【ソニー】(1)多くの革新的製品を生み出した名門のM&A手法とは

alt

創業初期から世界に目を向けていたソニー

 ソニー<6758>は、1946年に井深大氏、盛田昭夫氏によって創業された。「世界のソニー」といわれるように、日本を代表する企業の一つである。

 創業時は東京通信工業と称したが、12年後にソニーへと商号を変更。あらゆる国の人が読めて発音できることを重視もので、当時から明確に世界を見据えていたことがうかがえる。由来は英語のSONIC(「音の」、「音速の」の意)の語源であるラテン語「SONUS」 (ソヌス)と、坊やという意味の「SONNY」である(ソニーコーポレートサイト企業情報より)。

 同社はM&Aについても、世界を舞台にしたものが多い。日本企業としては異例ともいえるほど早い段階から海外企業のM&Aを数多く行ってきた。今や全世界で1300社以上の子会社、100社以上の関連会社を抱え、連結売上高約7兆円、営業利益約685億円(2015年3月期現在)の巨大グループ企業に成長した。

日米摩擦の火種となったソニーのM&A

 80年代、ソニーは日本初のテープレコーダーをはじめ、トランジスタラジオ、トランジスタテレビ、トリニトロンテレビ、ウォークマン、ベータマッ クス、CDなど、多くの日本および世界初の製品を生み出し、世界的な企業へと成長した。そんな中、同社はM&Aにおいても積極的かつ大胆な攻勢を 仕掛けていった。

 有名なのは80年代後半の米国CBSのレコード部門(以下、CBSレコード)の買収と、米国・コロンビア・ピクチャーズ・エンターテインメント(以下、コロンビア・ピクチャーズ)の買収である(表「ソニーが行った主なM&A」参照)。当時日本はバブル経済真っただ中。米国にとって日本の存在は脅威となっていた。そんな時期の巨額買収であったため、この二つのM&Aは大きな注目を浴びることとなった。

 CBSは米国の三大放送ネットワークの一つであり、CBSのレコード部門を担うCBSレコーズは、世界56カ国80社の子会社と、14カ国の製造拠点を有する会社であった。ソニーはCBSレコーズを2700億円で買収することにより世界最大のレコード会社となり、当時の日本企業としては史上最高の買収額であった。

 そして、そのわずか1年10カ月後、コロンビア・ピクチャーズをCBSレコーズの買収金額をさらに上回る約5200億円で買収する。

 コロンビア・ピクチャーズは、保有する映画ライブラリーが2700タイトルを超え、テレビ番組の制作・配給でも2万3000作品以上を有するなど米国の名門映画会社であった。この買収は業績が伸び悩むコロンビア・ピクチャーズ側と、AV分野で世界的なソフト事業会社を目指すソニー側との利害が一致したM&Aであったといわれている。

 しかし、これらの米国のエンターテインメントを代表する企業を買収したことで、一部の米国人から「ソニーは米国の魂を金で買った」という批判的な声もあり、ソニーの進めるソフト戦略と、現地化・国際化戦略のためのM&Aが日米摩擦の火種となった。

