総裁選の自民党、知っているようで知らない「派閥」のM&A史とは?

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自民党本部(東京・永田町)

「ポスト菅」を決める自民党総裁選のキーワードの一つは今回も「派閥」だ。4人が立候補したが、党内7派閥のうち、岸田派を除く6派閥は支持する候補の一本化を見送った。派閥は再編・統合を繰り返して今日に至り、自民党の歴史と軌を一にする。“党中党”ともいわれる派閥のM&A史をひも解いてみるとー。

自民党、総裁イコール首相

現在、自民党には7派閥がある。最大派閥の細田派に所属する国会議員は96人を数え、麻生派53人、竹下派52人、二階派47人、岸田派46人、石破派17人、石原派10人と続く。このほか無派閥が60人あまり。

9月17日に告示された総裁選に立候補した4人は河野太郎行革・ワクチン担当相、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務相、野田聖子幹事長代行。岸田氏は岸田派のトップ、河野氏は麻生派の一員、高市、野田の両氏は無派閥だ。

岸田派が岸田氏を派閥を挙げて支持するのは当然として、残る6派閥は1人の候補に絞らず、複数候補の支持や自主投票で臨む。1年前、岸田派、石破派を除く5派閥が菅義偉氏(現首相)を支持し、早々に大勢が決した前回総裁選とは全く様相が異なる。

いうまでもなく、第一党の自民党の総裁を選ぶことは次の首相を決めることと事実上イコールだ。自民党は1993年の細川護熙連立政権、2009年の旧民主党政権で下野したものの、戦後、前身の時代を含めて、ほぼ一貫して政権与党の座にある。

「三角大福中」、全員が総裁に

与党政治の主役ともいえる派閥だが、そのルーツは自民党結党時にさかのぼる。自民党は1955(昭和30)年、自由党と日本民主党の保守合同で誕生し、初代総裁には当時首相で旧日本民主党総裁だった鳩山一郎氏が就いた。

鳩山後継を争って8つの有力派閥が生まれ、各派閥の領袖のうち石橋湛山、岸信介、池田隼人、佐藤栄作の4人が次々に総裁を務めた。

その後、到来したのが「三角大福中」時代だ。三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の各氏による5大派閥に再編された。覇権争いはし烈を極めたが、1970年代から1980年代にかけて、5人全員が総裁に上り詰めた。

なかでもピーク時140人を超えた田中派の領袖・田中角栄氏はロッキード事件で逮捕後も、“キングメーカー”として隠然たる力を持ち、少数派閥を率いた中曽根氏の政権誕生時は「田中曽根内閣」と呼ばれたこともある。

派閥は時々の実力者に禅譲されるのが一般的だが、時には力ずくで奪ったり、ライバルが仲間を引き連れて分裂したり、場合によっては断絶したりして、新陳代謝を繰り返している。

「安竹宮」を経て現在に

1980年代後半に中心軸になったのは安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の各氏をトップとする「安竹宮」の3大派閥だ。福田派を引き継いだ安倍晋太郎氏は総裁の座を手中にすることはできなかったが、息子の安倍晋三前首相が総裁を2度(第21代、第25代)務めた。安倍派は三塚派、森派、町村派などを経て、現在の細田派につながる。

竹下氏は田中派を割って、竹下派を旗揚げした。その後、竹下派は小渕派、橋本派、津島派、額賀派などを経て2018年に「竹下派」が復活。竹下登元首相の弟の竹下亘氏(元復興相)が派閥を引き継いだからだ。

宮沢派は現在の岸田派の前身。「三角大福中」でいえば、大平派の系譜で、宮沢派以降は加藤派、堀内派、古賀派を経て、2012年から岸田派となっている。

同じく「三角大福中」からの流れでいえば、現在の麻生派はかつての三木派、二階派と石原派は中曽根派にたどり着く。歴史が最も新しいのは無派閥議員の集まりを母体に2015年に派閥化した石破派だ。

決戦投票なら派閥の出番か

9月29日投開票される総裁選は国会議員票383票と党員・党友票(地方票)383票の合計で決まる。過半数の獲得者がいない場合、上位2人の決選投票は国会議員票383票と都道府県票47票で争われるため、議員票の重みが格段に増す。となれば、がぜん派閥の出番となる。

◎自民党:現在の各派閥

正式名称 会長 人数
細田派 清和政策研究会 細田博之 96人
麻生派 志公会 麻生太郎 53人
竹下派 平成研究会 ※竹下 亘 52人
二階派 志帥会 空席 47人
岸田派 宏池会 岸田文雄 46人
石破派 水月会 石破 茂 17人
石原派 近未来政策研究会 石原伸晃 10人

※竹下派会長の竹下亘氏は9月17日にお亡くなりになりました。

文:M&A Online編集部