ホテル事業の再生なるか? 旧奈良監獄|産業遺産のM&A

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旧奈良監獄…アーチ型の入口と両脇に円筒を備えたロマネスク様式の表門

JR奈良駅の北東、若草山と、桜並木で有名な佐保川を隔てた高台の住宅地に、巨大な明治期のレンガ建築群がそびえ、広がっている。明治政府が国の維新をかけて近代化を進めた監獄、通称「旧奈良監獄」である。2021年現在は耐震工事中で一般公開はされておらず、見上げるようなレンガ塀と堅牢な門扉に閉ざされているが、ホテルとして蘇る計画が着実に進んでいる。

「明治5大監獄」の一角をなす

旧奈良監獄の前身は江戸期の1613年、現奈良女子大学の敷地内に奈良奉行所が設立され、その北側に牢屋敷ができたことに始まる。150余年が経ち、時代は明治期に移り、奈良奉行所の牢舎の一部を移築した時に奈良監獄署となった。

当時は明治政府による旧刑法の編纂作業が始まった時期。法の近代化が進むとともに、人権意識の極めて低かった奉行所の牢屋(監獄)の改築計画も進んだ。1901年、第1期監獄改築計画が帝国議会を通過、旧奈良監獄が起工となった。

建物の煉瓦も受刑者の手によるものとされる

旧奈良監獄が現在の地(般若寺町)に竣工したのは1908年のこと。この時期、明治政府による監獄の整備が進み、奈良監獄をはじめ千葉監獄、鹿児島監獄、長崎監獄、金沢監獄を「明治5大監獄」と呼ぶようにもなった。そのなかで、旧奈良監獄は現在も監獄としての全貌を残す唯一の監獄である。1910年には650名の定員に対して、900人を超える受刑者を収監していたという。

旧奈良監獄の設計者は当時司法省に勤め、数多くの刑務所や裁判所の設計を手がけた山下啓次郎である。ただし、実際の建設の大半は受刑者の労働によって行われた。使用された赤レンガも、監獄構内に窯を築いて自給したと伝えられている。

美しくも重厚なロマネスク様式。聳えるように高い塀も赤レンガ造り。近隣に監獄全体を見渡す場所がないのでわからないが、10万㎡を超える敷地の中央には、「ハビランド・システム」と言われる放射状に伸びた収容棟が配置されている。

更生施設として少年刑務所に

奈良監獄が奈良刑務所と改称されたのは、少年法が改正された1922年のことだ。時代は昭和期に移り、第2次大戦が終結した翌年の1946年に奈良少年刑務所と改称し、旧奈良監獄は少年犯を収監する施設となる。

と同時に、1950年代の前半にかけて、少年受刑者の更生が旧奈良監獄の大きな役割となった。県立高校の通信制課程を実施し、若草理容師養成所という理容科の職業訓練をスタートさせた。

1964年、旧奈良監獄は総合職業訓練施設に指定される。その後、少年受刑者の就労支援、職業訓練種目の充実を進め、社会復帰のプログラムをより拡充させ、2008年には設立100周年を迎えた。

重要文化財として建造物の国の保存対象に指定されたのは2017年で、まだ日が浅い。2019年には旧奈良監獄の建造物を活かし、史料館としてオープンした。

重要文化財の指定を機に旧奈良監獄は閉鎖され、その保存・活用は民間企業が担うことになった。3グループが応募し、チサンホテルなどを全国展開するソラーレ ホテルズ アンドリゾーツ(ソラーレ)など8社によるコンソーシアム(連合体)が保存・活用を担うことになった。このとき、旧奈良監獄を生かしたホテル構想が生まれた。

星野リゾート、ホテル事業に名乗り

旧奈良監獄は大規模なリゾートホテルに生まれ変わる機運が高まった。だが、コンソーシアムが誕生した直後の2018年に、ソラーレが代表を降り、ホテル・リゾート運営からも撤退することになった。そのため、旧奈良監獄の保存・活用はコンソーシアムが設立した特定目的会社である「旧奈良監獄保存活用株式会社」が担うこととなった。

旧奈良監獄保存活用では、旧奈良監獄の一般公開を行い、見学ツアーなども開いた。その一方で、あらためてホテル事業者を協力事業者として募集した。そこに名乗りをあげたのが星野リゾートである。星野リゾートは奈良近郊の住宅地の一角に、上質な宿泊施設を立ち上げるべく、構想を練った。当初、そのホテルの開業は2021年を予定していた。

だが、星野リゾートでは2020年11月に、「2024年中の運営開始に向けて引き続き準備を進める、開業目標年次をさらに2年繰り延べる」と発表した。

新型コロナ感染症の影響が長引き、どのホテル事業者も新規のホテル事業への進出は二の足を踏む状況が続いている。監獄という明治期の巨大レンガ建築群は、紆余曲折を経ながらも、その蘇生の時期を待っている。

文:菱田秀則(ライター)