■ソニーが行った主なM&A

年月 内容
1987.11 米国三大放送ネットワークの一つ、CBSから同社のレコード部門であるCBSレコード(SME現在のソニー・ミュージックエンタテイメント)の株式100%を約2700億円で買収する
1989.8 スパッタリングやエッチング装置など半導体製造装置と高純度合金メーカーのマテリアルズ・リサーチ(米国)の株式100%を約85億円で買収
1989.9 米国・大手映画会社のコロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメントの株式99%を約5200億円で買収
1989.9 米国の劇場映画およびテレビ番組の制作会社であるグーバー・ピーターズ・エンタテイメントを約260億円で買収
1996.1 子会社のソニー・コーポレーション・オブ・アメリカとマイケル・ジャクソン氏が折半して設立した音楽出版会社ソニーATVミュージックパブリッシングに出資、版権などを活用
1996.5 米国のデジタル地図ソフト制作で最大手のエタックを買収
1998.9 自己破産した大倉商事の子会社でCSデジタル放送の中国語専門チャンネル運営会社、大富(東京)の株式の90%を取得
2000.12 ソニーとオーストラリアのニューズ・コーポレーションは、衛星放送映画専門テレビ局のスター・チャンネル(東京)に資本参加
2001.4 ソニーとスウェーデンの通信機器大手エリクソンは、折半出資で合弁会社、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズを設立し、携帯電話の端末事業を統合
2001.9 「So-net」を運営するソニーコミュニケーションネットワークは、ジャストシステムの全額出資のウェブオンラインネットワークスの株式100%を約18億円で買収
2002.2 子会社のアイワの株式61%を株式交換(約158億円相当)により完全子会社化
2002.4 ソニーコミュニケーションネットワークは、エイチ・アイ・エスの子会社のスカイゲート(航空券やホテルのインターネット自動予約を手掛ける)の株式81%を取得
2003.6 中国の放送機器ソフト会社、成都策貝数碼の株式67%を約21億円で取得。中国企業に対する買収の条件緩和を定めた暫定規定が3月に公布されて以降、初の外資系企業によるM&Aとなる
2003.10 子会社のソニー・ミュージックエンタテインメントは、エイベックスなどと共同出資で設立した音楽配信システム開発のレーベルゲートの株式66%を取得
2005.11 株式の55%である約1500億円を出資し、NECと光ディスク駆動装置(ドライブ)事業に係る新会社を設立し、両社事業を統合
2006.1 コニカミノルタホールディングス傘下で、写真感光材料など製造を手掛けるコニカミノルタフォトイメージングの株式を約200億円で取得。デジタル一眼レフ事業の一部資産を譲り受け
2006.8 ソニーの映画部門、米国ソニー・ピクチャーズエンタテインメントは、映像投稿サイト運営世界第2位の米国グルーパーの株式を約75億円で取得
2006.12 リテール事業群(ソニープラザ、ソニー・ファミリークラブ、B&Cラボラトリーズ、マキシム・ド・パリおよびライフネオ)の持ち株会社スタイリングライフ・ホールディングスを設立し、同社株式の51%を日興プリンシパル・インベストメンツに譲渡
2007.1 マネックス・ビーンズ・ホールディングスの普通株式2.7%を売却
2007.6 歌手のマイケル・ジャクソン氏と折半出資して設立した音楽出版の米国・ソニーATVミュージックパブリッシングが、米国のメディア大手・バイアコムの音楽出版部門であるフェイマス・ミュージックの株式を約450億円で取得
2007.9 豊田自動織機とモバイル機器向け低温ポリシリコンTFT液晶ディスプレイパネルの製造を行う合弁会社2社、エスティ・エルシーディーとエスティ・モバイルディスプレイを経営統合し新会社を設立
2008.6 米国の楽曲情報の検索管理ソフト最大手・グレースノートの株式100%を約269億円で買収
2008.8 ドイツのメディア大手・ベルテルスマンとの折半出資会社だった音楽ソフト世界第2位のソニーBMGミュージックエンタテインメントの株式を50%から100%へ追加取得、約970億円で買収。
2008.11 ソニーの子会社ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントは、通信衛星デジタル放送のミステリチャンネルの株式100%を取得
2009.6 エプソンイメージングデバイスが推進する中・小型TFT液晶ディスプレイ事業に関する事業資産の一部を、ソニーおよびソニーモバイルディスプレイに無償譲渡
2009.7 大型液晶パネルおよび液晶モジュールの製造・販売事業を行うシャープディスプレイプロダクトの株式34%を約100億円で取得、資本参加
2009.9 傘下で米国における液晶テレビの生産を行うソニーバハカリフォルニアの株式90%を台湾の鴻海精密工業に譲渡
2010.1 ソニー・エレクトロニクスは、法人向け映像ソリューションの主要プロバイダーである米国CMS社を買収
2010.1 100%子会社で計測機器事業を行うソニーマニュファクチュアリングシステムズの株式100%を森精機に約60億円で譲渡
