【サカタのタネ】M&Aで世界にビジネスの「タネ」をまく

alt

サカタのタネは1913年7月(大正2年)に坂田武雄氏が「坂田農園」として創業した。武雄氏は帝国大学農科大学実科卒業と同時に農商務省の海外実業練習生の資格試験に合格し、渡米する。米ニュージャージー州リバートンに広大な土地を所有し、世界でも一流の苗木業者だったヘンリー・A・ドリアー(Henry A. Dreer)社で、園芸や種苗の基礎を学ぶ。海外での実業実習を終えて帰国した武雄氏は、横浜市で「坂田農園」の看板を掲げ、六角橋に50アールばかりの農地を借りて海外向けの苗木商を始めた。

若かりし日の坂田武雄氏(同社ホームページより)

苗木からタネへ

武雄氏は数名の助手を雇って苗木の輸出入事業を始めたが、苦戦が続く。唯一、1914年から始めたヤマユリやカノコユリの球根輸出に成功したぐらいだった。武雄氏は苗木に見切りをつけ、種子への転換を考える。種子なら早ければ1年後に販売した種子が優秀か分かるので、苗木より勝負が早い。良い種子を販売すれば、顧客からの信頼を短期間のうちに得られるはずだ。そう考えた武雄氏は、1916年に種子の販売に乗り出す。

数年のうちに種子事業は狙い通りの成果を出した。とりわけ米国では日本野菜の評価が高く、種子取引高も急増したため、武雄氏は1921年に再度渡米。シカゴに支店を置いた。1922年には満州(現・中国東北部)で花と野菜の種子の委託生産を始めるなど、戦前に国際化へ向けた第一歩そ踏み出していた。1927年」には国内向け通信販売カタログ「園の泉」を創刊、1931年には花きを扱う「園の泉」趣味号を創刊するなど、種子の通信販売を本格的に始めている。

再び海外市場へ

1931年に満州事変が勃発して国策としての開拓移民が増えると、満州国向けの穀物や牧草、野菜などの種子輸出が増え、販路も広がった。1942年には国策で種苗会社の企業合同が進められ、坂田商会も同年12月に解散、同業の4社と合同し「坂田種苗株式会社」として再出発し、武雄氏が社長に就任した。しかし、戦争の激化で種子輸出にも政府からの圧力がかかり始め、1945年5月の横浜大空襲では社屋が焼失する。失意の武雄社長は辞任し、山中湖の別荘に疎開した。

戦後になって経営を離れていた武雄氏が社員に乞われて社長に復帰、経営の立て直しを図る。花きの営業・販売を手がける園芸部は、販路を従来の職業栽培家から消費者を顧客とする種苗店や園芸店向けにも拡大。球根、花の種子の袋詰めや園芸資材などを販売し始めた。1950年には「直売部」を新設し、戦前に取り組んでいた通信販売を再開。園芸部が開拓した園芸愛好家向けの記事を充実させた月刊誌「園芸通信」を創刊した。1951年12月に本社1階に売店部がオープン。日本ではまだ珍しかった園芸店の走りとなり、一般消費者に園芸の楽しさを伝えるアンテナショップとして国内需要の開拓に貢献した。

園芸通信
園芸通信創刊号(同社ホームページより)

1977年、同社はサンフランシスコにサカタ・シード・アメリカ(SAI)を設立し、戦争で途絶えていた海外展開を再起動する。その後はしばらく動きはなかったが、1990年代に入ると1990年にサカタ・シード・ヨーロッパ(現・サカタ・ホランド)、1991年にサカタ・シード・チリ、1994年にはサカタ・シード・ブラジルを相次いで設立した。同年にはブラジル第2位の種苗会社であるアグロフローラ植林・農牧会社(現・サカタ・シード・スダメリカ)を買収している。

