斜陽族という言葉が生まれるきっかけとなった太宰治の「斜陽」。1947年に新潮社から出版され、今年で75年を迎えた。
「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」といい、流行作家の子どもを欲する主人公、かず子、疎開先でも華族としての優雅さを忘れず、“最後の貴婦人”と呼ばれた母の都貴子、庶民になり切れず、貴族にも戻れない葛藤に苛まれ、破滅の道を突き進む弟の直治、太宰を連想させる流行作家の上原。「斜陽」は戦後の没落貴族の家庭を舞台に、4人それぞれの生き方を描いている。
この太宰治の代表作を映画化しようとしたのが、映画監督の増村保造と脚本家の白坂依志夫。企画の途中で頓挫したが、2人が遺した草稿を元に、近藤明男監督が脚本を仕上げて映画化したのが『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』である。
主人公のかず子に抜擢されたのは宮本茉由。映画初出演にして、初主演の大役を臆することなく演じきった。彼女が想いを寄せる流行作家の上原を安藤政信、母の都貴子を水野真紀、弟の直治を奥野壮が演じ、宮本を支える。
映画公開を機に近藤明男監督にインタビューを敢行。作品への思いや宮本茉由を抜擢した理由、演出などについて語ってもらった。
──原作は太宰治の「斜陽」です。なぜ今、「斜陽」だったのでしょうか。
もともとは脚本家の白坂依志夫さんが書いた脚本で増村保造監督が撮り、僕は助監督に入ることになっていました。40数年前のことです。
しかし、いろいろあって撮ることができなくなり、その後、増村保造監督が亡くなり、何人かの監督が白坂さんに撮りたいと話をしていたようですが、結局、撮るまでには至らず。白坂さんから「やっぱりお前がやるべき」と背中を押してもらい、5年前にやることにしました。
ところが、準備を進めている途中で僕の咽頭がんが見つかり、その後、コロナ禍になったので、このタイミングを狙っていたというわけではありません。ただ、「斜陽」が発表されてから75年。戦争が終わって、新しい生き方をかず子という主人公に託して、太宰が原作を書き、僕たちはコロナ禍が収束し、新しい生活様式が定着してきた今、その原作を映画化した。増村さん、白坂さん、プロデューサーの藤井さんといった諸先輩方の思いを引き継いで、やっと完成させることができました。
──共同脚本として近藤監督の名前が入っています。手を加えられたのですね。
時代も変わっていますし、僕が撮るなら僕なりの解釈を入れなくてはなりません。まずタイトルですが、すでに秋原北胤監督の『斜陽』(2009)という作品がありますから、何かサブタイトルをつけないと混同されてしまいます。
太宰の大きな側面であるキリスト教の「鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ」というイエスの言葉をフックにしてサブタイトルをつけました。鳩は戦争が終わった象徴であり、蛇はエロティシズムであるし、賢さでもありますから。
ラストにはこの作品の時代背景をつけました。増村さんだったら絶対にしません。ご覧になったら蛇足と言われるでしょうね。師匠に反抗したようになってしまいました(笑)。
内容についても登場人物に変更があります。萬田久子さんが演じた飲み屋の女将や柄本明さんが演じた医師はもっと小さい役でしたが、萬田さんや柄本さんに出ていただくのなら、見せ場を増やしたい。そうなると話が複雑になって尺も延びてくる。
増村さんの脚本には三上寛さんが演じた茂吉の妻が出てきて、かず子をいじめます。疎開した人が疎開先で苦労したことの象徴です。しかし、今回の作品ではカットしました。
増村さんだったら、主役のかず子と上原、かず子の母親、弟以外は大部屋の人にやってもらったでしょう。僕が今、映画化するなら主人公も大事ですが、周りには名のある人が必要、この予算でこんな俳優さんが出てくれたといった感じにするには、脚本を読んで、「この役なら出てもいい」と言っていただかなくてはなりません。
──主人公のかず子を演じた宮本茉由さんは「第1回ミス美しい20代コンテスト」で審査員特別賞を受賞し、本作で映画デビューにして初主演ですね。
最初はもう少し経験のある方を探していました。そのうちに安藤政信さん、水野真紀さんと周りが先に固まってきたのです。そんなとき『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンが起用されたように、新人女優がいいのではないかと思いつきました。
下手にキャリアがあって、小細工な芝居をされるより、染まっていない人がいい。視点を変えて探し始めたところで、宮本さんに巡り合いました。長年、映画の仕事に携わってきましたが、こんなに美しい人はなかなかいません。「宮本さんでいきたい」とプロデューサーに伝えたところ、賛同してもらえました。
──宮本さんと二人三脚でかず子の役を作っていかれたのでしょうか。
宮本さんと話してみて、とてもクレバーな方だとわかったのでお任せしました。脚本を繰り返し読んでいれば、かず子が理解できると思ったのです。宮本さんが受けやすいようなお芝居を安藤さんや水野さんがしてくれたことも大きかったですね。
ただ、かず子は最後まで和服で通すので、着物でも浴衣でもいいから毎日1回は着て、和服に慣れてほしいということは伝えました。決まってからクランクインまでの1年半、毎日着てくれたのでしょう。和服でもたつくことは一切ありませんでした。
──太宰自身を投影した無頼な生活を続ける流行作家の上原を安藤政信さんが演じています。
