【これからM&Aをする人に】とっておき情報  社労士・中小企業診断士の資格を持つ税理士が見てきたものとは(上)

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極秘で進められる事業譲渡計画

  M&Aでは経営者によるスピーディーな意思決定と行動が求められる。買い手企業も売り手企業も水面下で経営者同士または少数の幹部を交えた交渉が行われる。こうした情報は洩れると経営に良くない影響が出るためだ。

 そのためM&Aが決定した際に社員に話をする段階では、社員全員、寝耳に水の話となる。 「社名は変わるが社員の皆さんの仕事は今まで通りです。基本的な雇用条件も仕事の内容も変わらないので安心して下さい。これからの世の中は守りの姿勢では会社は生き残れない、常に攻めの姿勢を持ち続けなければ現状維持さえ難しい。共に新しい目標に向かって頑張っていきましょう」  

 買収初日、買い手企業の経営者は、売り手企業の社員に対してこういったような話をすることが多い。力の強い会社から自社が買収されて、この先どのように扱われるかわからない、といったような社員の不安な思いを払拭することが最初の仕事となる。

  M&Aでは、買い手と売り手双方の事業が補完関係にあり、統合した場合は十分なシナジー効果が期待できるか否かといった視点が重要であるが、売り手企業側の社員の気持ちが離れてしまわないように気配りすることも大切だ。借金してまで会社を買ったは良いが、会社を買った途端に重要な技術やノウハウを持つ有力な社員が退社してしまって、会社という箱だけ残ったというようなことは避けたい。

  M&A後、買い手企業の経営者は、譲渡企業の会社を頻繁に訪れて社員との意思疎通を深めることが大切になる。私が以前からお付き合いのある機械部品メーカーの経営者の場合は、新しい社員に向かってこう言った。 「この会社は絶対つぶさない。俺を信じてついてきてほしい」。新経営者としてのファーストコンタクトは、細かいことよりもまず大きな方向とか、明確なビジョンを打ち出すことが重要だ。

現場をまとめるのは覚悟がいる

  中小企業の中でも積極的にM&Aを仕掛けている企業が増えている。譲受価格をできるだけ抑えたうえで、コスト削減を徹底し、かつ現場のモチベーションをアップさせて譲渡企業の事業を再生することに長けている経営者がいる。

  製造業の場合に限らないが、こうした経営者は現場をみる観察力が抜きん出ている。素人的な発想を厭わず、エンドユーザーから見たベネフィットをとことん考える。どうしたら、より良くより安くできるか、という着眼点にこだわる。製造現場における工程飛ばしの発想である。

  私がかかわったある食品関連メーカーでは、業績不振に陥った会社をテコ入れする時に、一つの事業部門で採用する社員数は、25~30人程度までと腹の中で決めていた。優秀な社員は残し、勤務歴は長くとも事業の発展に貢献できない社員は、いなくなってほしいというのがその経営者の本音である。

  悪貨は良貨を駆逐する。悪い芽は新会社には要らないし、今のうちに切り取ってしまわないとシナジー効果など出てこないと考えている。M&Aはボランティア精神ではできない。買い手側の経営者としては、現場をまとめるには覚悟がいるのである。

  M&Aを成功させる経営者は部下に対する指導力がある。社員が勝手に動けるように気付きを与えることがうまい。やはり以前からお付き合いのある工具類関連メーカーの経営者は、同業種の地方工場を取得した時に、連続4日間、工場の社員教育に立ち会った。最初の3日間はマナーやルールの遵守をはじめ、無駄の少ないモノづくりの手法などを徹底して教え込んだ。

  工場現場では社員に整理整頓や通路や壁のペンキ塗り、トイレ掃除などを指示。作業するエリア、製品が移動するエリア、保管するエリアなど、モノの置き場や作業場所を明確に表示することが大事だとも教えた。

  そして4日目はわざと席を外した。社員自らに考えさせるためだ。社員は3日間で学んだことを振り返りながら真剣に考え始めた。間仕切りやレイアウト変更などを創意工夫し、そのうちホームセンターで調達してきた部材を使って工場をどんどん変えていった。

工場が変わると社員の意識も変わる 

 工場が変わるとそこで働く社員の意識も変わる。今度はどうやって改善しようかということになる。到達すべき目標が明確になると、そこから逆算思考で現場の工夫が始まる。なんでもチャレンジする精神が定着してくると、いろんな治具や移動用ワゴン、作業台などを社員の身の丈目線で工夫し、機械設備やラインを作り始める。

  この経営者は現場においてこうした地道な作業を嫌がらないで、きちんとできる人を工場幹部に抜擢した。率先して努力し工夫する人物に人はついてくる。その持ち場で最善で最高の仕事をして、コツコツ努力している社員が現場の健全性を支えているからである。(次回は3月14日掲載)

 文:大野 健司