金融庁が選挙前に「年金2000万円不足」報告書案を出した理由

alt

世間を騒がせている「年金2000万円不足」騒動は、不可解なことだらけだ。不可解な現象には必ず「裏」がある。そうした不可解を読み解くことで、「年金2000万円不足」騒動の本質が見えてくる。それは「年金の問題」ではない。今回の不可解な騒動を全く違う視点から検証してみよう。

3つの「不可解」から読み取れることは何か

「年金2000万円不足」騒動の不可解な点は3つある。

(1)なぜ、金融庁が参議院(場合によっては衆参同一)選挙直前の2019年5月22日のタイミングで、騒動の引き金になった「高齢社会における資産形成・管理」報告書案を金融審議会で公表したのか。

(2)そもそも、なぜ厚生労働省のシマ(テリトリー)である年金問題を金融庁が報告書案に盛り込むという「領空侵犯を犯したか」。

(3)厚生労働省の公開したデータに基づけば赤字の発生が明らかなのに、なぜ政府は「誤解を招く」「年金制度は万全」と主張するのか。

(1)については与党議員から「配慮不足」と批判され、6月14日に開かれた衆議院財務金融委員会で金融庁の三井秀範企画市場局長も「事務方として配慮を欠いた対応で深くおわびします」と陳謝した。この「配慮不足」とは、選挙前のタイミングで与党批判のタネをまいたことだ。

しかし、そんな初歩的なミスを霞が関のエリートである金融庁が犯すとは考えられない。選挙前のタイミングで与党批判のタネになるリスクは認識したうえで、あえて報告書案を公表したと考えるのが自然だろう。

では、なぜそんなリスクを冒してまで報告書案を公表したのか?官僚がリスクを冒すのは政権トップからの指示があったか、あるいは「忖度」のいずれかしかない。要は、政権側に報告書案を公表しなければならない事情があったということだ。

事実、麻生太郎財務大臣兼金融担当大臣は、報告書案の公表直後に「100歳まで生きる前提で老後の資金を考える人は少ない。今のうちから考えておかなければいけない」と内容を肯定する発言をしている。実は、この麻生金融相の発言こそが「年金2000万円不足」騒動の本質なのだ。

報告書案公開直後の麻生大臣の発言に問題の「本質」が見て取れる。(G20 財務大臣・中央銀行総裁会議ホームページより)

大炎上した報告書案は「年金への警鐘」ではなく、「株式投資のすすめ」

そして、その本質こそが(2)の「領空侵犯」の理由だ。実は金融庁が最も恐れているのは、厚労省のシマであり金融庁にとっては他人事にすぎない「年金不足」ではなく、「目先の株式市場の暴落」なのだ。そしてそれは政権にとっても、最も避けたい事態である。

安倍晋三首相が得意とする外交で大きな成果は出せず、最もうまく行っている日米関係でさえ貿易問題がくすぶっている。このうえ目先で株価が急落しては、参院選に不利に働くのは間違いない。だからこそ選挙前のタイミングであえて年金赤字を公表し、「今のうちから(投資を)考えておかなければいけない」と国民資産を株式市場へ誘導しようとしたのだ。

外交で大きな成果が見えない今、株価暴落は政権にとって痛手になりかねない(首相官邸ホームページより)

報告書案では具体的な方法として、年40万円まで20年間非課税の「つみたてNISA」や、個人型の確定拠出年金「iDeCo」などを挙げている。いずれも株式市場へ資金が流れる金融商品だ。老後資金であれば元本が保証される預貯金が「王道」なのにもかかわらず、あえてリスク資産の株式投資を勧める不可解さも、株式市場への資金誘導と考えれば合点がいく。

そこまで金融庁がシャカリキになって株式市場へ資金誘導する理由は何か。現在の株式市場で最も大きなリスクは、これまで株価を支えてきた公的資金の先細り懸念だ。すでに東京証券取引所1部での公的資金比率は10%を超えており、株価上昇の材料が見えない中で底支え役を果たしている。

だが、公的資金の一つである日本銀行の上場投資信託(ETF)は、2019年3月に買い入れ額を減らし始めた。こうした事態に金融庁も神経をとがらせており、株価維持のため民間資金の株式投資への誘導を急ぐ必要があった。それが「年金2000万円不足」騒動の引き金になった報告書案だったというわけだ。

公的資金の投入ストップで株価暴落は必至

(3)の年金赤字発生が明らかなのに、なぜ政府は「誤解を招く」「年金制度は万全」と主張するのかといえば、そもそも報告書案は「株式投資の勧誘」であり、年金赤字は「投資の口実」として利用しただけで本筋の話題ではないからだ。金融庁にしてみれば「食いつくところが違う」のが正直な感想だろう。

国民が「年金で生活できない」レベルになれば年金保険料を引き上げるか、税金を投入して支給額を引き上げることになる、だから「年金制度は万全」というのが政府の公式見解になる。だが、報告書案でそう書いてしまえば「年金が保証されるのなら、わざわざリスク資産に投資する必要はない」と国民に理解されてしまう。株価下落を避けるためには「年金だけでは赤字になる」と書かざるを得なかったのだ。

ただ、(3)の「年金制度は万全」ついては、直ちに「黄信号」が点灯しそうだ。これも株価と関係がある。安倍政権は年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の運用資金を株式市場に投入し、株価の上昇を図った。が、GPIFやETFの買い支えにもかかわらず、このところの株価は下落傾向にある。

GPIFの2018年度第3四半期運用実績は-14兆8039億円、収益率-9.06%と、前年同期の 6兆549億円、同3.92%を大きく下回っている。さらに株価が暴落するようなことがあれば、年金資金は壊滅的な打撃を受ける。参院選でも株価下落に伴うGPIFの運用成績悪化は争点になりかねない。「年金が危ない」は、国民に強い危機感を与えるからだ。

すべての不可解な現象を検証してみれば、真実が浮かび上がってくる。安倍政権の経済政策を最大限にアピールする株価上昇は、年金資金をはじめとする公的資金の投入による「官製相場」であり、市場原理から逸脱した株価維持が限界に近付いていること。

そうした官製相場を「延命」するために、なんとしても国民の金融資産を株式市場に誘導しなくてはいけないこと。そのために国民の関心が高い年金を「ダシ」に使わざるを得なかったことだ。

「年金2000万円不足」騒動で最も怖いのは年金ではなく株価の崩壊(Photo by Ahmad Ardity)

こうした真実から透けて見えるのは、国内株式市場の暴落の予感である。米中経済摩擦の激化による世界経済の冷え込みや米国側からの対日貿易圧力強化の懸念などで、株価は公的資金の大量投入が止まればたちまち暴落する可能性が高い。「年金2000万円不足」騒動で最も怖いのは世間が大騒ぎしている「老後の生活不安」ではなく、間近に迫りつつある官製相場で支えられてきた国内株式市場の大混乱なのだ。

それにしても、政権の意向を受けて(あるいは忖度で)報告書案を提出しながら、所管の麻生大臣に受け取りを拒否され、与党から「配慮がない」と集中砲火を浴びた金融庁は立つ瀬がない。森友・加計事件で忖度した官僚たちは野党からは厳しく非難されたものの、それなりの厚遇を受けた。しかし、今回の報告書案に関与した金融庁幹部たちは、参院選が与党の敗北に終われば詰め腹を切らされるのは必至。なんとも「割に合わない話」である。

文:M&A online編集部