前世紀の初頭から発展を遂げてきたアメリカの自動車産業も、2008年のリーマンショック以降は苦境に立たされることになった。一般に「ビッグスリー」と呼ばれてきた自動車メーカー(ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラー)のうち、フォードを除く2社が経営破綻。こうしてデトロイトが凋落するとは、いったい誰が予想していただろうか。いや、ひょっとするとタッカーなら見抜いていたかもしれない。
1988年に公開された映画『タッカー』は、このビッグスリーに戦いを挑んだ男の、実話に基づいた悲喜劇である。監督はフランシス・フォード・コッポラ。製作総指揮はジョージ・ルーカス。当時それぞれの作品で確固たる地位を築いていた二人だが、若い頃はハリウッドの異端児として、同じ製作スタジオで苦労を重ねた経験もある。そんな彼らがふたたびタッグを組んだのだから、ロマンあふれる作品にならないはずがない。後ほど詳しく述べるが、なにせ本作はコッポラの半自伝的物語でもあるのだ。
主人公のプレストン・トマス・タッカーとは、いったい何者なのか。1903年、ミシガン州に生まれたタッカーは、幼い頃から自動車づくりに興味を抱く少年だった。デトロイトでセールスマンの職に就いた後、第二次世界大戦中にはオリジナルの武装車両を発明。軍の正式採用は見送られたものの、部品の製造によって最初の成功を収めた。そして終戦を迎えた直後、いよいよ長年の夢を実現するため、まったく新しい自動車であるタッカー・トーピード、通称「タッカー車」の開発に着手したのである。
このタッカー車の革新性は枚挙にいとまがない。流線型ボディ、シートベルト、ハンドル連動型ライト、脱落式フロントガラス。なかでも最大の特徴がリアエンジンで、当時この方式を採用していたメーカーは、チェコスロバキアのタトラ社など一部に限られていた。時代を先駆けるアイデアの数々を、タッカーは終戦の時点で構想していたのである。
とはいえ、自動車づくりのためには圧倒的に資金が不足していた。そこで、タッカーは大々的な広告キャンペーンを展開し、全米中にタッカー車の青写真を広めたのである。その上で、ウォール街にコネのある財務家を起用して株式を発行。シカゴの製造工場を買い取り、本格的な自動車開発に向けて動き出す。この時点で試作車さえ出来ていない状況だったが、タッカーは持ち前の起業家精神によって、莫大な資金の調達に成功したのである。
ところが、そこにビッグスリーの強大な壁が立ちはだかる。新規参入を許さない自動車産業の圧力によって、タッカーの会社は原料の調達が困難になってしまったのだ。おまけに契約上の理由から、会社の経営をフォード出身の男に奪われてしまい、勝手に設計図を書き換えられる事態に。窮地に追い込まれていくタッカーの姿を、映画は悲劇的に描いていく。
ひとつ断っておくと、本作はタッカーの実話を下敷きにした風刺作品であり、随所に脚色された点がみられる。たとえば、タッカーが会社の経営権を奪われたという話は、悪役を立てるための創作に過ぎない。また、ビッグスリーの寡占体制はたしかに存在したが、それも絶対的なものではなく、タッカーの会社に圧力をかける描写は多分に誇張されている。
史実と異なると聞いて、ひょっとすると幻滅を覚える人もいるかもしれない。だが、当時のビッグスリーが少なからず慢心し、シートベルトなど安全装置の導入を見送っていたことはまず間違いない。事実として、タッカーが死去した後の1965年には、弁護士のラルフ・ネーダーがアメリカ車の危険性を大々的に告発。火消しに慌てたゼネラルモーターズとの訴訟問題に発展するなど、全米に大きなセンセーションを巻き起こしている。
