サムスン電子が半導体製造で回路を浮かび上がらせるエッチング(食刻)ガスとして用いられるフッ化水素の韓国製品を導入したことが明らかになった。
日本政府が2019年7月4日にフッ化水素、フォトレジスト、フッ化ポリイミドの先端素材3品目の韓国向け輸出で規制強化に踏み切ってから、わずか1カ月半後という「スピード対応」だ。サムスン向けのフッ化水素の内製化に成功したのは、韓国のソルブレインとENFテクノロジーの2社。中国から輸入した無水フッ化水素酸を純度99.999%のフッ化水素液に加工したという。
SKハイニックスも韓国製フッ化水素によるテスト加工を始める。すでに同社の中国の半導体工場では、フッ化水素を従来の日本製から中国製に切り替えたという。両社とも現時点では低価格帯の半導体生産に用いている段階だが、韓国製フッ化水素を半導体ラインに導入した際に問題が起こらないかどうかを分析し、素材成分などを調整する作業も進めている。この作業が進み次第、より高価格帯の半導体生産にも利用していく方針だ。
韓国の素材産業も動き始めた。韓国のソルブレインは2019年9月末に公州工場の増設を終え、韓国産フッ化水素の生産規模を拡大する。同社は日本から輸入したフッ化水素を精製した後にサムスン電子へ供給してきた。現在は材料となるフッ化水素を、台湾と中国から輸入しているという。
輸出規制3品目のうちフッ化水素は最も内製化が容易と考えられていた。その意味では「想定の範囲内」ではある。だが、その他でも内製化の準備が着々と進んでいる。半導体露光工程で用いられる感光材のレジストは生産工程とのすり合わせが必要で、長年にわたるノウハウと数年単位の開発期間が必要なため内製化が厳しいといわれてきた。
しかし、最先端の回路微細化が不要な「3次元NAND型フラッシュメモリー」などの半導体では、すでにサムスンが韓国・東進セミケムのレジストに全面的に切り替えている。高品位のレジスト開発には「生産工程とのすり合わせが必要」であり、最先端の半導体生産を手がける韓国半導体メーカーの生産工程との関係が切れると日本のレジストメーカーの技術開発力が停滞する恐れがある。
3品目のうち唯一、国産化の動きが見えないのは有機ELディスプレーのカバーなどに用いられるフッ化ポリイミドだが、規制対象となるフッ酸の含有量が多い製品にはニーズがほとんどなく、韓国への輸出はほとんどない。韓国製スマートフォンの画面カバーに使われているフッ化ポリイミドはフッ酸の含有量が少ないため、日本の輸出規制対象になっていないという。つまり韓国では事実上、輸入に困らないから内製化の動きがないのだ。
このことから日本政府が輸出規制を強化しなければ、韓国で半導体やディスプレーパネル用素材の内製化は起こらなかったということだ。日本の輸出規制強化が「寝た子を起こす」ことになったといえる。さらにこの3品目以外にも内製化の動きが出ている。
韓国のセウォンハードフェイシングが、日本から全量を輸入していた半導体コーティング素材の酸化イットリウムの国産化にメドをつけたというのだ。酸化イットリウムは半導体や電子部品の表面に噴射してコーティング膜を形成し、耐久性を高めるのに用いられる素材。細かく緻密なコーティング膜を生成するのに必要な微細粒子の酸化イットリウムは日本製しかなかった。
ところが韓国の国家核融合研究所(核融合研)が開発したプラズマ技術を応用し、日本製の半分近い微細な酸化イットリウムの生産に成功したという。セウォンハードフェイシングは中小企業で、直ちに量産できるわけではない。だが、韓国政府が国策として支援したり、日本の輸出規制強化に震え上がった韓国半導体メーカーが同社に出資したりすれば、短期間での量産開始も不可能ではなくなる。
こうした動きは止まらない。韓国の政府や企業が「日本がさらに別の素材でも輸出規制を強化するのではないか」と疑心暗鬼になっているからだ。さらにもう一つの「事件」が韓国の内製化を加速させるだろう。それは米アップルがiPhoneの2020年モデル用に中国BOE(京東方科技集団)から有機ELパネルを調達するとのニュースだ。
有機ELパネルは液晶パネル同様、生産規模が価格と品質の安定性を決める。かつて液晶パネルで日本メーカーが韓国メーカーに駆逐されたように、やがては資本力にすぐれる中国メーカーに市場を奪われるのは避けられない。そうなれば韓国は現在の日本と同様、素材や生産装置を中国の有機ELパネルメーカーへ供給する産業の「川上(前工程)シフト」で生き残りを図ることになるだろう。
輸出規制強化への対抗と川上シフトの加速という「両輪」が噛み合うことで、日本の独壇場だった半導体やパネル向け素材や生産装置の韓国での内製化は一気に加速しそうだ。日本としても「韓国メーカーが技術開発力で日本メーカーを追い越すなんて考えられない」「やれるものならやってみろ」と高見の見物を決め込むわけにはいかない。かつて液晶テレビや半導体でも同様の見方が有力だったが、現在では両国の立場が完全に逆転している。
技術のキャッチアップのスピードは確実に上がっている。わずか数年で逆転ということもありうるのだ。韓国への制裁どころか、日本の「お家芸」だった先端素材産業がほかならぬ日本政府の手によって存続の危機に瀕する可能性すらある。韓国に対する輸出規制強化の最大の犠牲者は、日本の企業と経済だったという皮肉な結末になりかねない。
文:M&A Online編集部