福岡ソフトバンクホークスが2018年10月27日からの日本シリーズで、9回目(日本シリーズ出場は18回目)の日本一を目指す。初対戦となる広島東洋カープを下すと、セ・リーグの全チームから勝ち星を上げることになる。南海からダイエー、ソフトバンクと2回のM&Aを経て、今年球団設立80年を迎えた福岡ソフトバンクホークスとは、どのような球団なのか。歴史を振り返ってみると・・。
福岡ソフトバンクホークスのルーツは1938年に設立された南海軍(南海鉄道が親会社)にさかのぼる。南海の寺田甚吉社長が阪神の細野躋氏や阪急の小林一三氏らから設立を勧められ、産声を上げた。その後1988年にダイエーが南海から球団を買収し、さらに2005年にはソフトバンクがダイエーから球団を買収し、現在の福岡ソフトバンクホークスが誕生した。
球団設立当時の本拠地は大阪府堺市の堺大浜球場で、人員は監督と選手を合わせて14人と少なかった。1939年に本拠地球場として中百舌鳥(なかもず)球場が完成したが、公式戦は阪急西宮球場や阪神甲子園球場で行われていた。
1944年には戦時企業統合政策により南海鉄道は関西急行鉄道と合併して、近畿日本鉄道になったことに伴い、球団名も近畿日本軍に改称した。1947年には旧南海鉄道の事業が近畿日本鉄道から南海電気鉄道へ譲渡され、球団の親会社も南海電気鉄道へ移行したことに伴って球団名を南海ホークスに改めた。
1949年にセ・リーグとパ・リーグの2リーグ制となり、パ・リーグに所属。その2年後の1951年にリーグ初優勝を達成した。しかし日本シリーズでは巨人に敗退。さらに1952年、1953年もリーグ優勝を果たしたものの、やはり日本シリーズでは巨人に敗退。3年連続で日本一を逃した。
1956年、1957年、1958年の3年間は、西鉄(現西武)と首位争いを演じたものの、いずれも西鉄が優勝。南海の杉浦忠投手、西鉄の稲尾和久投手の投げ合いで盛り上がった。
1959年には大毎との優勝争いとなり、4年ぶり5回目のリーグ優勝を決め、日本シリーズで巨人と対戦。5回目でようやく初の日本一を達成した。だが、1961年には2年ぶり6回目のリーグ優勝を決めたものの、日本シリーズでは巨人に破れた。
1964年に4年ぶり7回目のリーグ優勝を決め、日本シリーズでは阪神と対戦し、2回目の日本一を達成。その後1965年、1966年、1973年にもリーグ優勝を飾るものの日本シリーズでは、またもや巨人に敗退。巨人アレルギーがすっかり定着した。
その後はリーグ最下位を何度も経験するなど苦しい時代を過ごし、球団創立50年の1988年にはダイエーが球団を買収した。成績が振るわず不採算となった球団を売却しようとする南海側と、福岡の再開発事業の目玉に球団を据えるダイエー側の思惑が一致した。福岡の平和台球場が本拠地となり、球団名は福岡ダイエーホークスに改められた。
福岡は何度もリーグ制覇をかけて戦った西鉄ライオンズの本拠地だったため当初、西武戦では西武ファンの方が多い日もあった。しかし次第に埼玉に本拠を移した西武よりも、地元のダイエーを応援するファンが増えていった。
1994年には元巨人軍の王貞治氏が福岡ダイエーホークスの監督に就任した。当時ダイエーの社長だった中内功氏は記者から王監督の年俸を問われ「1本(1億円)を下回ったら王さんに失礼でしょう」とやんわりと質問をかわしていた。
ただ成績は振るわず、1998年まで5年連続でBクラスに甘んじた。1999年にようやく福岡移転後初のリーグ優勝を達成し、日本シリーズでも中日を下し、3回目の日本一となった。2000年にはリーグ2連覇を達成し、日本シリーズでは長嶋茂雄監督の巨人と対戦。「ON対決」となったものの、またしても巨人に敗退した。
2003年に3年ぶりのリーグ優勝を果たし、日本シリーズでは阪神を下し、4年ぶり4回目の日本一となった。
2005年に経営難に陥ったダイエーからソフトバンクが球団を買収。球団名が現在の福岡ソフトバンクホークスになった。2010年に7年ぶりに、福岡ソフトバンクホークスとなって初のリーグ優勝を果たしたものの、クライマックスシリーズで敗退し、2004年、2005年に続き3回目の日本シリーズ進出を逃した。
