長崎県内では十八銀行と親和銀行が2020年10月に合併して十八親和銀行となり、ふくおかフィナンシャルグループ<8354>の完全子会社となった。県内地銀同士のM&Aだが、その地銀再編の波からすると、一見、蚊帳の外にあるかのような第二地銀がある。長崎銀行だ。
長崎銀行の大きな特徴は、支店数が他の第二地銀と比べても少ないことだ。県内に長崎をはじめ、佐世保、諫早、島原など主要都市・地域に18支店、県外は佐賀、有田(いずれも佐賀県)、熊本、八代(いずれも熊本県)の4支店、計22支店である。他にATM(現金自動預け払い機)設置個所は多数あるが、窓口業務を担う支店は限られる。十八親和銀行の188店舗(2022年3月末時点)と比べると、いかにも“分が悪い”。
しかも九州の金融最重要エリアである博多支店は2006年10月に閉鎖した。支店・ATMのみの店舗も含め、店舗の統廃合はどの金融機関でも進めているが、これだけ店舗数を絞っているのは特徴的だ。
ただし、見方を変えると、長崎銀行が個人より法人の資金ニーズにより注力しようとしているなら、経営の効率化を推進した結果と見ることもできる。
長崎銀行の歴史は古く、1912(大正元)年11月に開業した長崎貯金という会社に始まる。1915年10月に長崎無尽貯金会社に改称した。貯金業務だけを扱う会社から無尽金融を扱う会社に業態を拡大した。
その長崎無尽貯金会社は翌1916年5月に長崎無尽という社名になった。無尽業務により業容拡大の芽があると考えたのだろう。その長崎無尽は1941(昭和16)年8月、昭和無尽と合併した。社名は長崎無尽のままである。1942年4月には諫早無尽を買収し、1951年10月に相互銀行法により相互銀行に転換した。行名は長崎相互銀行である。
相互銀行時代の1952年3月には熊本中央信用組合を買収(事業譲受)している。そして1989年2月、相銀の普通銀行転換にともない第二地銀の長崎銀行となった。
ちなみに、長崎市栄町にある現在の長崎銀行の本店ビルは、1924年の無尽時代に移転した際に建てられたものだという。一見すると歴史・風格を感じさせる瀟洒な洋風建築に見えるが、見下ろすと瓦屋根が見えることが話題になった。
実は和風建築の建物の周囲を洋風建築で囲ったもののようだ。なお、その経緯については『無尽研究録』(九沖無尽協会編、1928年)の「第六章-五 無盡營業所の建築に就て 岩崎尚夫」に詳しい。
長崎銀行が大きなM&Aに加わったのは2016年10月。西日本フィナンシャルホールディングス(西日本FH)<7189>が設立され、同社の完全子会社となったのである。冒頭に支店数が少ない、博多支店を閉鎖したと述べたが、その背景には博多を中心に渦巻く地銀再編、金融持ち株会社化の波の中で、完全子会社になることにより支店の整理、統廃合を進めたからであった。
その経緯を見ると、まず2001年6月に現在の西日本シティ銀行である福岡シティ銀行の関連会社となり、同年12月に同行の子会社となった。続いて2002年3月に長崎銀行の福岡県内10店を福岡シティ銀行へ事業譲渡し、翌4月に博多支店を開設した。そして前述のように2006年10月に博多支店を閉鎖し、福岡県から撤退した。そのうえで2014年12月に西日本シティ銀行が長崎銀行を完全子会社化し、2016年10月に金融持ち株会社の西日本FHを設立し、その完全子会社となった。
現在、九州地銀の勢力図はふくおかFG、西日本FH、そして鹿児島銀行と肥後銀行を傘下に持つ九州フィナンシャルグループ(九州FG<7180>)と大きく3つのグループに分かれ熾烈なシェア獲得競争を繰り広げている。
文:菱田 秀則(ライター)