日米貿易摩擦の時代を描いた『ライジング・サン』を読み解く

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日米貿易摩擦を描いた『ライジング・サン』

1987年、若き不動産王のドナルド・トランプが、ニューヨーク・タイムズをはじめとする新聞各紙に意見広告を掲載した。アメリカは長年にわたり日本につけ込まれており、経済的な不利益ばかりを被っていると、当時の対日政策を痛烈に批判したのである。時は日米貿易摩擦の真っただ中。トランプの広告は、急速な経済成長を遂げた日本への反発、いわゆる「ジャパンバッシング」の象徴として知られている。

1993年の映画『ライジング・サン』は、そんな貿易摩擦を背景にしたサスペンスだ。『ジュラシック・パーク』(93年)で知られるマイケル・クライトンの同名小説をもとに、『ライトスタッフ』(83年)のフィリップ・カウフマンがメガホンを握った。ちなみに、音楽を手がけたのは晩年の武満徹である。主演はショーン・コネリーとウェズリー・スナイプス。

キャストに関して、少しだけ紙幅を割きたい。日本企業の社長・ヨシダを演じたマコ岩松は、日系アメリカ人として、ハリウッドでは抜群の知名度を誇る俳優である。1966年の『砲艦サンパブロ』で名優スティーブ・マックイーンと共演し、アカデミー助演男優賞にノミネートされたと言えば、その偉大さが伝わるだろうか。2001年の『パール・ハーバー』では連合艦隊司令長官・山本五十六の役を務め、日本でも大きな話題となった。本作では鋭い眼光を放つビジネスマンに扮し、いぶし銀の存在感を示している。

敵対的な日本のイメ―ジ

さて、物語の舞台はロサンゼルス。ある晩、落成したばかりの高層ビルで、コールガールの変死体が発見される。すぐに殺人事件として捜査が始まるのだが、困ったことに、このビルのオーナーは日本企業。「ガイジン」に非協力的な重役たちを前に、渉外係として日本語に長けた刑事が呼び出される。電話で叩き起こされた主人公のスミス刑事(ウェズリー・スナイプス)は、日本文化に詳しく、「日本びいき」とまで噂されるコナー刑事(ショーン・コネリー)とバディを組み、現場へ向かうことになった。

ここまでの紹介で分かるように、本作は全編にわたって日本的なイメージで覆われた、なかなかの異色作である。もちろん、日本趣味の刑事映画というのは、歴史に先例が無いわけではない。たとえば『ブラック・レイン』(89年)は、マイケル・ダグラスと高倉健の演じる刑事が、大阪で共同戦線を張るアクション映画だ。さらに時代をさかのぼると、白人と日系人の刑事がロマンスに身を投じる『クリムゾン・キモノ』(59年)といった作品もある(ちなみに、この映画は『ライジング・サン』と同じL.A.の日本人街が舞台であるほか、随所に共通点が見受けられる)。

とはいえ、『ブラック・レイン』や『クリムゾン・キモノ』は、人種を越えた友情を肯定的に描いた作品だった。しかし、『ライジング・サン』では貿易摩擦をめぐって、アメリカと日本の対立が、なかば暴力的に描き出されている。具体的に言えば、殺人現場となった高層ビルの会議室では、まさに日本企業による米企業の買収劇が進行していたのである。そして事件の背後には、この大企業による政治的な思惑が隠れていたのだ。

郷に入っては郷にしたがえ

スミスとコナーの両刑事は、殺害現場に設置されていた監視カメラを手がかりに、事件の犯人を追っていく。しかし、そのためには日本人の懐へ入らなければならない。必死で覚えた日本語を駆使し、慇懃な名刺交換を行い、本音と建前を上手く使い分けて。ここでは何から何まで日本式だ。郷に入っては郷にしたがえ、なのだが、皮肉なことに、そこはL.A.のど真ん中である。

