【前編】経営戦略の手段として、M&Aは効果を発揮しているか?(慶応義塾大学・牛島辰男教授)

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慶応義塾大学商学部教授・牛島辰男氏

経営戦略の手段として、M&Aは効果を発揮しているか?(前編)

「売り手側の視点に立つと、企業はもっとリストラクチャリングを進めるべきではないか」と語るのは慶応義塾大学商学部の牛島辰男教授だ。「企業の多角化」という専門分野から捉えると、無借金経営、キャッシュリッチな企業は、いまこそ『ポートフォリオ・リストラクチャリング』のチャンスでもある」らしい。M&Aはそうした事業改革の有効な手段の一つである。昨今のM&Aの動向について、牛島教授にお話を伺った。

―まず、ここ2〜3年のM&Aの動向について、どのような印象を持っていらっしゃいますか?

牛島教授:そうですね、総論としていうと、この2〜3年、金額ベースではM&Aは増えています。その背景としては国内企業による海外企業の買収、いわゆるIN-OUT型のM&Aというのが結構大きく影響しています。

たとえば、ソフトバンクグループ<9984>による半導体分野の海外企業の買収などが挙げられます。一般には報道でその状況を見聞きするわけですが、巨額の海外投資で自社の事業領域を拡大し、成長のスピードを上げるM&Aが、成長戦略の一つの手段としていくつか出てきた。買収する側は自分たちにとってこれまで足場のない領域に、足場を確保する手段としてM&Aを仕掛ける。こういうスタイルはかなり定着してきたと思います。そのなかで、M&Aを実施する企業の“裾野”というものがかなり広がってきた印象があります。前進・成長する手段としてのM&Aが定着してきているのは間違いないでしょう。

1985年以降のマーケット別M&A件数推移
レコフ MARRより https://www.marr.jp/mainfo/gra...

売り手企業の「選択と集中」に対するプレッシャーが弱まっている!?

―ご専門の経営戦略の分野から最近のM&Aを見ると、どのようなことがいえるでしょう。

牛島教授:私自身の専門は必ずしもM&Aだけではなく、一言でいうと、「企業の多角化」という観点になります。複数の事業分野で活動している企業、とくに日立製作所<6501>とかソニー<6758>といった巨大企業で複数の事業領域に広がる事業ポートフォリオを擁している企業に関して、長期的かつ戦略的な課題を探っていくわけです。

その観点からいうと、ずっと前からいわれてきた「選択と集中」が、いまどんな状況にあるかということが関心の一つとして上がってくるわけです。「選択と集中」の視点からM&Aを捉えると、M&Aの買い手とともに売り手の側にも関心が出てきます。売り手側は事業を取捨選択し、不振な事業であったり不振とはいえないけれど今後の戦略にフィットしにくかったりする事業を切り離していく。その場面で、売り手としてM&Aに関与していくのです。この視点から最近のM&Aを見ると、全体の件数は金額ベースで見るほど増えてはいないというか、もっと増えてもいいのではないか、という印象がありますね。

―もっとM&Aが増えてもよいのではと思われる理由は?

牛島教授:最近は業績、特に利益面で過去最高益を更新するような企業もたくさん出てきていますが、多くの企業が「選択と集中」のスローガンのもとに事業を切り離していった2000年代初頭のような状況と比べると、そのプレッシャーが弱くなっているのでは?と感じています。

―「利益が出ているのだから、無理に事業を切り離さなくてもいい」という考え方ですね。

牛島教授:ええ。ただ、利益額として見ると非常に高い水準に最近なっていますが、利益率たとえばROA(総資本利益率)、ROE(株主資本利益率)で見ると、依然として相当低い企業も多いのです。それは稼げている企業のなかに稼げていない事業がまだ溜まっていることを意味します。

比較的キャッシュに余裕があるいま、本来はそういった事業を前向きに各社とも整理していくべきなのに、一時期に比べてM&Aの勢いというか動きが鈍化しているかな、とは思いますね。

―本来はもっと盛んにM&Aの売り手として活動してもよい時期だと……。

牛島教授:そうだと思います。全体としてのM&Aの件数や金額を見たときに、明らかに大きく盛り上がってきたのは1990年代末から2000年代半ばくらいの頃です。あのとき増えていたM&Aは、「選択と集中型」の案件が多かった。自社として不振な事業を他社に売却したりする案件、不振事業同士や同業者同士で不振事業を切り離して、ジョイントベンチャーとして事業を統合するような案件が多かったのですが、最近はそういった案件のウエイトはむしろ減っている印象もありますね。

1985年以降のマーケット別M&A金額推移
レコフ MARRより https://www.marr.jp/mainfo/gra...

たとえば、事業譲渡というのは本来、定義としてリストラクチャリングに適した性格をもっています。しかし事業譲渡の件数や金額は、買収・合併、その他のM&Aに比べると相対的に小さくなっています。

冒頭に述べたように、買収のなかでも昨今リードしているのはIN-OUT型です。これは定義として、「成長指向型・拡大指向型」の案件ですね。それに対して、IN-IN型の多くは、自社の子会社を他社に売却するほか、リストラクチャリング型の案件が結構あるけれど、件数として見たときに減っているわけではないけれどもIN-OUT型ほど増えているわけでもないのです。ですから、相対的なウエイトとして、買い手じゃなくて売り手としての関与が本来もっとあってもいい、といえます。

―企業のライフサイクルとしては、どの段階でM&Aをすると効果があるとお考えでしょうか?