2010.2 米国・細胞分析ベンチャーの米国・アイサイトの株式100%を取得
2010.3 ソニー・ピクチャーズエンタテインメントは、中南米でプレミアム有料テレビ事業を営む合弁会社HBO Latin Americaの持ち分の一部および関連する権利を米国・タイム・ワーナーの関連会社に株式21%を約197億円で譲渡
2011.2 東芝およびソニー・コンピュータエンタテインメントとの合弁会社である長崎セミコンダクターマニュファクチャリング(以下、NSM)が操業する東芝所有の半導体製造設備を東芝から譲り受け。NSMの株式60%を530億円で取得
2011.2 ソニー中国は、エプソンの100%子会社であり、中国にて中・小型TFT液晶ディスプレイの生産を行っているSuzhou Epsonの株式100%を約97億円で買収
2011.3 ソニー・ヨーロッパは、英国のベンチャーでスポーツ判定サービスのホークアイの株式100%を取得
2011.4 シャープが建設中の第10世代液晶パネル工場を分社化して4月に設立する新会社に、株式の34%、100億円出資し資本参加
2011.9 米国・診断機器開発ベンチャーのマイクロニクスの株式100%を取得
2011.10 スウェーデンの通信機器メーカー、エリクソンとの折半出資会社で携帯電話開発・製造のソニー・エリクソンの株式を約1110億円で50%から100%に追加取得し買収
2011.12 ソニーと韓国サムスン電子との同国合弁会社で液晶パネル製造のS-LCDの株式49%を韓国サムスン電子に約750億円で譲渡
2012.8 ソネットエンタテインメントの普通株式および新株予約権を公開買い付けにより株式の37.64%を約548億円で取得
2012.10 オリンパスの第三者割当増資を引き受け、株式の約4.36%を約190億円で取得
2012.10 米国のマイケル・ジャクソン氏の遺産管理財団と共同で新会社を設立し、英国の音楽大手のEMIが音楽出版事業を分割して設立するEMI Music Publishingの株式100%を約1700億円で買収
2013.1 米国ニューヨーク州ニューヨーク市マジソン・アベニュー550番地の米国ソニー本社ビルを、ニューヨーク市を拠点に同市その他米国の主要な不動産市場において商業資産を保有するThe Chetrit Groupを主なメンバーとするコンソーシアムに約987億円で譲渡
2013.2 子会社のエムスリーについて、保有する同社株式の6.0%を約142億円でドイツ証券に譲渡
2013.3 所有するオフィスビル「ソニーシティ大崎」(東京都)の敷地・建物につき信託設定の上、その信託受益権を日本ビルファンド投資法人および国内機関投資家1社に約1111億円で譲渡
2013.3 保有するディー・エヌ・エーの株式13.14%を約435億円で野村證券に譲渡
2013.4 オリンパスとの医療事業合弁会社として、「ソニー・オリンパスメディカルソリューションズ」を設立。ソニーの出資比率は51%
2014.2 ソニーの米国孫会社で世界最大級の楽曲・映像関連データ事業を手がけるグレースノートの株式100%をメディア大手の米国トリビューンに約178億円で譲渡
2014.3 保有する御殿山テクノロジーセンターのNSビル、4号館の土地および建物を、住友不動産に約161億円で譲渡
2014.3 保有する御殿山テクノロジーセンターのうち5号館の土地および建物を、住友不動産に約70億円で譲渡
2014.3 VAIOブランドを付して運営するPC事業を日本産業パートナーズに譲渡することに関する意向確認書を締結
2014.4 ソニーの100%子会社であるSCEI(ソニー・コンピュータエンタテイメント)は、同社が保有するスクウェア・エニックス・ホールディングスの株式の全部を153億円でSMBC日興証券に譲渡
2014.4 ソニーコミュニケーションネットワークは、商品売買仲介サイト運営のエニグモの株式33%を約6億円出資し資本参加
2014.7 有機ELディスプレイ事業に関連する人員その他の資産(装置や関連特許含む)および負債をJOLEDに承継
2014.12 ソニーグループが営む日本、タイおよびマレーシアのロジスティクス事業に関して、三井倉庫の出資を受け入れ合弁事業を開始することについて合意。事業を営むソニーサプライチェーンソリューションの株式66%を約180億円で三井倉庫に譲渡
2015.2 ソニー・コンピュータエンタテインメントは、傘下でオンラインゲーム会社の米国・ソニーオンラインエンタテインメントの株式100%を米投資運用会社コロンバス・ノバに譲渡
2015.10 デバイス分野の主力事業である半導体事業、バッテリー事業、ストレージメディア事業において、それぞれが事業環境の変化に迅速に対応し発展していくために、ソニーセミコンダクタソリューションズを設立
2015.10 距離画像センサー技術を保有するベルギーのソフトキネティックシステムズを買収
2015.12 東芝が所有する一部の半導体製造関連施設、設備およびその他関連資産をCMOSイメージセンサーの製造に使用する目的で、約190億円で買収
2016.1 LTE通信向けモデムチップ技術を保有するイスラエルのAltair Semiconductor(アルティア社)を約250億円で買収

