44年も前に大谷翔平選手の登場を「予言」していた歌があった!

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「二刀流」でメジャーのMVPに選ばれた大谷選手(Photo By Reuters)

米ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手が、アメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)に満票で選出された。日本人選手としては2001年のイチロー選手に続く2人目だが、投手と打者の両方で活躍したケースはメジャーリーグでも珍しく、「ベーブ・ルース以来の逸材」と現地での評価は極めて高い。

「メジャーに日本人選手」すら考えにくかった時代に…

その大谷選手の活躍を「予言」した歌がある。子供グループのビッグ・マンモスが歌う「ぼくらは未来のベーブ・ルース」だ。幼児向けのテレビ番組「ママとあそぼう! ピンポンパン」で流された。歌詞に「バットを振れば ホームラン ピッチャーが投げれば ストライク…そうさ ぼくらは未来のベーブ・ルース」とある。

「ぼくらは未来のベーブ・ルース」を収録したアルバム(アマゾンミュージックホームページより)

リリースされたのは1977年というから、今から44年前。大谷選手が出生する17年も前のことだ。当時、日本人メジャーリーガーは1964〜65年に南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)から野球留学で派遣されたサンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅則投手のみ。

村上投手の帰国後は1995年に近鉄バッファローズ(現・オリックス・バファローズ)を任意引退した野茂英雄投手のロサンゼルス・ドジャース入団まで、実に30年間にわたってメジャーに日本人選手は現れなかった。歌がリリースされた70年代は投打の「二刀流」どころか、日本人のメジャー進出ですら「夢のまた夢」と思われていた時代だ。

「野球選手のM&A」で大谷選手の活躍が実現

この30年間の「分断」は、日本のプロ野球界がメジャーへの「人材流出」を恐れたため。村上選手は南海時代にはご飯に味噌汁、目玉焼きとアジの干物だったチームの朝食が、メジャーでは新鮮なオレンジジュースやレタスサラダ、ハム、ベーコン、ミルクなどがふんだんに用意された贅沢な内容だったのに驚き、球場の立派さに目を見張った。

村上選手は南海に呼び戻されて素直に帰国したが、優秀な日本人選手が条件に恵まれたメジャーを目指すことを懸念したのである。任意引退でドジャースへ移籍した野茂投手が成功したのを受けて、メジャーに挑戦する日本人選手が続出するのを懸念した日本野球機構は1999年に協約を改正。野茂投手のように任意引退した選手は、メジャーを含む世界各国のプロ野球球団と契約できなくなった。

日本人選手のメジャー進出が進んだのは日米球界間で「日米間選手契約に関する協定」が調印され、ポスティングシステムが成立。2000年にオリックスのイチロー選手が、1312万5000ドル(約15億円)という高額の譲渡金でシアトル・マリナーズへ移籍してからだ。

選手を送り出せば日本球団側に「金銭的なメリット」が発生するようになり、メジャーへ送り出すことに抵抗感がなくなった。いわば「野球選手のM&A」のシステムが確立したことで、日本人選手のメジャー進出が「当たり前」になり、「未来のベーブ・ルース」とも言える大谷選手の活躍を実現したのだ。

文:M&A Online編集部