牛島教授:企業によって、また産業・業種の違いもありますが、一般論でいえば、企業のライフサイクル上の早い段階では組織自体が流動的で、その段階は自社の組織体制固め、自社の単独での存立や発展の基盤づくりの優先順位が高いですね。そこがしっかりできて、自社のリソースや能力のベースができ、さらに、そのときの自社の力だけでは達することができない何かエクストラなものを得る手段としてM&Aが出てくるわけです。そう捉えると、ライフサイクル上は、初期というより組織体制固め以降でのフェーズが一般論ですね。

―しかし一方で、変化のスピードが本当に早くなっています。

牛島教授:そうですね。技術や環境の変動サイクルが非常に早い事業においては、組織体制固め以降といってもいられません。そういった産業では、初期、かなり早い段階から積極的に他社を買収していくなかで、経営資源の幅を拡げていき、拡げるなかで変動する環境への対応力をつけるのも意味のある対応といえますね。

たとえばAIや自動運転技術など、そうした世界では、どこからどういう技術の種が出てくるかわかりませんし、方向性自体を自社の判断だけで固定して考えてしまうことはむしろリスキーなので、多様なベクトルをあえてもつために、まだ若い段階で積極的に外部の資源を取り込んでいくという選択はあると思います。


慶応義塾大学商学部教授・牛島辰男氏

無借金経営のいまこそ、事業のポートフォリオ・リストラクチャリングを

―投資家目線でいうと、どうしても売上高の大きい企業のM&Aに注目が集まります。利益率の観点からM&Aをすべきかどうかといった判断の目は、まだ育っていないかもしれません。

牛島教授:ただ、投資家目線で見たとき、売却が好意的に評価されないというわけでもないとは思いますね。たとえば日立。一時期しばらく売却を控えていた感がありますが、また最近、日立物流とか日立キャピタルとか、売却を始めていますよね。

日立グループというのは、選択と集中をかなり積極的に進めている企業の代表例ですが、それに対して投資家は総じてポジティブな反応をしている印象です。そうした状況を見ると、投資家が売却を望んでいないというわけでは必ずしもないのでは? とも思います。ただ、投資家目線はさておき、企業サイドから見たときに、かつてのような選択と集中のプレッシャーは明らかに弱くなっています。

それを企業の財務面から見ると、それこそ2000年代初頭に比べると、各社とも顕著に負債残高が減っています。それこそネットデット(純有利子負債)ベースで見ると、上場企業の6割はいわゆる実質無借金なんですね。借金がないので、業績改善に対する内部からの財務的なプレッシャーというものが生じにくい状況になっているわけです。それで、ある種のぬるま湯的な状況が生まれているということがあるのだと思います。

―そのままでよいか、というところが問題意識として出てきますね。

牛島教授:そうですね。そういうぬるま湯的な状況は、ずっと続くわけではありません。悪いシナリオを描くと、改革を進めずに怠っていると、あとで痛い目に遭うでしょう。たとえば企業競争で引き離されたり、競争の波に乗り遅れたりしてしまうということが、過去の日本企業のレッスンだったはずです。

だからこそ、本来であれば、ここは「いまこそ事業改革、事業のポートフォリオ・リストラクチャリングのチャンスの時期だ」と捉えるべきではないかと思いますね。

―ところで、先生は子会社の売却が親会社にどういうインパクトを与えるかという研究をされていらっしゃいますが、M&Aの発表があまり親会社の株価には影響しないという結論を発表されました。なぜそのような結論に至ったのか教えていただけますか?

牛島教授:分析手法は、何かイベントが発生した際の企業価値への影響を調べる標準的な「イベントスタディ」を用います。子会社の売却のアナウンスメントが親企業からされたとき、たとえば「売りますよ」とアナウンスした企業の株価が上がっているか下がっているかを見ると、あまりポジティブに市場が反応するわけでない。つまり、株価が上がるわけではないという研究結果でした。

ただ、これはアメリカの企業で見ると、まったく同じことをやっても非常に強くプラスの効果が出ます。この点は日米で大きな違いがありますね。

投資家の視点でいうと、売却というのは、基本的にはグッド・ニュースです。そして、買うという行為はむしろ危ういニュースです。場合によっては、経営者が株主利益を最重要に考えているわけではなく、自分自身が経営する会社の規模をただ単に大きくしたい、要は傘下により大きな帝国を築きたいといった考えがあるからかもしれない。だから、欧米の一般論でいうと、企業であれ事業であれ、基本的には買われるほうはプラスに株価が反応するけど、買うほうは、必ずしもよろしくなくて、場合によっては大きなマイナスになる、というのが傾向としてあります。

(参考記事はこちら)
https://maonline.jp/articles/ushijima0154
https://maonline.jp/articles/ushijima0164

―日本と欧米の投資家ではM&Aが与える影響に差がある、というのは面白い結果です。その理由・背景には何があるのでしょうか。

牛島教授:それはなぜかと考えると、不振な事業を切り離すこと自体は、本来はプラスのニュースとなるはずで、それ自体は投資家によっても評価されていますが、日本の企業は(事業を)なかなか売らないのです。売却することに関して非常に消極的で、本当に追い込まれてから売却するというケースが多い。すると、投資家は売却する企業に対して「そこまで追い込まれてしまったのか」というイメージを持つことになります。

売ること自体はプラスで、「ようやく重い腰を上げて必要なリストラクチャリングをするようになったか」というプラスの評価がある一方で、日本の企業の場合は「いままで嫌がっていたことをやらざるを得ないほど状況は悪くなっている」というマイナスのシグナルを投資家に対して送ってきたのではないかという解釈です。

本来は、追い込まれて売却するのではなく、もっと余裕のある段階、企業としても事業としても余裕のある段階で売却して切り離すのがいちばん望ましいのです。そうした売却が浸透してくると、株式市場の反応も変わってくるでしょうね。(次回に続きます)

取材・文:M&A Online編集部