2011年には2年連続のリーグ優勝を決め、日本シリーズで中日を下し、8年ぶり5回目の日本一となった。2014年は3年ぶり15回目のリーグ優勝を達成し、日本シリーズでも阪神を下し、6回目の日本一となった。
2015年は2年連続16回目のリーグ優勝を決め、日本シリーズではヤクルトを下し、2年連続7回目の日本一を達成。2017年には17回目のパ・リーグ優勝を決め、日本シリーズではDeNAを下し、2年ぶり8回目の日本一を達成した。
今年2018年は2位でリーグ戦を終えたものの、クライマックスシリーズを制し、日本シリーズに進出。9回目の日本一を目指して広島東洋カープと戦う。
福岡ソフトバンクホークスとなって今年で14年。この間、4回日本シリーズに進出し、いずれも日本一に輝いた。5回目の日本シリーズはどうなるだろうのか。10月27日18:30の「プレーボール」コールが待ち遠しい。(広島東洋カープ編は明日(10月28日)掲載)
年 | リーグ順位 | 日本シリーズ |
---|---|---|
1938 | 8 | 1リーグ制 |
1939 | 5 | |
1940 | 8 | |
1941 | 4 | |
1942 | 6 | |
1943 | 6 | |
1944 | 6 | |
1946 | 1 | |
1947 | 3 | |
1948 | 1 | |
1949 | 4 | |
1950 | 2 | |
1951 | 1 | 巨人に敗退 |
1952 | 1 | 巨人に敗退 |
1953 | 1 | 巨人に敗退 |
1954 | 2 | |
1955 | 1 | 巨人に敗退 |
1956 | 2 | |
1957 | 2 | |
1958 | 2 | |
1959 | 1 | 巨人を下し、初の日本一に |
1960 | 2 | |
1961 | 1 | 巨人に敗退 |
1962 | 2 | |
1963 | 2 | |
1964 | 1 | 阪神を下し、2回目の日本一に |
1965 | 1 | 巨人に敗退 |
1966 | 1 | 巨人に敗退 |
1967 | 4 | |
1968 | 2 | |
1969 | 4 | |
1970 | 2 | |
1971 | 4 | |
1972 | 3 | |
1973 | 1 | 巨人に敗退 |
1974 | 3 | |
1975 | 5 | |
1976 | 2 | |
1977 | 3 | |
1978 | 6 | |
1979 | 5 | |
1980 | 6 | |
1981 | 5 | |
1982 | 6 | |
1983 | 5 | |
1984 | 5 | |
1985 | 6 | |
1986 | 6 | |
1987 | 4 | |
1988 | 5 | |
1989 | 4 | |
1990 | 6 | |
1991 | 5 | |
1992 | 4 | |
1993 | 6 | |
1994 | 4 | |
1995 | 5 | |
1996 | 6 | |
1997 | 4 | |
1998 | 4 | |
1999 | 1 | 中日を下し、3回目の日本一に |
2000 | 1 | 巨人に敗退 |
2001 | 2 | |
2002 | 2 | |
2003 | 1 | 阪神を下し、4回目の日本一に |
2004 | 1 | リーグ1位だがプレイオフで敗退し、日本シリーズ不出場 |
2005 | 1 | リーグ1位だがプレイオフで敗退し、日本シリーズ不出場 |
2006 | 3 | |
2007 | 3 | |
2008 | 6 | |
2009 | 3 | |
2010 | 1 | リーグ優勝するがクライマックスシリーズで敗退し、日本シリーズ不出場 |
2011 | 1 | 中日を下し、5回目の日本一に |
2012 | 3 | |
2013 | 4 | |
2014 | 1 | 阪神を下し、6回目の日本一に |
2015 | 1 | ヤクルトを下し、7回目の日本一に |
2016 | 2 | |
2017 | 1 | DeNAを下し、8回目の日本一に |
2018 | 2 | リーグ2位だがクライマックスシリーズを制し、日本シリーズに出場 |
文:M&A Online編集部