【紀陽銀行】変遷を経て、和歌山県唯一の地銀に|ご当地銀行のM&A

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重厚かつ端正だが、一抹のノスタルジーも感じさせる紀陽銀行本店(和歌山市)

いよいよ東京オリンピック・パラリンピックの開幕! その開催には賛否もあるが、森末、梶谷、外村、小西……と聞けば、オールド・ファンにとっては心躍らせる名前に違いない。

1984年ロス五輪では森末慎二 (男子鉄棒個人金メダル)と梶谷信之 (男子平行棒銀メダル)、1988年ソウル五輪では外村康二 (男子団体銅メダル)と小西裕之(男子団体銅メダル)と大活躍したアスリートたち(いずれも敬称略)。現在は廃部となっているが、彼らはいずれも紀陽銀行体操部出身の、日本のトップアスリートである。

バブル経済の崩壊前、紀陽銀行は「体操の紀陽」として全国に名をとどろかせた。この和歌山県唯一の地銀、紀陽銀行のM&A史を見ていこう。

県内全域に加え、大阪南部に版図を拡大

紀陽銀行の創立は1895年5月に設立された紀陽貯蓄銀行にさかのぼる。1922年1月には普通銀行に転換し、商号を「株式会社紀陽銀行」に改称した。その際に紀伊貯蓄銀行を新設し、紀陽貯蓄銀行の貯蓄業務を譲渡している。貯蓄業務を切り離した格好だ。以後、M&Aを繰り返してきた。

まず1930年に国立銀行の流れをくむ四十三銀行を分割買収し、1936年に伊那合同銀行を買収した。伊那合同銀行は和歌山県北部を流れる紀の川流域にあった伊都銀行と那賀銀行が合併して生まれた銀行。同年、紀陽銀行は和歌山銀行(後述する和歌山銀行とは別組織)を、1941年には田辺銀行と野上興業銀行を買収している。

そして1945年6月には、1922年に分離した紀伊貯蓄銀行を吸収合併した。紀陽銀行の業容拡大に伴い、かつて分離した貯蓄銀行を買い戻した。1946年8月に県南端の新宮市に新宮支店を開設した。紀陽銀行は県北端の和歌山市、南端の新宮市を両翼として包み込むように県内全域に営業網を拡大してきた。

最初の県外店舗は1948年11月に開設した五条支店(奈良県)。東京事務所を開設したのは1959年10月、東京支店の開設は1963年4月である。1999年5月には和歌山県商工信用組合の事業を譲り受けた。

紀陽銀行は隣県の奈良や東京への拠点配置より、むしろ和泉山脈を越えた大阪府への営業網拡大に積極的だった。

現在、和歌山県内に68店を持つが、大阪府にも41店舗ある。東京都に1店舗、奈良県には2店舗を数えるのみ(2021年3月末日。インターネット支店含む)。特に大阪南部の営業網の強化では、同行堺支店はランドマーク的な存在である。大阪南部の重要な営業拠点。店舗ビルは安藤忠雄氏による建築で、周辺は10階を超えるような建物がほとんどなく、のどかに走る阪堺線の沿線でひときわ異彩を放っている。

阪和銀行破たんで、県内唯一の地銀に

紀陽銀行のM&A史でハイライトは、第二地銀の和歌山銀行との合併劇である。まず、第一幕は2005年3月に紀陽銀行は和歌山銀行と「経営統合に関する基本合意書」を締結したことに始まる。そして第二幕として、05年12月に和歌山銀行の公的資金優先株式120億円を買い取る。紀陽銀行と和歌山銀行の合併を機に公的資金が注入されることを踏まえての株式の買い取りである。

そして第三幕。06年2月に和歌山銀行と共同株式移転方式により、持ち株会社「紀陽ホールディングス」を設立した。紀陽銀行と和歌山銀行は紀陽ホールディングスの子会社となり、そのうえで同年10月に合併した。

かつて和歌山県内には阪和銀行が本店を置いていたが、1998年に経営破綻した。紀陽銀行も風評被害により取り付け騒ぎが起こった頃である。バブル景気の崩壊後、長引く不況のなか、厳しい県内金融情勢を乗り越えて2006年10月、紀陽銀行は県内に本拠を置く唯一の銀行となった。合併の直後、県内の貸出残高の5割近くを占めるまでになり、県内で圧倒的な強さを誇るようになった。

そして7年後に第四幕が訪れた。2013年10月に存続会社を紀陽銀行として紀陽ホールディングスを吸収合併した。金融持ち株会社を廃止したのである。紀陽銀行は2015年5月に創立120周年を迎え、現在に至る。

風格と哀愁のただよう本店

紀陽銀行本店そば、「ぶらくり丁」アーケード街の入口

現在の紀陽銀行は、県内企業における取引シェアで63.8%と2位の「きのくに信金」(16.6%)を大きく引き離す(帝国データバンク「2021年和歌山県内企業メーンバンク調査」)。

だが、和歌山市本町(本町通り)にある本店は、県内トップバンクとしてはちょっと寂しい佇まいだ。

1954年の竣工時は、銀行建築としての風格を漂わせていたようだ。表通りに面して建物全体を5つに分割したフレームをつくり、4本の重厚な円柱がフレームを支える。

一見、円柱と奥まった外壁がつくりだす陰影と重厚感に惹かれるが、今日、和歌山市の中心街はもちろん本店そばを通る「ぶらくり丁」商店街などの賑わいが薄れ、本店周辺が再開発に向けて空き地が目立つためか、少し寂しげに映る。

もうすぐ築70年となる本店正面には地元出身の彫刻家保田龍門氏が彫ったレリーフが並ぶ。林業・漁業・柑橘・繊維と和歌山県の主要産業を表しているが、それも妙にノスタルジーを誘う。

低金利の長期化などで地銀を取り巻く経営環境が厳しさを増す一方、新型コロナウイルス感染拡大で取引先の多くが苦境に置かれている。地域トップバンクとして紀陽銀行の役割が改めて問われている。

文:M&A Online編集部