いずれにせよ、本作はアメリカン・ドリームを追い求める男の物語として、虚実のいかんを忘れさせてしまうほどの説得力を持っている。理由は単純で、それが監督であるコッポラの半生と重なるからだ。タッカーがビッグスリーに反旗を翻したように、若き日のコッポラもハリウッドの製作システムに背を向け、みずからの映画スタジオ「アメリカン・ゾートロープ社」を設立したのである。冒頭で触れたように、当時からの盟友であるジョージ・ルーカスは、自身のデビュー作『THX 1138』(71年)を同社のもとで制作している。
資金難に苦しみ、悪評を書かれ、それでも諦めずに成功を掴んだコッポラ。彼がプレストン・タッカーという男に惹かれたのは、言ってみれば歴史の必然だったのかもしれない。そのことはコッポラ自身も隠し立てる気がなかったようで、『タッカー』の劇中では、ある人物を通して映画への愛が捧げられている。
それがハワード・ヒューズ。20世紀の歴史に名を残す実業家である。当時、航空機製造会社(史実ではヒューズ・エアクラフト社)を経営していたヒューズは、わざわざタッカーのために、政府の息がかかっていない部品メーカーの情報を提供。これによってタッカーは自動車開発を再開できるようになり、正真正銘、リアエンジンのタッカー車が完成するのである。
このヒューズという豪傑、戦前から映画プロデューサーとして名を馳せた人物でもある。監督を兼任した『地獄の天使』(30年)は、当時としては破格の300万ドル近い製作費(諸説あり)をつぎこんだ作品だ。史実でもタッカーはヒューズと会ったとされているが、コッポラは2人のつながりを作品に盛り込むことで、映画製作に対する自身の思いを投映したように思える。
それにしても、このタッカーとヒューズが深夜の飛行機工場で出会う場面の不気味さたるや。ここにはギャング映画の傑作を手がけたヒューズに対する、コッポラの多大なる賛辞があらわれている。なにせヒューズが『暗黒街の顔役』(32年)を製作しなければ、コッポラの代表作『ゴッドファーザー』(72年)は誕生しなかったのだ。
ちなみに、マーティン・スコセッシ監督の『アビエイター』(04年)は、このヒューズの波瀾万丈の人生を描いた作品である。こちらも監督の映画愛が炸裂した作品なので、機会があればぜひ鑑賞してほしい。
話を戻そう。こうしてタッカー車は完成し、本格的な生産開始を待つのみとなる。だが、そこにまたしてもビッグスリーと、保守的な政財界が攻撃を仕掛けてくる。タッカーは架空の自動車づくりで資金を集めたとして、証券詐欺の疑いをかけられてしまうのだ。これには未来の車に沸き立っていたマスメディアも、手のひらを反してタッカーを叩き始める。ついに会社の工場は閉鎖され、製造ラインも完全に止まってしまう。
それでも、タッカーは未来を見据えて法廷にのぞむ。ここから終幕に向けて打たれる名演説は、観る者すべての胸を打つに違いない。タッカーは国を憂う。アイデアを持った起業家が潰されるような社会が続けば、アメリカはいつの日か敗戦国から車を買うことになるだろう、と。もちろん本作が公開された80年代、その冗談は冗談ではなくなっている。
こうして「ありもしない車」への資金調達で起訴されたタッカーだが、映画産業もまた「ありもしない作品」への投資によって成立する。ハリウッドの異端児として、酸いも甘いも嚙み分けたコッポラだからこそ、タッカーの直面した不条理に、誰よりも共感を覚えたのではないだろうか。
1956年、タッカーはガンによりこの世を去った。それは志半ばで倒れたと言えるのかもしれない。だが、彼が壮大な夢を思い描いたという事実は、本作を通して後世に語り継がれるはずだ。何より、タッカー車はわずかにのみ生産されており、その約50台の現物が、本作のクライマックスに登場するのだから。
<作品データ>
監督:フランシス・フォード・コッポラ
製作:フレッド・ルース、フレッド・フックス
製作総指揮:ジョージ・ルーカス
主演:ジェフ・ブリッジス、ジョアン・アレン、マーティン・ランドー
1988年/アメリカ/110分