NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として今年、人気を博する渋沢栄一(1840~1931)。「近代日本資本主義の父」と呼ばれ、500に及ぶ企業・団体の設立にかかわった。ドラマでも描かれたように、大蔵省を辞めた渋沢が真っ先に取り組んだのが日本初の銀行の立ち上げだ。現在のみずほ銀行の源流にあたるが、そもそも、英語の「Bank」の和訳に「銀行」の2文字がどうして選ばれたのだろう?
渋沢栄一を俳優の吉沢亮さんが演じる「青天を衝け」は、徳川の世から明治に舞台が移り、佳境を迎えている。明治新政府に請われて3年余り勤めた大蔵省を去り、渋沢が民間に下ったのは1873(明治6)年、33歳の時。この年、日本初の民間銀行「第一国立銀行」を開業し、総監役(後に頭取)に就いた。
国営銀行を思わせる名前にもかかわらず、なぜ民間銀行なのか。実は、「国立銀行」は国立銀行条例(1872年制定)に基づいて設立された銀行という意味。同じ民間出資による銀行の中でも、「国立銀行」が銀行券(通貨)を発行できたのに対し、「私立銀行」は銀行券を発行できないという違いがあった。
銀行という名前の由来となった国立銀行条例だが、その下敷きとなったのは米国の国立銀行法(National Bank Act)という法律。では、Bank(バンク)をなぜ「銀行」と訳したのか。
日本銀行HP(ホームページ)がこう説明している。翻訳にあたり、高名な学者が協議を重ね、お金(金銀)を扱う店との発想から中国語で「店」を意味する「行」を用い、「金行」あるいは「銀行」という案が有力になったが、結局、語呂のよい「銀行」が採用されたという。
国立銀行条例の制定当時、大蔵省で辣腕を奮っていたのが渋沢。それだけに、「銀行」というネーミングに何らかの関与があったことは想像に難くない。付け加えれば、通貨単位の「円」を創設した中心人物も大蔵省時代の渋沢という。
話を戻せば、国立銀行は第一国立銀行から始まり、1879年開業の第百五十三国立銀行まで153行を数えた。一方、私立銀行としては1876年に開業した旧三井銀行(現三井住友銀行)が最初だ。
もう一つ、見逃せないのは日本における外国銀行の存在。英国の香港上海銀行(HSBC)は外銀で初めて明治維新直前の1866(慶応2)年に横浜支店を開設し、近代国家への仲間入りを目指す日本を貿易や外国為替など国際金融面からサポートしてきた歴史がある。
今日、わが国唯一の発券銀行である日本銀行が創設されたのは1882年。渋沢がつくった第一国立銀行も1896年に一般銀行に改組し、「第一銀行」として再出発した。その第一銀行は戦時中の1943年に三井銀行と合併し、帝国銀行に。戦後は分割して元の第一銀行に戻り、1971年に同じ都銀中位行の日本勧業銀行と合併し、第一勧業銀行が誕生し、資金量トップに立った。
時は移り、バブル経済崩壊下の1999年、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の大手3行が経営統合した。現在のみずほ銀行(みずほフィナンシャルグループ傘下)だ。
ただ、みずほ銀行は今年だけで2月から9月にかけて大小8度のシステム障害を引き起こし、信用失墜を招いた。渋沢栄一は自ら生み出した日本初の民間銀行の行く末をどう案じているのだろうか。
文:M&A Online編集部