プロデューサーが安藤さんの名前を挙げてくれましたが、安藤さんが受けてくれるならありがたいと思いました。今までいろんな方が太宰の役を演じてきましたが、今回、安藤さんが太宰を演じたことで、この先、何年間は太宰をやる俳優さんはかなり怖気づいてしまうでしょうね。そのくらい適役です。
安藤さんからは「セリフが多くないですか」と言われましたが、「増村監督と白坂さんの本はおしゃべり脚本と呼ばれて、会話が多い。もっと無口な感じで演じたいだろうけれど、この作品ではしゃべってほしい」とお願いしました。元々の脚本からはかなり切っていましたが、安藤さんからすればかなりしゃべっている感じだったと思います。
白坂さんが書いた脚本はセリフが2倍くらいあったのです。普通はぺら200枚のところ、増村監督と白坂さんは400枚書きますから。それを通常の尺で終わらせるように、2倍のスピードで話せというのです。それが2人の作る映画のテンポ。弟子の僕もある程度、それを踏襲しています。ゆっくり話すのではなく、とにかくテンポよく、1.2倍のスピードでいきましょうと伝えました。
──かず子と上原が愛を交わすシーンは肌の露出が少ないにも関わらず、激しく求めあったことが伝わってきました。
脱いで撮るのは簡単。2人もプロですから、言えばやってくれたと思います。しかし、あえて肌を見せず、ストイックに撮っています。それでも十分、伝わりますから。
上原の友人で画家の福井がベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」をかけているときに、2人が福井の家に行く。レコードを止めて、2人を受け入れる。またレコードを掛けると2人のベッドシーンが始まり、モンタージュとして合間に視点の異なる複数のカットが組み合わされる。このカットバックは、この作品で最初にできた構成。狙い中の狙いでした。
そこに全裸はいりません。それが入るとカットバックが乱れてきます。増村監督の『曽根崎心中』(1978)の梶芽衣子と宇崎竜童のラブシーンと同じ手法ですが、そこに音楽を加えました。
──最後にこれからご覧になる方に向けて、ひとことお願いします。
いろいろなことがありましたから、完成できたことはとてもうれしいです。試写をご覧くださった方からもお褒めの言葉を多くいただいて、何とか増村監督、白坂さんに顔向けできたのではないかと思っています。とはいえ、映画ですから数字も大事。真摯になって評価を待っています。
取材・文:堀木三紀(映画ライター/日本映画ペンクラブ会員)
<近藤明男監督プロフィール>
1947年8月3日生まれ。東京都出身。早稲田大学在学中から勅使河原宏監督『燃えつきた地図』(68)三隅研次監督『雪の喪章』(67)や、テレビドラマ「ザ・ガードマン」等の助監督としてキャリアをスタート。
1970年大学卒業後大映に入社、その後名匠・吉村公三郎監督『襤褸の旗』(74)増村保造監督『大地の子守唄』(74)『曽根崎心中』(78)、市川崑監督『ビルマの竪琴』(83)等に参加。85年、R・クレイダーマンが音楽を手懸けた日、仏、伊合作映画『想い出を売る店』で監督デビュー。
以降、高橋惠子に毎日映画コンクール女優助演賞をもたらし異例のロングラン上映となった『ふみ子の海』(07)、東日本大震災の被災地石巻市の失われた風景が記録され、中国金鶏百花映画祭で吉井一肇が史上最年少主演男優賞に輝いた『エクレール・お菓子放浪記』(11)、遠藤憲一主演作『うさぎ追いし・山極勝三郎物語』(16)などがある。
『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』
敗戦後の昭和 20 年、没落貴族となった上、父を失ったかず子とその母、都貴子は生活のために本郷西片町の実家を売って西伊豆で暮らすことになった。そんな折、戦地で行方不明となっていた弟の直治が帰還するとの知らせが入ると、母は「歳の離れた資産家に嫁いだらどうか」とかず子に話す。激怒したかず子は「鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ」というイエスの言葉とともに 6 年前の出来事を想いだす。まだ学生だった直治が師匠と仰ぐ中年作家、上原二郎との出会いである。それは一夜の恋心の目覚めであった。
タイトル:『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』
出演:宮本茉由、安藤政信、水野真紀、奥野壮、田中健、細川直美、白須慶子、三上寛、柏原収史、萬田久子、柄本明、尾崎右宗、菅田俊、岡部尚、中谷太郎、緒方美穂、三木秀甫、岡元あつこ、栗原沙也加、今泉朋子、白石恭子、薗田正美、光藤えり、山村友乃、野崎小三郎、ジョナゴールド、春風亭昇太
原作:太宰治
監督:近藤明男
脚本:白坂依志夫、増村保造、近藤明男
主題歌:小椋佳「ラピスラズリの涙」(作詞・作曲・歌)
撮影支援協力:青森県、山梨県、五所川原市、つがる市、弘前市、甲府市、山梨市、都留市、三鷹市
2022年/日本/日本語/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/109分/G
配給:彩プロ
©2022『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』製作委員会
公式サイト:https://syayo.ayapro.ne.jp/
10月28日よりTOHOシネマズ甲府、シアターセントラルBe館にて先行公開、11月4日よりTOHOシネマズ日本橋ほか全国公開