「京セラ」創業者・稲盛和夫氏はM&A積極派

alt
JALの再建に尽力した稲盛氏(REUTERS)

京セラ<6971>の創業者で名誉会長の稲盛和夫氏(90)が2022年8月24日に、京都市内の自宅で、老衰のために死去した。

稲盛氏は京都の碍子メーカーである松風工業を経て1959年に、ファインセラミックスの専門メーカーである京都セラミック(現・京セラ)を設立。小集団活動の「アメーバ経営」を取り入れ、一代で京セラを2兆円近い企業に育て上げた。

この間、ファインセラミック事業で培った技術を基に、無線通信や太陽光発電などの事業に乗り出すとともに、さまざまな企業を買収し、複写機や半導体などに事業領域を拡大していった。

稲盛氏が手がけたM&Aの足跡をたどってみると…。

縁を大切にした結果

京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が死去
稲盛和夫 京セラ名誉会長

最初のM&Aは1979年に、車載用トランシーバーを製造していたサイバネット工業に資本参加し、1982年にサイバネット工業など関連会社4社を合併し、社名を「京セラ」とした件だった。

業績が悪化した同社を救済する目的で、傘下に収めたもので、後日、稲盛氏は自ら買収を仕かけたことはなく、この後のM&Aについても縁を大切にした結果だとしている。

その言葉の通り、1983年には経営破綻したカメラメーカーのヤシカを吸収合併した。だが、業績が振るわず2007年には「ヤシカ」の商標権を売却し、カメラ事業から撤退している。

一方、1984年にウシオ電機、セコム、ソニー、三菱商事など24社とともに設立した第二電電企画(第二電電)は、2000年にKDD、日本移動通信と合併し、ディーディーアイ(現・KDDI)となり、売上高が5兆円を超える大企業に成長した。

同じ2000年には、1998年に会社更生法の適用を申請した複写機メーカーの三田工業を傘下に収め、京セラミタ(現・京セラドキュメントソリューションズ)として再スタートを切った。

この後もM&Aは続き、2004年にホテルプリンセス京都(ホテル日航プリンセス京都)を傘下に収め、2008年には三洋電機の携帯電話事業を承継。2018年にはリョービの電動工具事業を承継した。

直近では2022年8月に、米国子会社のKYOCERA AVX Components Corporation(KAVX)が、ロームのタンタルコンデンサー事業の製造ラインや知的財産権などの関連資産を譲り受けた。ロームは、タンタルコンデンサーの大手であるKAVXに事業を託すことで、顧客への供給責任を果たすことができると判断したという。

ボランティアにも注力

稲盛氏は2010年に政府の要請を受け、経営立て直しのため日本航空(JAL)の会長に就任したほか、経営塾「盛和塾」の塾長として、経営者の育成に関わるなど、ボランティア的な活動にも注力した。

1984年には私財を投じて稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年人類社会の進歩発展に功績のあった人らを顕彰している。

文:M&A Online編集部