映画「新聞記者」を知っているだろうか。知る人ならば思うかもしれない。見覚えのあるタイトル…二番煎じか?
とんでもない。「i―新聞記者ドキュメントー」は現代日本に大きな衝撃を与え、大ヒットを記録した映画「新聞記者」でプロデューサーをつとめた、森達也監督による社会派ドキュメンタリー映画だ。
かつてはテレビディレクター、現在は映画監督と作家の顔を持ち、長年メディアと共に歩んできた森監督が本作で被写体にするのは、東京新聞社会部の望月衣塑子記者。「新聞記者」の原案者でもある望月記者を追いながら、「新聞記者」がより一層のリアリティを持って私たちに迫ってくる。
手を高く挙げ、鋭い質問を投げかける。納得できなければ質問を繰り返し、咎められようとも毅然と立ち向かう。望月衣塑子記者はゆるぎない。国内の多くの既存メディアが官邸記者会見でのその姿を異端視するが、外国人ジャーナリスト達は望月記者に好意的だ。その違いは何なのだろう。
“日本のメディアはおかしい。ジャーナリズムが機能していない”そんな風に言われるようになってからしばらく経つ。「i―新聞記者ドキュメント」には菅義偉官房長官、前川喜平元文部科学省事務次官、森友学園の籠池夫妻など、ここ数年メディアで数多く目にした人間たちが登場する。
劇中で取り上げられる主な事件は4つ。「辺野古基地移設問題」「伊藤詩織準強姦事件」「森友問題」「加計学園問題」-これらの事件の渦中の人物たちが、メディアでは決して取り上げられることのないむき出しの声を発する。
メディアはどうあるべきか、われわれ一人ひとりは“今”どうあるべきなのか。日本社会が抱える同調圧力や忖度の正体を暴くと共に、見る者に多くを問いかけるー。
重いキャリーケースを引き、取材対象者たちの家を次々と訪ねて回る望月記者の姿から本作は始まる。官邸記者会見での菅官房長官と火花が散りそうなやり取りをするイメージが強いが、時には同僚とも火花を散らすことがあるし、かと思えば二児の母である一面や夫の手作り弁当をほおばる姿には親しみを感じる。
しばしば森監督の姿もスクリーンに登場する。官邸前をカメラを回しながら歩くたびに撮影をとがめられ、守衛とひと悶着おこす。官邸記者会見にフリーのジャーナリストとして森監督が参加できるのかも、本作の焦点の一つ。安倍政権に代わってから、フリージャーナリストは一人も官邸記者会見への参加を許可されていないという。森監督の挑戦と結果は今の日本のジャーナリズムのあり方を裏づける。
メディアはどこまで事実に切り込んでいくことができるのか。「防衛省の説明当初には弾薬庫についての明確な記載がなかった」と、宮古島の陸自駐屯地への意見交換会で地元女性が発言する。地元の人々の声から生まれた新聞記事の影響は国会にまで及ぶ。
一方で、新聞各社が日々一面記事に持ってくる出来事について、皮肉をこめて比較する場面がある。メディアは物事を変えられるほど大きな力になりうるし、その逆もあると示しているかのようだ。
「事実を伝えることがジャーナリズム。右でも左でも、そのどちらが政権に立っても、私たちは変わらないだろう」あるメディア関係者が望月記者に言う。
雨が降る中、望月記者は傘もささず選挙の日が近づく街頭で次々と有権者にインタビューをする。選挙カーの上で安倍首相が応援演説をするのを、似たような看板を掲げ「安倍辞めろ!」と連呼する人たち。対して、演説を聞きながらたたずむ望月記者はただ、ジッと見つめている。その姿には、映画のタイトルにもある「i」についてのメッセージがこめられているように思う。
近年観た映画の中で最もラストにグッときた。話題性があればあるほど、斜に構えてしまうことはないだろうか。「新聞記者」のイメージを前に、本作についてそう思うのは無理もない。ただ、観ているうちに試されているのはむしろ映画ではない、他でもない私たちの方だと納得させられる。
「新聞記者」をまだ観ていない人は、ぜひ両作品を観ることをオススメしたい。私たちのこれからのヒントとなるものがきっとあるはずだ。
11月15日(金)より、新宿ピカデリーほか全国公開中
監督:森達也
出演:望月衣塑子
企画・製作・エクゼクティブプロデューサー:河村光庸
監督補:小松原茂幸
編集:鈴尾啓太
音楽:MARTIN (OAU/JOHNSONS MOTORCAR)
配給:スターサンズ
©2019「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会
文:宮﨑千尋(映画ライター)