【みちのく銀行】ついに青森の両雄が経営統合!|“ご当地銀行”の合従連衡史

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東京都中央区日本橋蛎殻町にある「みちのく銀行」東京支店

青森県を代表する地銀には青森銀行と、みちのく銀行がある。ともに青森市内に本店を置き、“ライバル地銀”といわれてきたが、その営業姿勢は「おっとりとした青銀」と「したたかなみち銀」といわれるように対照的だった。両行のうち、「したたかなみち銀」の動向を見ていく。

ライバルの青森銀行と経営統合

みちのく銀行は今年、新手の戦略を打ち出した。2022年4月、積年のライバルともいえる青森銀行と経営統合し、プロクレアホールディングス<7384>という共同持ち株会社を設立したのである。独占禁止法の対象としない特例法が全国で初めて適用されたこともあり、注目を集めた。

共同持ち株会社の傘下に、みちのく、青森の両行を配置した。続いて2025年1月をめどに両行の合併・新銀行の設立を予定している。現在、重複する店名や店番号の変更・整理をはじめ店舗そのものの統廃合など実務対応に忙しい時期だ。

だが、地元紙・業界紙、また地元企業においては、「決まったといっても、本当にスムーズに進むのか、金利や返済など両行で異なる融資対応は今後どうなるのか」など、懸念も含めて大きな話題となっている。東北の新たな“メガ地銀”の動向に、今後も目が離せない。

商業銀行と貯蓄銀行、さらに相互銀行が合併

みちのく銀行は元々、明治・大正期の商業銀行・貯蓄銀行の系譜とともに、無尽組織・相互銀行の系譜を併せ持つ地方銀行である。その歴史も振り返っておきたい。

源流は1894年に設立された青森商業銀行に遡ることができる。商業銀行は、現在は普通銀行と同義ともいえるが、明治・大正期は預金などを原資に貸出や商業手形の割引などを行う金融機関と位置づけられていた。青森商業銀行はその商業銀行の一つで、1949年に青湾貯蓄銀行を合併している

一方、1921年にみちのく銀行の源流の一つとなる青森貯蓄銀行が設立された。貯蓄銀行とは明治・大正期に個人の貯蓄を引き受けることを主目的として設立された金融機関である。青森貯蓄銀行もその一つで、1949年に改称し、青和銀行となった。そして1958年に青森商業銀行と合併した。

では、無尽組織・相互銀行の系譜はどこからくるのか。みちのく銀行は1976年に青和銀行と弘前相互銀行が合併して誕生した銀行である。当時は業績の悪化していた青和銀行を弘前相互銀行が救済するかたちで合併したとされている。

その弘前相互銀行の源流は、1924年に設立された弘前無尽。この弘前無尽は1942年に津軽無尽を合併し、1951年に相互銀行に転換、弘前相互銀行に改称した。なお、弘前相互銀行は1973年に青南信用組合を合併している。

積極果敢か、山っ気か!?

青和銀行と弘前相互銀行とが合併して誕生したみちのく銀行は、誕生後、M&Aを行なってはいない。だが、国内初、邦銀初、地銀初などの“初物狙い”な、ユニークな銀行経営を推進してきた。M&Aとは少し離れるが、同行のしたたかな気質を物語ることにもなるので概観しておこう。

まず、1980年に国内で初めて、「トムとジェリー」のキャラクターを使った預金取り扱いを始めている。1993年には東北の地銀で初めて海外現地法人「北日本財務(香港)有限公司」と称する海外現地法人を設立した。

1995年に邦銀で初めてサハリンのユジノサハリンスクに駐在員事務所を置いた。1999年には邦銀で初めてモスクワに海外現地法人を設立。2000年には本店および国内の全営業店での取得としては地銀初の「ISO14001」(環境マネジメントシステムの国際規格)の認証を取得。同じ年、7月に発行された2000円札で入出金の対応ができるATM(現金自動預け払い機)を設置したが、これは全国の銀行で初めてのことだった。

そして2002年2月には東北・北海道地区の地銀で初めてロト7、ロト6、ミニロト、ナンバーズ3・4などの「数字選択式宝くじ」のATM販売を開始している。

これらの“初物狙い”は積極果敢な営業展開といえるが、一方で金融情勢の変化など時代の荒波を受け、海外現地法人や駐在員事務所は閉鎖もしくは譲渡している。今日、その営業姿勢を傍から見ると、積極果敢というよりむしろ、“山っ気”のあるしたたかな展開といえなくはない。

これらは青森県内のもう一つの地銀、ライバル行である青森銀行を意識したものかもしれない。おっとりとした青森銀行に攻勢をかける、したたかなみちのく銀行。陳腐な表現になるが、こうした両行の気質の違いは地元経営者からよく聞かれることだった。だからこそ、冒頭の経営統合後の新銀行設立に懸念の声を表す地元企業・経営者もいるのだろう。

文:菱田秀則(ライター)