G7サミットのお土産に2度も選ばれたセーラー万年筆の秘密とは

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5月19日に広島市で開幕する「G7広島サミット」に出席する各国首脳に贈る記念品の1つにセーラー万年筆<7992>の高級万年筆が選ばれた。同社発祥の地が広島県呉市だったことが大きな理由だ。セーラー万年筆は2008年の洞爺湖サミットでも記念品に選ばれている。「各国首脳向けの贈答品メーカー」という栄に2度も浴するセーラー万年筆とは、どんな会社なのか?

軍港で起業したから「セーラー」に

同社の歴史は1911(明治44)年2月に、創業者の阪田久五郎氏が広島県呉市で国産初の万年筆を製造したことから始まる。最初の製品は14金ペンだった。英国留学から帰国した友人の将校からお土産として万年筆を贈られた阪田氏は「万年筆というものを生まれて初めて見たときの心のときめきは、言葉で言い表せないほどだった」と大感激。起業を決意した。

1932年8月に法人化して「セーラー万年筆阪田製作所」を設立。「セーラー万年筆」の由来は、呉が横須賀、佐世保、舞鶴と並ぶ旧日本海軍の重要軍港だったこと。将来は自社製品を船舶で輸出したいとの願いも込めたという。社名と地の利が幸いしてか、海軍から万年筆の発注が殺到し、経営も軌道に乗る。

戦後も成長を続け、1949年6月には広島証券取引所で上場を果たした。1952年5月には本社を東京都中央区へ移したが、台東区、江東区、墨田区と東京23区内を転々とした後に、2021年4月に登記上の本店を創業地の呉市へ69年ぶりにUターンさせて話題になった。実質的な本社機能は同5月に東京都港区へ移転している。

本店移転で人材確保と「広島ブランド」化を目指す

本店移転のきっかけとなったのは、2018年7月に発生した「平成30年7月豪雨(西日本豪雨)」。呉市内の天応工場(現 広島工場)にトラック200台分もの土砂が流れ込み、約3週間にわたって操業を停止するなど大きな被害を受けた。被災した広島工場の改修工事を機に、本店を呉に戻すことにしたという。

改修工事では床を地面より75cm高くするなどの水害対策を施し、12棟あった工場建屋を1つにまとめて横から見ると船のようなデザインにしている。同工場では主に1万円以上の高級万年筆の生産量を30%増やす計画だ。

本店移転により、「地元の大企業」として優秀な従業員の採用促進につなげると同時に、広島県や呉市との協業を図ることで「広島ブランド」としてアピールする狙いがあった。広島サミットでの記念品に選ばれたことで、早くも「広島ブランド」化の効果はあったようだ。

ちなみにどの万年筆が記念品になるのかは明らかにされていないが、同社製品で最も高い「木軸黒檀加賀高蒔絵万年筆(吉野山)」は121万円(税込)だ。

セーラー万年筆で最も高い「木軸黒檀加賀高蒔絵万年筆(吉野山)」(同社ホームページより)
セーラー万年筆で最も高い「木軸黒檀加賀高蒔絵万年筆(吉野山)」(同社ホームページより)

文:M&A Online