放任主義がM&Aを成功させた

 90年代に入ると、日本の大企業がバブル経済期に買収した外国企業の経営のほとんどが失敗に終わり、90年代後半にかけて後処理に追われることとなる。

 ソニーにおいても、90年代中盤にかけて有利子負債が増加していくとともに、80年代に行った2つの巨額買収ののれん償却の影響もあり、95年3月期には1666億円の営業損失を計上している。

 しかしながら、多くの日本企業が海外でのM&Aを失敗させた中、ソニーは自社の持つハード技術と買収した企業のソフト技術とを融合させることに成功しており、それが90年代の同社の経営を支えた。

 特にCBSレコーズとコロンビア・ピクチャーズとのシナジー効果は大きく、ソニーが得意とする音響・映像機器、デジタル処理技術などのハード技術と、CBSレコーズやコロンビア・ピクチャーズが持つ音楽、映像分野のソフト技術はソニーの中核事業として融合した。

 同社がこれらのM&Aを成功させた理由として、放任主義を徹底して行ったことが挙げられる。それまで日本企業は、「金は出すが、口は出さない」というスタイルが一つの特徴だった。それがバブル経済期には、世界的に日本的経営が優れているとされ、買収した企業に対しても日本的経営の押し付けが目立った。しかし、ソニーはあくまで長期的視点に立ってよい経営はよいと認め、取り入れるスタンスを貫いた。

グループ内のシナジーをフル活用したゲーム事業への参入

 技術革新により新しいメディアが生まれ、コンピューターや通信、テレビなどの家電が一体化したマルチメディアの時代になり、ますますハードとソフトのシナジーを必要としていった。

 そんな中、家電などのハードと音響・映像ソフトの両方を持つソニーはゲーム分野に進出した。93年11月、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME(J))とソニーの共同出資により、家庭用ゲーム機およびそのソフトウエアの開発・販売・ライセンス業務を行う「ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)」を設立した。

 そして設立1年後、同社が持つハード技術と音響・映像などのソフト技術を融合し完成させた「プレイステーション」は、わずか発売後1年半で累計出荷台数が全世界で500万台を突破した。膨大な開発費により長期借入金は増加傾向にあるが、一つのモデルがこれだけ短期間に大量に販売されたのはソニーの中でも記録的なものであり、95年の経営悪化からV字回復を果たすきっかけとなった。

最盛期からの衰退

 90年代、ソニーは早くからインターネットの可能性と同社の持つ家電などのハードの技術と、音響・映像などのソフト系の技術とをつなげる重要性を認識していた。00年になると世界はITバブルに沸き、同社も早くからインターネットと連携させた製品づくりを行っていたことが功を奏し、過去最高の業績を記録した。

 しかし、00年をピークにITバブルの崩壊とともに同社の業績も急速に悪化し、これまでのような革新的な製品を生み出せなくなってくる。第三四半期決算発表時に03年度通期の業績予想の下方修正を発表すると、株式市場ではその後数日間ストップ安が続き、その影響が日本の株式市場全体に波及するという「ソニーショック」が起こった。

 00年以降、ソニーが急速に衰えたのは、かつて自社開発し大ヒットした製品にこだわり続けるあまり、時代の流れに沿った製品開発を行わず他社に遅れを取ったためと言われている。特にそれを顕著に表しているのが、同社の主力事業である音楽事業とテレビ事業である。

