【沖縄銀行】B円設立で、令和に持ち株会社体制に移行|ご当地銀行の合従連衡史

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沖縄銀行のロゴやキャラクターでラッピングされた県都市交通「ゆいレール」(写真・ケイ / PIXTA)

1956年6月、アメリカ統治下の沖縄に設立された沖縄銀行<8397>。銀行業務がスタートしたのは、同年7月で、資本金は3000万B円。B円とは、アメリカの統治下にあった沖縄県で1945年から1958年9月まで通貨として流通したアメリカ軍発行の軍用手票(軍票)のことである。

他県の、いわゆる“2番手地銀”は相互銀行の流れを汲む第2地銀が多い。だが、沖縄銀行は相互銀行がもとになっているのではなく、純然たる地銀として設立された。

ただし、そのM&Aは相互銀行との間で実施してきた。1963年に三和相互銀行の営業を譲り受け、翌1964年には東洋相互銀行と合併、さらに1971年には南陽相互銀行との合併を果たし、現在に至る。なお、沖縄銀行のM&Aに関わったこの3行は、いずれも本店を沖縄に置いていた金融機関だった。

「戦後地銀」のようで、「戦後地銀」ではない!?

地元有力財界人らの主導のもとに創立した沖縄銀行は、第二次大戦後に設立された、いわゆる〝戦後地銀〟の一つといえるのかもしれない。ただし、戦後地銀を定義すると、「戦前・戦中期に国が実施した1県1行主義が戦後の復興資金の流通には十分な機能を果たせなかったため、政府が金融体制の見直しを迫られ、主に地域の中小企業者などに資金を供給して金融の円滑化を図ることを目的に、1950年から1954年にかけて全国に設立された地方銀行」ということになる。当時、全国に12の地銀が設立されたが、この12行に沖縄銀行は含まれていない。沖縄銀行が日本の銀行法による免許銀行となったのは、沖縄の本土復帰に伴う1972年5月のことだった。

設立後すぐに独自路線を貫き、信託業務をスタート

アメリカの統治下にあった沖縄で中央銀行的色彩の濃い特殊銀行としては、1948年5月に設立された琉球銀行がある。対して沖縄銀行は独自路線をとっていたこともあり、“負けてはいなかった”。県指定金融機関は琉球銀行との隔年ごとの受託となっており、県下多くの自治体の指定金融機関も受託している。

また、沖縄銀行の特徴として信託業務を早くから併営している。設立後間もない1959年5月に信託業務をスタートした。最近では「ゆとり」と称する金銭信託を営んでおり、「長期の預入れで着実にふやす財産プラン」の証書式と、「毎月積み立て、将来の学費、結婚、住宅などのまとまった資金に使える」追加式を用意している。

単独での持ち株会社に移行し、非金融サービスも積極的に展開

2021年10月、沖縄銀行は同行の単独株式移転により持ち株会社体制に移行し、「おきなわフィナンシャルグループ」を発足させた。持ち株会社としては証券会社などを傘下に収め、「総合金融サービスグループから、金融をコアとする総合サービスグループへ進化し、地域の課題を金融サービス、非金融サービスの両面で解決していく」としている(同行2021.05.14リリースより)。

沖縄銀行は2020年11月に「おきぎんBig Advance」という経営支援プラットフォーム事業を始めている。今後、おきなわフィナンシャルグループとしても、そのサービスを充実させていくであろう。現在、おきぎんBig Advanceでは、金融機関の枠を越えた全国規模のビジネスマッチングから、会社ホームページの作成、従業員向けの福利厚生サービス、士業相談など、幅広いサービスを提供している。

文:菱田 秀則(ライター)