M&Aの企業価値評価に用いられるサイズ・プレミアムの推定手法とmigrationに関する考察

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企業価値評価には様々な手法があります。ざっくりと二分すると、ストック(資産)ベースで評価する手法とフロー(利益・キャッシュフロー)ベースで評価する手法がありますが、なかでもフローベースのDCF法はM&A実務でよく使われる手法です。

DCF法にも、フリーキャッシュフロー(FCF)から企業価値(EV)を求め、有利子負債と株式価値に分配する「エンタープライズDCF法」のほかに、金融機関の評価でよく利用される「エクイティDCF法」があります。

今回は、M&Aの実務において価値評価において幅広く用いられている、エンタプライズDCF法における株主資本コストと小型株にかかるサイズ・プレミアムについて考察します。

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M&Aの企業価値評価に用いられるサイズ・プレミアムの推定手法とmigrationに関する考察

最小型株1年間リターンに大きな非対称性

株主資本の期待収益率(株主資本コスト)の推定においては、シングルファクター・モデルに代わるものとして、 Fama and French (1993)の3 ファクターモデル等のマルチファクター・モデルが提唱され、日本においても Kubota and Takehara (2015) や、太田等 (2012) で簿価時価(SMB)・プレミアムは有意に観測されるものの、サイズ・プレミアムは有意な値とならないことが既に報告されてきた。 

他方、ここ数年、M&A の実務においては、マーケットリスク・プレミアムとサイズ(時価総額)・プレミアムのみを用いて、そこから株主資本コストを推定する方法が頻繁に用いられるようになっている。 

この方法は、山口・小松原 (2015) によって提唱され、実際に、「Ibbotson Japan Size Premia Report」としてデータが提示されており、実務家は、このレポートに依拠して、株主資本コストを推定していると思われる。そこでは、10分位ポートフォリオ(東証一部上場企業を、時価総額順に並べ、ポートフォリオ内の株数が等しくなるように10個に分けたもの)の時価総額最小のポートフォリ オの場合、10%程度のサイズ・プレミアムが用いられることがある。 

本論文では、主にこの山口他 (2015) の推定方法について考察し、この方法によるサイズ・プ レミアムの推定値を、M&Aの企業価値評価における株主資本コストに適用することの問題点を指摘する。 

そのために、山口他 (2015)と同じデータを用いて、①Fama and French(2007)が指摘するように、小型株が、成長して大型株化し、より時価総額の大きなポートフォリオへと移住する効果(migration)が、サイズ・プレミアムの推定に与える影響を確認するために、規模別10分位ポートフォリオ間の遷移確率の推定を行い、②規模別10分位ポートフォリオについて、分位ポートフォリオ作成後 1 年間のリターンに加えて、5 年間の平均株式収益率をトレースする。

その結果、最小ポートフォリオにおいては、約8割の最小分位に留まった株式と、約2割の他分位に遷移(移住)した株式の間で1年間リターンに大きな非対称性が存在し、そのことが最小ポートフォリオの平均収益率の底上げにつながっていることが判明した。 

さらに、そうした他分位に遷移した株式のリターンについて、以降5年間の平均収益率をトレースすると、1年間のリターンに比して大幅に縮小することもわかった。 

企業価値評価実務への影響が大きく、より精緻な検証が必要

以上のことから、結論を言えば、現在実務で用いられているサイズ・プレミアムの推定値は、毎年ポートフォリオの中身を入れ替える推定手法(リバランス)によって、過剰に計算されている可能性が高い。したがって、現在の推定値を、定期的にポートフォリオの入れ替えを行い、大型化した株を、より小型の株式と銘柄を入れ替えることを前提としない M&A の企業価値評価において、用いることは適切ではないと考える。

実際に、本研究が示すように、計測期間を1年から5年に延長することで、特に第10分位において、6%近くの超過収益率の低下が確認された以上、M&Aに用いるサイズ・プレミアムは、少なくとも現在のデータの基となっている10分位ポートフォリオ作成後1年よりも長期間の収益率を基に推定すべきである。

M&Aの企業価値評価において、現状のサイズ・プレミアム 10%程度を適用することは、過大な株主資本コストを適用して、企業価値を過小に評価することにつながるといわざるを得ない。本研究の結果からは、仮に10分位の最小型株にサイズ・プレミアムが認められるとしても、現状実務で用いられているものよりは、かなり小幅なものになるだろうというのが、筆者の理解である。 

もとより、本研究のリターンの推定は、あくまでも簡易なものであり、より精緻な計算が必要である。また、太田他 (2012)や、Kubota and Takehara (2015) で示された、SMBとHMLファクターの双方を加味した場合の、サイズ・プレミアム(SMB)推定値(0.9%~1.5%)との関係や、等金額平均リターンによる推定と時価総額加重平均リターンの優劣については、未解決のままであり、今後究明されなければならない。 

M&A取引における企業価値評価は、その経済的インパクトが大きい一方で、実務においては、一貫性のある理論構成に基づかずに、アドホックな(その場限りで都合の良 い)数値のつまみ食いが行われることも少なくない。本研究を契機に、今後企業価値評価の実務において用いられている諸数値について、より精緻な検証が進むことを願っている。(論文全文はこちら

文:鈴木一功(早稲田大学大学院 経営管理研究科教授)