 当時、ソニーは世界最大のCD生産企業であり、CDやMDのウォークマンもヒットしていた。ところが、そこに米国・アップルのiPodが登場する。01年に販売したこの革命的な製品はたちまち世界中のユーザーを魅了することとなる。iPodはハードディスク型のデバイスであり、その登場はすなわちCDやMDを無用のものに追いやることになり、同時にソニーに対してCDとMDの売り上げからの決別という決断を突きつけることになった。

 市場の変化は、マイケル・ジャクソンなどの世界的アーティストを多数抱えるソニー・ミュージックにも押し寄せる。インターネット配信によりネット上で楽曲をバラ売りするようになり、収益源となる著作権を音楽配信の中でどう守っていくのかという問題に直面した。

 テレビ事業においても、当時ブラウン管でありながらフラット画面を実現した「WEGA(ベガ)」シリーズが世界的に大ヒットしており、同社としてはいずれブラウン管から液晶やプラズマになるとは理解はしていても、利益が上がっているものを捨て、不確実で巨額投資を伴う製品の開発をためらっていた。

こうしたことから、ソニーは時代の流れに沿った製品開発に出遅れ、主力のエレクトロニクス事業の売り上げを徐々に減らし、赤字が続くようになる。そして、全体では売上高こそ一時的に伸びているものの、営業利益など、財務の健全性は損なわれていった。

エレクトロニクス事業の不振を支える金融事業

 エレクトロにクス事業が低迷する中、同社の収益源となったのが金融事業である。

 「ソニー生命」「ソニー損保保険」「ソニー銀行」などを傘下に持つソニーフィナンシャルホールディングスは、リーマン・ショック時を除いて安定的に収益を生み出している(図表1、図表2)。実は、こういった金融事業をソニーグループの一つとして取り入れることは創業者の一人である盛田昭夫氏の夢でもあった。

 ソニーは70年代からハード部門とソフト部門を会社の両輪として拡充させることを目指していたが、それに加え、盛田氏は金融事業を持つことの重要性を感じていた。それは資金調達のためだけではなく、企業の信用性やバランスを保つ重要な存在になると考えていたためである。現在のソニーは「金融会社」だと冷やかされることもあるが、エレクトロニクス事業に苦戦する同社にとって、金融事業は自社のバランスを保つ重要な存在となっている。

■06~15年セグメント別売上高(図表1)

出典:ソニーホームページ「IR資料室 業績発表文」(http://www.sony.co.jp/SonyInfo/IR/library/er.html)より編集

注)モバイル・プロダクツ&コミュニケーションやホームエンタテインメント&サウンドなど、名称が途中で変更されている事業については、各決算期において比較を容易にするため、ゲーム事業、音楽事業に該当する売上高を差し引いたものをエレクトロニクス事業としている。

■06~15年セグメント別営業利益または損失(図表2)

出典:ソニーホームページ「IR資料室 業績発表文」(http://www.sony.co.jp/SonyInfo/IR/library/er.html)より編集

注)モバイル・プロダクツ&コミュニケーションやホームエンタテインメント&サウンドなど、名称が途中で変更されている事業については、各決算期において比較を容易にするため、ゲーム事業、音楽事業に該当する営業利益(損失)を差し引いたものをエレクトロニクス事業としている。

経済危機がソニーのM&Aを促す

 低迷したソニーをさらに追い込んだのが08年のリーマン・ショックをはじめとする経済危機だった。当時、リーマン・ショックをきっかけとした世界的不況と相まって、ギリシャ・ショック、極端な円高、東日本大震災と、立て続けに日本経済は危機的状況にひんし、同社だけでなく日本企業にとって非常に苦しい環境となった。こうした中、ソニーは家電業界ではかつて考えられなかったようなM&Aや企業提携を次々に行った。

