2020年、中国政府の主導により「香港国家安全維持法」(国安法)が施行された。国家の分裂や政権の転覆、テロ活動、および外国勢力と結託して国の安全を脅かす行為が取り締まりの対象となる。この3年間、自由や民主主義を求める声や活動は次々に弾圧され、海外移住者が急増。残された市民は沈黙を余儀なくされている……ように見えた。
しかし、2023年の旧正月に香港で公開された『毒舌弁護人~正義への戦い~』が、香港映画の歴代興行収入 No.1記録を更新したと聞き、市民はただ沈黙しているわけではないと感じた。記録を打ち立てたのは、激動の時代を生きる香港市民のゆるぎない帰属意識だ。国安法によって表現の自由が制限されるなかで、法廷弁護士が主人公の本作は現職の弁護士からも支持されているという。
監督は、香港のアカデミー賞と呼ばれる香港電影金像奨に過去4度ノミネートされているジャック・ン。主演のダヨ・ウォンは『棟篤特工(原題)』(2018年)や『6人の食卓』(2022年)などのヒット作で知られる、香港の国民的スターだ。
“正義”が失われた法廷で、ダヨ・ウォン演じるくたびれた中年弁護士が、人々のため、香港のために、必死に立ち向かう姿は、観る者に新たな力をもたらしてくれる。
ラム・リョンソイ(ダヨ・ウォン)は、五十代の治安判事。市民の日常で起こる事件処理に追われ、忙しいが平穏な日々を送っている。ラムにとっては取るに足りない案件ばかりで、もはや仕事への情熱はない。そんな中、新しい上司の気分を害したことをきっかけに、職を失ってしまう。
見かねた友人の勧めで、ラムは法廷弁護士として復活する。しかし仕事への姿勢は変わらない。「引退までに、金持ちで権力のある名門一族と知り合いになりたい」とお気楽な願望を抱き、夜の店で酒を交わしながら、仲間と談笑する毎日だった。
ラムが転職後にはじめて手がけたのは、シングルマザーであるツァン・キッイ(ルイーズ・ウォン)の児童虐待事件だった。娘が自宅で頭から血を流して倒れていたため、母であるツァンが犯人として疑われたのだ。
弁護を担当するラムは、若い女性法廷弁護士フォン・カークワン(レンシー・イェン)とタッグを組むことになる。依頼人と真摯に向き合い、正義感の強いフォンと、本気で取り組もうとしないラムは、意見が合わず、ことごとくぶつかってしまう。
やがて事件は、法律を度外視した特権階級のたくらみや証人の不誠実な対応など、予想外の展開となり、ラムとフォンは大きな権力闘争に巻き込まれていく――。
「香港映画」というと、ブルース・リーを筆頭に1970~80年代頃のアクション映画ブームを思い浮かべる人も多いだろう。筆者も小学生時代、ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウらは憧れのスターだった。彼らの鍛え抜かれた肉体から繰り出されるカンフーアクション、個性が際立つキャラクター、掛け合いの面白さに、誰もが夢中になった。
1990~2000年代に入ると、ジョン・ウー監督やウォン・カーウァイ監督など、国際的に高く評価される名匠が登場。アクションにとどまらず、サスペンスやロマンス、コメディーなど多様なジャンルの映画が生まれ、独特の世界観や映像美、繊細な心情の描写に注目が集まった。
2020年の国案法制定を受け、香港の映画は厳しい監視の対象となった。反政府的なメッセージや活動を促したり、賛美したりする映画の上映を禁止する映画検閲規制が強化されたのだ。
この検閲強化の動きに対し、「表現や言論の自由がおびやかされる」「香港映画の終焉か」という懸念の声があちこちで上がった。
しかし、そんな厳しい状況でも、香港映画は揺るがなかった。自分たちのアイデンティティーを再確認し、新たな表現の道を模索し続けたのだ。
人々の日常や心の動きをていねいに描くヒューマンドラマ、ローカル色豊かなエンタメ作品、結婚やキャリア、法廷などをテーマにした社会派作品が次々に生まれ、「新世代香港映画」として国内外から熱い視線を集めている。
飄々として自分勝手な行動ばかりしているのに、じつは誰よりも熱いハートと強い正義感をもっているラム・リョンスイ弁護士。そんなキャラクターを魅力的に演じているダヨ・ウォンは、俳優としてキャリアを積む前、人気のスタンダップコメディアンとして活動していた。
人は、安定や平穏を求める生き物だ。できればラクな暮らしがしたいし、面倒なことには首を突っ込みたくない。本作における前半のラムは、まさにそれを体現しながら生きていた。
けれども、自分の致命的なミスをきっかけに、彼の中で何かが変化した。自分は何のために弁護士になったのか。正義とはいったい何か。内に秘めていた思いがあふれ、表情や行動がどんどん変化し、特権階級や反社会勢力が相手でも果敢に立ち向かっていく。
くわしくは語れないが、ラストの法廷シーンで、ラムが歯に衣着せぬ言葉で語る演説は圧巻だ。「この世界をより公平にと願うから」「正義もここに座っている!」など、いくつもの名言が観る者の心に訴えかける。
香港の現状は確かに厳しい。しかし、ひとまず困難な状況は横に置き、上質の社会派エンターテインメントの世界をハラハラドキドキしながら、たっぷりと堪能してほしい。(10月20日公開)
文:小川こころ(文筆家/文章スタジオ東京青猫ワークス代表)
<作品データ>
『毒舌弁護人~正義への戦い~』
監督/脚本 : ジャック・ン
出演:ダヨ・ウォン、ツェ・クワンホー
ルイーズ・ウォン、フィッシュ・リウ、マイケル・ウォン、ホー・カイワ
2023年/香港/カラー/シネスコ/133分/5.1ch
原題:毒舌大狀|英題:A Guilty Conscience|日本語字幕:鈴木真理子
配給協力:シネメディア|宣伝協力:活弁シネマ俱楽部
配給:楽天
2023年10月20日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次ロードショー
公式サイト:https://r10.to/HP_DokuzetsuRmovie
© 2022 Edko Films Limited, Irresistible Beta Limited, the Government of the Hong Kong Special Administrative Region. All Rights Reserved.