都内で電車ウオッチングの名所の一つに数えられるのが「三鷹の陸橋」。橋上から、ひっきりなしに行き交う電車が眺められ、目の前に広大な電車庫が広がる。橋の長さは93mというから半端ではない。別名は「太宰陸橋」。その昔、三鷹の住人だった太宰治も折に触れて足を延ばしたという。
東京23区に隣接する三鷹市。その玄関口・JR三鷹駅は中央(本)線・総武線に加え、東京メトロ東西線が乗り入れる。総武線と東西線は始発駅で、ほぼ確実に座って通勤通学できるのが魅力だ。
そんな三鷹駅の西側に電車庫(三鷹車両センター、旧三鷹電車区)がある。いうまでもなく、車両の留置・夜間停泊や整備、修繕補修、清掃などの基地。今回の主人公の「陸橋」は1929(昭和4)年に、電車庫と中央線の線路をまたいで南北を結ぶ歩道橋として架けられた。
1929年といえば、米国の株価暴落に端を発した世界恐慌が始まった年。すでに90年以上の歴史を持つが、骨組みに古レールを再利用した鉄製の陸橋は当時の姿をほぼ残す。鉄さびが目立つが、作りは頑丈だ。
三鷹駅南口から線路沿いに電車庫通りを武蔵境駅方向に5分ほど歩くと、橋のたもとに着く。階段をのぼり切り、橋上に立つと、歩道がまっすぐに伸びる。金網越しだが、新宿~松本間の特急「あずさ」「かいじ」を含めて、電車が次々と通過する。留置線には点検などを終えた電車がずらりと並ぶ。よく晴れていれば、富士山が見える。
休日になると、橋上は小さな子ども連れの家族が目立つ。90m余の全長があるだけに、込み合うというわけではない。のんびり電車を眺めるのも良し、しっかり観察するのも良し。大人も思い思いに電車ウオッチングを楽しめる。
「太宰ゆかりの場所」という案内板には、陸橋の階段を下りる太宰本人の写真(1947年撮影)が添えられている。「いいところがある」といって編集者や弟子を案内したそうで、お気に入りの場所だったらしい。
太宰は1939年に三鷹市に転居。1948年に玉川上水で入水心中し、38歳で死去するまで暮らした。この間、「斜陽」「走れメロス」「人間失格」などを執筆。市内には太宰の墓があり、生前ひいきにした酒屋の跡地には資料館「太宰治文学サロン」が設けられている。
地元のみたか都市観光協会が薦める「太宰の足跡コース」(約6.7㎞、徒歩約2時間半)でも真っ先に訪ねるスポットは陸橋。電車ファンならずとも、一眺の価値は大いにある。
文:M&A Online編集部