 例えば、11年のシャープの液晶テレビ工場への出資、東芝、日立と共同出資でジャパンディスプレイを設立、12年のソニーとパナソニックによる、テレビ・大型ディスプレイ向け次世代有機ELパネルおよびモジュールの共同開発などである。特にソニーとパナソニックはこれまでライバルとして技術を競い合ってきた企業であるにも関わらず、共同開発に踏み切ったことは歴史的な出来事であるとまで言われた(ただし、13年には提携解消)。

分社化により経営転換を図る

 リーマン・ショックや東日本大震災を経て市場は落ち着きを取り戻したものの、ソニーはその間もエレクトロニクス事業の赤字に苦しんでいた。11年3月期と13年3月期こそ改善の兆しが見えたが(図表11〉、14年3月期には再び業績が悪化している。14年3月期には、傘下のエムスリーの株式、米国本社ビル、ソニー発祥の地である東京・品川のNSビル本社跡地、ディー・エヌ・エー株式の売却益を含めても最終赤字となっている。また、エレクトロニクス部門は3期連続赤字となった。

 ソニーのような多くの事業を持つ複合企業には、「コングロマリット・ディスカウント」と呼ばれる現象があり、個々の事業がいかに強くても、足の引っ張り合いやもたれ合いによって全体の経営効率を押し下げる現象が起きる。

 ソニーはかつて家電、音響・映像など、それぞれの事業を関連付けることでシナジー効果を発揮し、大ヒット商品を生み出してきた。そういった経験から事業の切り離しに踏み切れず、不採算事業のスリム化がなかなか進まなかった側面がある。

 しかし、14年3月期に不採算事業や保有資産の売却を行うなど手元資金を増加させ(図表3)、それを好調な分野へ集中投資するという戦略が見受けられるようになった。そして、15年2月の中期経営方針では、全ての事業を分社化する方針を明らかにし、これまでの規模を追求してきた戦略から利益重視の経営を徹底すると表明した。

■06~15年業績推移(図表3)

出典:ソニーホームページ「IR資料室 ヒストリカルデータ 2001年度~2010年度、2011年度~2015年度 P/L」より(http://www.sony.co.jp/SonyInfo/IR/library/historic...


■06~15年自己資本比率・現預金・長期借入金の推移

出典:ソニーホームページ「IR資料室 ヒストリカルデータ 2001年度~2010年度、2011年度~2015年度 B/S」より(http://www.sony.co.jp/SonyInfo/IR/library/historic...


構造改革を経たソニーの今後

 ソニーが16年1月29日に発表した15年4~12月期の連結決算は、売上高が前年同期比0.1%増の6兆2,816億円、営業利益が2.3倍の3,870億円、最終損益が2,361億円の黒字(前年同期は191億円の赤字)となった。4~12月期で営業利益が2,000億円を超えるのは8年ぶりとなった。

 復活の先導役となっているのは、スマートフォンやデジタルカメラに用いられるイメージセンサー事業と、プレイステーションが主体のゲーム事業である。ソニーは各事業の位置付けを明確化し、これらの分野を「成長牽引領域」と位置付けている。

 特に世界シェア首位のイメージセンサーに関しては、15年7月に実施した公募増資などで得た4,200億円を原資に、生産能力を約5割拡大させるなど、積極的な設備投資を行っている。また、同年12月には東芝のイメージセンサー生産設備の買収を行い、集中的な投資を行っている。

 ようやく復調となりつつあるソニーではあるが、中国の景気減速懸念や資源価格の下落による新興国の購買力の低下、日本国内の景気減速懸念など外部のリスク要因は多い。また、東芝の不適切会計やシャープの経営支援要請(※)など、業界他社の波風は当分収まりそうにない。

 こうした環境下では、80年代に行った巨額買収のような大胆なM&Aは難しく、むしろ当面のソニーに求められているものは、リスクを極力回避した緻密な経営と、不採算部門を切り売りするM&Aといえるのかも知れない。

今後、立て直しの経営から攻めの経営へと移行し、大胆なM&Aや革新的製品の開発などにより、かつて「世界のソニー」や「ソニー神話」といわれたように、再びソニーが脚光を浴びることを期待したい。

この記事は、企業の有価証券報告書などの開示資料、また新聞報道を基に、専門家の見解によってまとめたものです。

まとめ:M&A Online編集部