こうした日本のイメージが、少なからず差別的に描かれていることは否定できない。たとえば、「ヘンタイ」の日本人は「ベッタク」に愛人を囲い「カール」を食べている、などといった偏見には、きっと眉をしかめる人もいることだろう。さすがに、この描き方にはアメリカ人も悪意を感じたようで、本作は公開時から賛否両論を巻き起こすことになった。冒頭で触れたトランプの意見広告と同じく、この映画も日米貿易摩擦の時代を象徴しているわけだ。

しかし、だからといって『ライジング・サン』が観るに堪えない映画かと言うと、そんなことはない。90年代初頭のアメリカ、そしてハリウッドは日本に対してどのような視線を向けていたのか。当時のジャパンバッシングを多角的に捉えるにあたって、本作は非常に見どころのある作品となっている。ここからは「映像文化」をキーワードに、少し踏み込んだ解説をしてみたい(以下、物語中盤のネタバレを含んでいる)。

「ジャパンバッシング」とハリウッド

ジャパンバッシングの震源地として、何よりもまず思い浮かぶのは、デトロイトの自動車産業だろう。日本車がハンマーで叩き壊される光景は、現代史の教科書でお馴染みだ。あるいはまた、シリコンバレーも思い出されるかもしれない。実際、『ライジング・サン』で日本企業が買収しようとするのは、ほかならぬ半導体メーカーであった。さらに重役の口からは、富士通によるフェアチャイルド買収失敗の話も引き合いに出されている。

ソニーがコロンビア映画を買収

しかし、もうひとつ。実はハリウッドの映画界にとっても、ジャパンマネーは見過ごせない脅威だったのである。1989年、コロンビア映画がソニーによって買収されたのだ。コロンビア映画と言えば、ハリウッド黎明期からの長い歴史を持ち、大規模な撮影所、3,000タイトルの映画作品、20,000本のテレビ番組を所蔵していた大手スタジオである。その「映像文化」が日本の手にわたるとなれば、映画人の反発は避けられない。

『ライジング・サン』の制作陣がどれほどの反日感情を覚えていたのかは分からないが、その危機感は劇中で、とあるモチーフを通して覗き見ることができる。事件解決の糸口となる監視カメラだ。そこには日系人ヤクザの男が映っていたのだが、実はこの映像、「フェイク」であることが早々に明らかにされる。捜査をかく乱するために、何者かによって男の姿が合成されていたのである。しかも、敷地内をロボットが歩き回るような、日本の科学研究所の技術を使って。

暗示的に描かれた文化の危機

ここには、自分たち映画人から「映像文化」が奪われるという、潜在的な危機感があらわれている。なにせ米国の預かるべきアーカイブが、技術力を備えた日本企業によって蹂躙されてしまったのだ。これをハリウッドの危機と言わずして、なんと言えるだろうか。おまけに、このフェイク映像を見抜いた専門家の女性は、こんな台詞まで発している。こんな見え透いた合成を行った犯人は、「アメリカ人が愚鈍で、頭が働かないとたかをくくっている」と。

言ってみれば、本作ではシリコンバレーとハリウッド、二つの産業における貿易摩擦が描かれていることになる。前者は明示的な形で、後者は暗示的な形で。本作を鑑賞する際は、それぞれのモチーフに着目してみることで、いっそう深く楽しめるだろう。日本人の描かれ方は、どうか大目に見てほしい。

本物のカメラ映像にはいったい誰が映っているのか。日米の人種的な対立は乗り越えられるのか。こうした物語の行方については、ここでは触れないでおく。とはいえ、それが優れた脚本であることは保証しよう。「ジャパンバッシング」という言葉が郷愁を引き起こす一方で、その象徴たる広告を出稿したトランプが大統領となってしまった今日、あらためて「日出ずる国(Land of the Rising Sun)」の時代に思いを馳せてみるのも、また一興である。

文:村松 泰聖(映画ライター)

<作品データ>

ライジング・サン

原題:Rising Sun
邦題:ライジング・サン
原作:マイケル・クライトン
1993年製作・アメリカ・130分