日本全国の地銀の東京支店・事務所が集まる東京都千代田区日本橋室町界隈。そのなかにあって山梨中央銀行<8360>東京支店は、地方銀行の支店のなかでも、いかにも銀行らしい重厚な建造物で、ひときわ風格を感じさせる。千代田区観光協会も景観まちづくり重要物件の一つとして紹介している。
山梨中央銀行東京支店は1929年、建築家徳永庸の設計で建てられ、第十銀行東京支店として使われてきた。竣工当初は正面に古代ギリシアの建築様式の一つであるイオニア式の列柱などが並んでいたようだが、戦禍をくぐり抜けるなかで現在は簡素なデザインとなっている。
山梨中央銀行は1941年12月に山梨県下の有信銀行と第十銀行という2つの私立銀行が合併して誕生した。
有信銀行は1896年創立の有信貯蓄銀行に始まり、1907年に有信銀行となってからは、昭和初期に山梨銀行、甲陽銀行、小淵銀行、石和銀行、盛業銀行、山梨殖産銀行、富士勧業銀行と、周辺の私立銀行を次々と糾合した。
一方の第十銀行は、1877年に創立した第十国立銀行に始まる。国立銀行の営業年限が切れた1897年に第十銀行に改称して営業を継続、以後は昭和初期にかけて谷村商業銀行、若尾銀行、大森銀行、甲州銀行などを傘下に収め、県内の営業エリアを拡大した。
県下で営業基盤の強かった両行が大合併して山梨中央銀行となった1941年以降は、大きなM&A(合併・買収)はない。昭和18年に山梨貯蓄銀行を合併した程度だ。
明治後期から昭和初期にかけて、私立銀行として周辺他行と合従連衡を重ねて規模を拡大し、第二次対戦前後に大合同を果たして以降は大きなM&Aは行わず今日に至る-。山梨中央銀行がたどった道のりは、第二次大戦前後に大合同で誕生した地方銀行の多くがたどってきた変遷と同じような流れである。
では、なぜ他県の東京支店と異なり、山梨中央銀行東京支店はかくも歴史と風格を感じさせるのか。おそらく第十国立銀行の創立以前の山梨県下における“金融界における実績”がモノをいっているのではないだろうか。
第十国立銀行は創立前、1874年に創立した興益社という金融事業を営む会社の流れをくむ。
興益社の創立は、当時、県庁定詰区長であり山梨県の殖産興業に尽力した栗原信近(山梨中央銀行初代頭取)という人物が、県下から広く出資者を募って興した会社だといわれている。その興益社は1875年に第一国立銀行(現みずほ銀行)とコルレス契約(国内の銀行同士が結ぶ為替業務の相互代行契約)を結ぶほど金融界での実力があったようだ。

また、興益社は、1876年に山梨県為替方(官公金の取扱機関)となるとともに、「興産金」という貯蓄金の受け入れを始めた。実は山梨中央銀行は第十国立銀行時代、この「興産金」よって、日本で初めての貯蓄預金を扱った銀行となった。
政府は1875年に貯金に関わる法律をつくり、現在の郵便貯金を開始したが、民間ではまったく扱いはなかった。おそらく日本郵便の父といわれる前島密が郵便事業は官営でと主張したことによるのだろうが、それだけに、民営の郵便貯金扱いは画期的だったことに違いない。今も山梨中央銀行本店近くにある同行の金融資料館には、日本で最も古いとされる貯金通帳が展示されている。
では、なぜ興益社は、明治初期の金融界においてこのように力を発揮できたのか。おそらく、江戸後期から明治期にかけて活躍した甲州商人、さらにそのなかにあってひときわ秀でた甲州財閥の力があったのだろう。
甲州財閥には、天秤棒一本の行商から身を起こし、開港時の横浜と甲州を行き来し、甲州産の生糸や水晶などの商いによって巨万の富を築いた若尾逸平(初代甲府市長)、「天下の雨敬」「投機界の魔王」と呼ばれた実業家で投資家の雨宮敬次郎(当時の日本製粉会社代表)、さらに東武鉄道、南海鉄道、帝国石油、日清製粉、日本セメント、日本麦酒鉱泉、東京電燈、富国生命など200社を超える企業の創設にかかわり、「鉄道王」と呼ばれた根津嘉一郎ら錚々たる人物が並ぶ。
彼らは常に一致団結し、財閥の力に任せて県下から関東の金融・産業界を牛耳っていたわけではない。鉄道敷設、銀行設立などさまざまな局面で反発・対立しながら切磋琢磨し、しのぎを削り、県下から関東の金融界・産業界に影響を及ぼしていった。
さらに、このような甲州財閥を生んだ山梨の地は「甲斐武田の甲州金」の産地である。甲州金とは戦国時代から江戸期にかけて、日本で初めて体系的に整備された貨幣制度と、それに用いられた金貨。1871年の新貨条例により甲州金とその貨幣制度は廃止となったが、それまでの日本において貨幣、金融について最も有力な通貨(制度)の1つであった。
「金に糸目をつけない」「太鼓判を押す」といった慣用句がある。それも甲州金(古甲金)の糸目という量目や判を押した形態に由来するともいわれている(諸説あり)。
このような日本の金融界において主流の1つである甲州商人の気質は「メチャカモン」といわれている。抜け目がなく、執念深く、負けず嫌い、といったところだろう。しかし、メチャカモンを真正面から捉えれば、そもそも貨幣、お金に対する素養が他の藩・都道府県の人間とはたまったく違うのだ。そう考えれば、山梨中央銀行東京支店の風格も妙に納得できる。
山梨中央銀行の最近の動きは、東京都、特に支店開設50年を超える八王子支店を核として荻窪以西を西東京地区と位置づけ、店舗網を充実(現在15店舗)しつつあり、富士山周辺観光において横浜銀行、静岡銀行と連携協定を結んだ。この8月13日にはCRGホールディングスと、M&A情報に関する相互連携協定を結んだ。
東京都の隣県ながら、神奈川・千葉・埼玉県とはまったく違う立ち位置で、独自の気骨を持って生き抜く甲州商人。その甲州商人によって形成された山梨経済界、さらに山梨経済界を支え、支えられてきた山梨中央銀行は2027年に創業150周年を迎える。2027年を見据えた長期ビジョンは、「Value Creation Bank」。地域のリーディングバンクとして今後もメチャカモン精神で独自の価値を見いだして歩む。
文:M&A Online編集部