現在、日本国内では北は北海道から南は九州まで、総延長2765kmの新幹線が営業している(「ミニ新幹線」規格の山形新幹線と秋田新幹線を除く)。唯一、新幹線が開通していないのは四国地方だけだ。それどころか着工にゴーサインが出る整備計画すらない。なぜ、四国だけが新幹線から取り残されているのか?
新幹線が建設されない要因は、主に「人口が少ない」「経済効果がない」「建設費がかかりすぎる」の三つ。四国新幹線同様に、整備計画路線以前の「基本計画路線」とされている羽越新幹線(富山市−青森市、約560km)や山陰新幹線(大阪市−山口県下関市、約550km)などは、それらに該当する。
四国新幹線の場合、大阪市から四国を経由して大分市までを貫く海峡越えの基本計画路線(約480km)はともかく、四国内の県庁所在地を結ぶ新幹線網ならば新たな海峡トンネルや連絡橋の建設が不要で、総延長は約302kmにすぎない。
四国新幹線整備促進期成会が想定する四国新幹線は、松山市(人口52万人、2010年国勢調査による=以下同)、高松市(同42万人)、高知市(同34万人)、徳島市(同26万人)と本州側の岡山市(同71万人)、岡山県倉敷市(同48万人)を結び、沿線人口は約338万人。路線1kmあたりの人口は1万1200人(本州側の人口を除くと7280人)だ。
これはすでに一部が開通している北陸新幹線(長野県佐久市−福井県敦賀市)の6570人、北海道・東北新幹線(盛岡市−札幌市)の6070人を上回る。四国新幹線の徳島−松山間は瀬戸内海に面する太平洋ベルト地帯の一角であり、製造業も盛ん。一定期間の総便益額を総費用で割った四国新幹線の費用便益比は1.03と、経済効果も見込める。
それでも四国地方に新幹線の建設計画がないのは、瀬戸内海に面する四国3県と地元経済界の「失策」の影響が大きい。最大の原因は、本州四国連絡橋を3本も建設したことだ。本四連絡橋は1955年の国鉄(現・JR各社)宇高連絡船「紫雲丸」海難事故を契機に建設の機運が盛り上がり、1959年に国鉄や建設省(現・国土交通省)による建設調査が始まった。
建設の可能性がある香川県、徳島県、愛媛県と3県の経済界が地元有力国会議員を巻き込んで、妥協なき激しい誘致合戦を繰り広げた。その結果、政治決着で各県1本ずつ連絡橋を建設することに。3本合わせて約3兆4000億円の巨大公共投資が連絡橋に回り、四国の新幹線整備は後回しにするしかなかった。
さらに3ルートがバラバラに建設されたため橋の完成は遅れ、最も早かった児島・坂出ルートでも開通はバブル景気真っ只中の1988年4月。神戸・鳴門ルートは1998年4月、最も遅かった尾道・今治ルートは1999年5月と、全通時にはすでに深刻な景気後退期に入っていた。
関西圏と直結する道路新幹線併用橋として計画された明石海峡大橋は、景気悪化に伴う建設コスト削減で道路単独橋に変更(1985年6月に先行開通した同ルートの大鳴門橋には新幹線用スペースがある)。そのため連絡橋全通後の新幹線計画は紆余曲折していく。
四国4県は1987年6月に策定された「第四次全国総合開発計画」で、四国新幹線を「第2国土軸」の基幹交通網と位置づけていた。それが大阪市(新大阪駅)を起点に、徳島市、高松市、松山市など瀬戸内海沿いの都市を結び、四国最西端の佐田岬半島を経由して豊予海峡(約16km)を橋かトンネルで渡り、大分市(大分駅)へ至る「四国横断新幹線」計画だ。
ところが明石海峡大橋に新幹線を通すことが不可能になり、関西側でも新たな鉄道専用の橋かトンネルの新設が必要となった。その結果、想定される総事業費は約4兆円にまで膨らんだ。費用便益比は0.31と大幅に低下し、仮に開通しても建設費負担がJR四国や沿線自治体に重くのしかかることになる。
そこで「現実的な新幹線誘致策」として浮上したのが、フリーゲージトレイン(軌間可変電車=FGT)だ。国内の新幹線にはフル規格のほかに、低コストで建設が可能な「ミニ新幹線」と「スーパー特急」がある。
「ミニ新幹線」は在来線のレール幅を、フル規格の新幹線と同じ1435mmに拡幅した路線。レール幅は同じなので、同一車両によるフル規格新幹線路線への相互乗り入れが可能だ。「ミニ新幹線」は、すでに秋田・山形新幹線の約276kmが開通している。
ただ、「ミニ新幹線」は在来線のレール幅を広げただけなので線形(カーブなど)が高速走行に適しておらず、最高速度はフル規格の時速240~320kmよりも大幅に遅い同130kmに抑えられている。それでも乗り換えなしに移動できるメリットは大きく、秋田・山形新幹線は競合する航空路線の需要を奪っている。
一方、四国新幹線で有力視されている「スーパー特急」は「ミニ新幹線」とは全く逆の発想で、レール幅は在来線と同じ1067mmだが、路盤やトンネル、高架橋といった構造物をフル規格同様に整備。その結果、線形は改善され、同200km以上の高速走行が可能になる。最大のメリットは在来線との相互乗り入れできることだ。
つまり松山駅が「スーパー特急」による四国新幹線の終点になっても、同駅以遠の大洲駅や宇和島駅といった在来線の駅まで乗り換えなしの直通運転が実現できる。問題はレール幅が異なる新幹線路線と相互乗り入れできないことだ。
この問題を解消するため、四国新幹線はレール幅を在来線用と新幹線用に変更できるFGTに期待をかけたのだ。しかし「スーパー特急」方式で建設する予定だった長崎新幹線が、一般の新幹線より車両関連費が2倍かかり技術的にも安定運行が難しいとしてFGTの採用を断念した。
JR四国が単独でFGTを開発・運用するのは不可能で、「スーパー特急」がダメとなると「ミニ新幹線」かフル規格による整備しかない。が、「ミニ新幹線」は速度が遅く、東京と直結されなければ導入効果は薄い。九州新幹線ですら認められない東海道新幹線との相互乗り入れは、四国新幹線が開通しても難しいだろう。
ましてや人口減や高齢化が全国よりも早いペースで進む四国で、今からフル規格の新幹線を整備するのは現実的ではない。今後、新幹線が瀬戸内海を渡り四国地方に延伸する可能性は、ほぼゼロだろう。可能性があったとすれば、本四架橋を児島・坂出ルート1本に絞り、1970年代末までに全線開通させることだった。
この時期に道路新幹線併用橋が完成していれば、同橋を軸に松山、高知、高松、徳島の4県所在地を結ぶ四国新幹線が、すでに営業を開始していたかもしれない。本四架橋をめぐる愛媛、香川、徳島の「自県ファースト」が、四国を「新幹線空白地」にした最大の原因なのだ。
文:M&A Online編集部