価値と目標とする株式価値を算定する。
    ④ 目標とする株式価値を実現するためバックキャスティングによる事業計画を策定し、現場でPDCAする。
    ⑤ ①乃至④を通じて、アドバイザーとのコミュニケーションを深める。

    DCF法は、投資をFCFに反映させる長期予測が必要であるため、不確実性があり、アクティビスト株主は、高値での売却が目的であるため、「正しい」価値ではなく、他の株主による市場での期待値(Market implied)に関心があるかもしれないが、この「平時」におけるバリュエーションが「有事」における経営判断を左右するように思われる。

    <参考文献>

    鈴木一功(2018)『企業価値評価 入門編』(ダイヤモンド社)

    田中亘(2021)「会社裁判におけるバリュエーションの課題」鈴木一功=田中亘編著『バリュエーションの理論と実務』(日本経済新聞出版)9-24頁

    Koller, Tim et al., McKinsey & Co. (2020) VALUATION: Measuring and Managing the Value of Companies (Wiley, 7th ed.).

    文:吉村一男