実は「厳しい」日本の気候でタネを育てる

1996年はタイにサカタ・サイアム・シード、スペインにサカタ・シード・イベリカ、フランスにサカタ・シード・フランスを設立し、英サミュエル・イェーツ社(現・サカタ・ユーケー)を買収した。1997年に韓国の青源種苗(現・サカタ・コリア)を買収して、韓国事務所を設立。1998年に中国で坂田種苗(蘇州)有限公司を設立。1999年には南アフリカのメイフォード社(現・サカタ・シード・サザンアフリカ)を買収した。

21世紀に入っても海外展開は止まらない。2001年にヨーロッパ・アフリカの統括会社としてフランスにヨーロピアン・サカタ・ホールディング(現・サカタ・ベジタブルズ・ヨーロッパ)を設立、2003年にデンマークのデンフェルト社の花き部門を買収、サカタ・オーナーメンタルズ・ヨーロッパも設立している。2005年に米クオリベジ・シード・プロダクション社を買収。2008年にインドでサカタ・シード・インディア、2011年にはトルコでサカタ・ターキーを設立している。

その結果、現在では世界170か国以上で「サカタのタネ」が販売されている。地域別の売上高では実に57%を海外市場が占める。なぜここまで急速なグローバル化が可能だったのか。そこにはサカタのタネを育んできた日本の気候風土がある。日本人には「四季があり、穏やかな気候に恵まれた日本」というイメージがあるが、実態は全く違う。梅雨、台風、夏は40℃を超え、冬に零下20℃を下回る激しい温度差、多湿など、植物にとっては非常に厳しい環境なのだ。

サカタのタネの海外売上比率
サカタのタネの海外売上比率(同社ホームページより)

新興国で「勝負」をかける

この厳しい環境で成長し、たわわに実る種子は世界中のあらゆる環境で通用する。特に人口増が著しい中国やインドといった新興国で野菜種子の需要が拡大している。中国では食の洋風化に伴い、ブロッコリーやカリフラワーなどの人気が高まっているという。

2018年4月にはベトナム・ハノイ市にアジアでは5番目の現地法人「サカタベトナム」(仮称)を設立する。経済成長で中間層が増えて現地では珍しかった野菜の消費が拡大し、種子需要も拡大していることから代理店販売から直接販売に切り替える。資本金150億ドン(約7500万円)で、日本産のブロッコリーやキャベツ、トマトなどの種子を販売するという。2022年に4億円、2027年に9億円の販売を目指す。

同月には南米第2位の野菜種子市場を抱えるアルゼンチンに、南米で3カ所目となる現地法人「サカタ・シード・アルゼンチナ」を設立する。資本金は1700万アルゼンチンペソ(約1億900万円)でサカタのタネが95%の株式を保有する。事業内容は種子の輸入・販売と試験栽培。22年に6億2000万円、2026年に9億3000万円の販売を目指す。アルゼンチンにおける野菜市場のニーズやトレンドに素早く対応するため、ベトナムと同様に代理店販売から直接販売へ切り替える。

日本国内は人口減少に伴い、野菜や花の需要は頭打ちになる。だが、新興国の種子市場を押さえることができれば、長期的な成長は間違いない。グローバル展開は収益にも寄与している。2017年5 月期の連結純利益は前期比17%増の61億円になった。ブロッコリーを中心に野菜種子の販売が欧州・アジアで成長し、過去最高益を更新している。

最大手企業ですら「買収される」種子ビジネス

そもそもサカタのタネが海外へ進出したのは、前述のように日本の気候が厳しかったためという。種子を安定供給するための適地適作を狙って米国へ進出したのだ。その後、年間通じて種子を生産するために季節が逆転する南半球へ進出。南北の種子栽培拠点で相互補完して冬の「タネ切れ」を防ぐ。

研究開発の迅速化を狙ったM&Aにも取り組んでいる。2017年10月にはヨルダンのキュウリ育種会社を買収し、子会社化した。キュウリをグローバル戦略品目と位置付け、研究開発の加速とグローバル供給体制の強化を狙う。

