意外な子会社 紀州鉄道|不動産業の「逆転の発想」

alt
のどかな田園地帯を走る紀州鉄道(maxxum/フォトライブラリー)

「紀州鉄道」と聞いて、「和歌山にある鉄道だろう」ということはわかっても、「和歌山のどこにある?」「どんな路線?」、はたまた「実際に乗ったこと、ある?」となると、きょとんとなってしまう人は多いのかもしれない。実際に乗ったことがある人は、地元の住民か、それなりの鉄道ファンくらいではないだろうか。

紀州鉄道は、和歌山県御坊市のJR御坊駅から西御坊駅まで、その間に学問・紀伊御坊・市役所前の3駅をつなぐ運行距離2.7キロの日本で最も短い路線の1つである。平均時速は20キロ強。民家の軒先をかすめ、田園地帯をゆっくり、のんびりと走る、愛嬌のある鉄道である。

鉄道会社の「もう1つの顔」

実は紀州鉄道には鉄道のほかにもう1つ、「ホテル・リゾート開発」という不動産業としての顔がある。むしろ、紀州鉄道の名称は、一般にはホテル・リゾート開発の会社として知られているかもしれない。箱根・那須・塩原の温泉地、北軽井沢・伊豆・房総・諏訪・鳥羽・大阪・名古屋など全国各地にホテルや別荘、リゾート施設などを展開している。

そして、その紀州鉄道の本社は和歌山県にあるのではなく、東京都中央区にある。鉄道の走る御坊には会社としては御坊支店があるのみだ。事業の実態を概観する限り、失礼を承知でいえば鉄道事業は同社にとって“お荷物”ではないかと思ってしまうくらいの規模感である。

一般に、阪急・西武・名鉄・近鉄など主要な私鉄会社の不動産事業は、鉄道事業の発展、乗客数の増加と軌を一にして周辺の宅地開発やリゾート開発、さらにターミナルビルの開発などを行ってきた。それがさらに乗客数を増やすことにつながり、地域の発展に結びつき、鉄道事業のさらなる成長にもつながってきた。

ところが、紀州鉄道は上記のような日本の主要私鉄の戦略とは異なり、経営上、まったく逆の発想ともいうべき対応をとってきた。鉄道の発展のために、鉄道の発展に合わせて周辺開発を行ってきたのではなく、むしろ早くからホテル・リゾート開発に着手し、その手段として「鉄道」という名称を活用したということもできるだろう。その点が、創業90年になる老舗企業である紀州鉄道が「意外な子会社」というべき理由である。

不動産業の鶴屋グループの傘下に

では、紀州鉄道の親会社はどこか。また、どこの会社が紀州鉄道という名称を上手に活用してきたのか。紀州鉄道の親会社は、実は東京都文京区に本社を置き、不動産業を営む鶴屋グループである。鶴屋産業、鶴屋商事といった会社を擁し、鶴カントリー倶楽部といったゴルフ場を経営する会社だ。両社とも非上場でもあり正確な数字を示すことはできないが、紀州鉄道ホームページの「会社沿革」でも、「1979年に鶴屋グループの傘下となる」と記している。

ここには、どのような経緯があったのか。紀州鉄道は1928年、和歌山県御坊に御坊臨港鉄道株式会社という名称で創業した。その後、1972年に紀州鉄道に商号を変更。1975年に紀州鉄道不動産を創業し、別荘事業、会員制クラブなどのリゾート事業に着手した。だが、鉄道経営もリゾート事業も思うようには伸張しない。そこで1979年に、企業体質の強化を目的として鶴屋グループの傘下に入ることになった。

沿革としては上記のようだが、実は鶴屋グループの傘下に入る7年ほど前の1972年、東北・福島の磐梯急行電鉄という鉄道会社の倒産後に設立された磐梯電鉄不動産(本社・東京)という不動産会社が、当時の紀州鉄道すなわち御坊臨港鉄道を買収したとされている。その時期に御坊臨港鉄道は紀州鉄道と社名変更した。

1970年代、まだM&Aという言葉が一般的にはなっていなかった頃の買収や傘下入り。じり貧状態を続けた紀州鉄道とその会社を買収した磐梯電鉄不動産、そして、紀州鉄道を含めて磐梯電鉄不動産の経営を担うこととなった鶴屋グループ。廃線となるか存続すべきか瀬戸際に立ち続けた紀州鉄道が経営基盤、拠りどころを求めてガタゴトと揺れ動いていた様子がうかがえる。

「鉄道」の名を借りて得た信頼

紀州鉄道の終着駅「西御坊」(auag0130/写真ac)

1970年代以降、実態としては鉄道ではなくリゾート開発に傾注していった紀州鉄道は、事業の実態をより明快に示すべく「鉄道」の2文字を看板から外す選択があったかもしれない。だが、鶴屋グループ側・紀州鉄道側どちらの意向が強かったのかはわからないが、「鉄道」の2文字を外すことはしなかった。

わずか数キロ、巨大な紀伊半島とその海岸線を走るJR紀勢本線から見れば、まるで“盲腸”のような小さな路線でも、「不動産業にとって『鉄道』の2文字は捨てられない魅力がある。外すべきではない」と考えたのだろう。

関西を見渡しても、阪急不動産(現阪急阪神不動産)や近鉄不動産といった社名は、鉄道会社を想起させるからこそのブランド価値がある。

同様に、鶴屋グループ・紀州鉄道双方にとって、「鉄道」の2文字は「プライスレスな価値」があったのだろう。鶴屋グループにしてみれば、日本で最も短い路線であっても「鉄道」の社名がもたらす信頼感・安心感は確かに大事にしたいところだ。紀州鉄道にしてみれば、そもそもの創業が鉄道である以上、どのように事業転換したとしても「鉄道」の2文字への愛着があったはずである。

紀州鉄道は鶴屋グループの傘下に入って以降、小さな鉄道事業を大事に維持しつつ、リゾート事業をより積極的に展開してきた。そして今日に至る。

文:M&A online編集部