企業のことを知るには、企業ホームページやIR資料などをチェックするのが王道ですが、企業ミュージアムや工場などを訪れてみるのも一つの手です。
そこで、数多あるスポットの中から、大人も楽しめる社会科見学スポットを紹介します。
今回訪れたのは、大人だからこそ楽しめる「ヱビスビール記念館」。ちょっと珍しいのが、企業ではなく、その商品ラインナップのうち、一つのブランドを紹介するというところです。
2018年6月中間決算で、ビール大手4社のうち唯一減収となってしまったサッポロホールディングス<2501>。その原因の一つとして、ヱビスの苦戦が挙げられていましたが、館内には次から次へと来館者が訪れ、かなりの活気に満ちていました。
自由に見学することも可能ですが、ヱビスビールを知り尽くしたエキスパート「ブランドコミュニケーター」が案内するツアー(ビール2杯試飲付きで一人500円、ソフトドリンクの場合は一人300円)がおすすめです。
まずは、ヱビスビールの歴史を貴重な資料や映像とともにたどっていきます。特に草創期は知られざる部分も多く、思わず「へえー」となってしまうことがたくさんありました。
1887(明治20)年、日本各地に100~150ものビール醸造所ができる中、「日本麦酒醸造会社」が設立。ビール事業は設備費など潤沢な資本が必要とされるため、三井物産会社が資本参加し、1890(明治23)年にはじめて造られたのが「恵比寿ビール」です。ビールの本場・ドイツの製法にこだわったビールは、外国人からも評価が高く、瞬く間に人気商品になったといいます。とはいえ、当時のビールは1本20~30銭(3000~4000円)というから、まだまだ高級品でした。偽ビールも出回ったほどの人気だったようです。
ヱビスビールの草創期 | |
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1887年 | 「日本麦酒醸造会社」設立 |
1890年 | 「恵比寿ビール」第1号、発売 |
1893年 | 「日本麦酒株式会社」に社名変更 |
1899年 | 東京・銀座8丁目に「恵比寿ビール ビヤホール」開店 |
1900年 | パリ万国博で金賞受賞 |
1904年 | セントルイス万国博覧会でグランプリ受賞 |
1906年 | 当時のビール大手、札幌麦酒、大阪麦酒と合併し、「大日本麦酒株式会社」となる |
ヱビスビールの歴史を語る上で欠かせないのは、「東洋のビール王」と呼ばれた馬越恭平社長の存在です。1892(明治25)年、三井物産に在籍していた馬越氏は経営不振に陥った日本麦酒の社長に就任。その後、わずか1年で黒字化させ、日本麦酒を再建させたという敏腕経営者です。日本初のビヤホールを発案したのも馬越氏でした。
その後、明治20年代には100以上もあったビール醸造所も、明治30年代後半になると札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒、麒麟麦酒の4会社が激しい競争を繰り広げるように。そんな中、馬越氏は1906(明治39)年に日本麦酒を札幌麦酒、大阪麦酒と合併し、「大日本麦酒株式会社」を発足させて社長に就任。シェア7割という巨大ビール会社を誕生させ、ビール業界の発展に貢献しました。
ツアー後半は、いよいよビールの試飲です! 2種類のヱビスビール飲み比べ(おつまみ付き)。今回は、定番の「ヱビスビール」と「琥珀ヱビス」でした。
味が美味しいのはもちろんのことですが、美味しい樽生ビールの見分け方も教えてもらいました。 美味しい樽生ビールには、泡とビールの間に細かい気泡が見える「フロスティミスト」という層があるそう。飲むたびに泡を再生し、泡持ちをよくしてくれるといいます。
そして、自宅で樽生ビールの泡を再現する方法もレクチャー。缶ビールでグラスから飛び出るほどのクリーミーな泡ができるとは想像以上でした。
これからは、ヱビスびいきになってしまいそうです。
文:M&A Online編集部