しかし、世界に目を転じればサカタのタネの世界シェアは2%以下で、同26.0%の米モンサントや同18.2%のデュポン・パイオニア、同9.2%のスイス・シンジェンタに比べて大きく見劣りする。人口が増加する新興国市場はこうした巨大種子販売会社が入り乱れる「激戦区」になるのは確実だ。厳しい日本の気候で開発されたサカタのタネに「質」の優位性はあるが、低価格競争に有利に働く「量」の優位性は弱い。

海外の巨大種子ビジネスとのグローバル競争で生き残るためには、単に海外子会社を新設するだけは遅い。一から市場を創り上げていかなければならないからだ。「市場ごと買い取る」M&Aによるスピーディーな海外展開とシェア確保に取り組む必要がある。

すでに種子ビジネスのM&Aは「業界内」に留まっていない。2016年9月に、農薬も手がける独バイエルがモンサントの買収を発表。660億ドル(約7兆円)に達する超大型買収で、2018年3月に欧州連合(EU)から承認を受けた。残るは米国とロシアの政府当局からの承認待ちとなっている。

モンサント
「種子の巨人」モンサントも買収される(Photo By Karen Eliot)

生き残るためには「M&Aしかない」

サカタのタネが大手種子販売業者や異業種から買収される可能性もある。同社の活躍するステージを一段階引き上げるためにも「買収される」のも悪くない決断といえる。だが、サカタのタネが自主独立してグローバル競争に生き残るには、買収を加速する必要がある。

果たしてサカタのタネは「食うか食われるか」の種子ビジネスのM&A合戦で生き残ることができるのか。その答えは数年後には明らかになるだろう。それほど種子市場の変化は大きく、速い。

サカタのタネの海外進出とM&A年表
出来事 買収
1913 創業  
1942 企業合同により「坂田種苗株式会社」を設立  
1977 サカタ・シード・アメリカ(SAI)を設立  
1986 「株式会社サカタのタネ」に社名変更  
1987 東京証券取引所市場第2部に上場  
1990 サカタ・シード・ヨーロッパ設立  
東京証券取引所市場第1部に上場
1991 サカタ・シード・チリ設立  
1994 サカタ・シード・ブラジル設立  
  アグロフローラ社(ブラジル)買収
1996 サカタ・サイアム・シード(タイ)設立  
  サカタ・シード・イベリカ(スペイン)設立  
  サカタ・シード・フランス設立  
  サミュエル・イェーツ社(イギリス)買収
1997 青源種苗を買収し、韓国事務所を設立  
1998 坂田種苗(蘇州)有限公司(中国)設立  
1999 メイフォード社(南アフリカ)買収
2000 青源種苗をサカタ・コリアに改称  
2001 ヨーロッパ・アフリカの統括会社としてヨーロピアン・サカタ・ホールディング(フランス)設立  
  アグロフローラ社をサカタ・シード・スダメリカに改称  
2002 サミュエル・イェーツ社をサカタ・ユーケーに改称  
2003 デンフェルト社(デンマーク)の花き部門を買収
  サカタ・オーナーメンタルズ・ヨーロッパ設立  
  ヨーローピアン・サカタをサカタ・ベジタブルズ・ヨーロッパに改称  
2004 サカタ・シード・ヨーロッパをサカタ・ホランドに改称  
2005 クオリベジ・シード・プロダクション社(アメリカ)を買収
2008 メイフォード社をサカタ・シード・サザンアフリカに改称  
  サカタ・シード・インディア(インド)設立  
2011 サカタ・ターキー(トルコ)設立  
2018 サカタベトナムを設立  
  サカタ・シード・アルゼンチナ(アルゼンチン)を設立  

文:M&A Online編集部

この記事は企業の有価証券報告書などの公開資料、また各種報道などをもとにまとめています。