意外な子会社 勁草書房|北陸の老舗百貨店由来の出版社

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大和香林坊店がある金沢・香林坊界隈(akiko / PIXTA)

最近、東大の入学式で「日本は世界一冷たい国」といった祝辞で話題を集めた上野千鶴子氏の『女という快楽』をはじめ、『吉本隆明全著作集』や『構造と力』(浅田彰)、『都市の論理』(羽仁五郎)と聞くと、往年の読書家には懐かしいベストセラーかもしれない。その版元は、現在、東京都文京区に本社を構える勁草書房である。

勁草書房は1948年に東京・銀座7丁目で事業をスタートし、法律の専門書を噛み砕いた「法律普及講座」を刊行。その後、経済分野にも進出し、さらに社会科学・人文科学全般で多くの書籍を刊行。現在は、歴史・地理、教育・心理、哲学・思想・倫理、社会・女性、文学・芸術・ノンフィクション、政治・法律・経済、福祉・医療、自然科学・建築と幅広いジャンルで出版物を発行し、今日にいたる。昨2018年には創業70周年を迎えた老舗出版社の一つである。

百貨よりも本が好きだった社長

その勁草書房は、もともと北陸・金沢の老舗百貨店・大和<8247>の出版部門だった。創業から20年ほどは百貨店・大和の出版部門として東京で活動し、1970年に大和が株式会社勁草書房に出資し、独立させた。現在は東証2部上場企業である大和の連結子会社という位置づけになっている。

なぜ北陸の老舗百貨店が出版部門をもち、その事業部が子会社として独立に至ったのか。勁草書房創業70周年の同社特設サイトで、勁草書房現社長の井村寿人氏は、こう語っている(要約)。 

「父親(先代の勁草書房社長・井村寿二氏)が商売嫌いで、百貨店業をやりたくなくて、どちらかというと研究とか学究とか、学者が好きだったというのもある。当時、大和社長だった祖父の井村徳二もかなりパトロン的というか、文化事業や学者の集まりは好きで、いろんな研究をしている人たちとのつながりや話を聞く機会を大事にしていたようだ。戦後すぐのころ、大学生たちがいろいろな分野の学者を招いて講演会を開く活動があり、金沢では加越能青年文化連盟という団体が講演会などを企画していて、そこの資金援助をしたのが、大和社長だった祖父の徳二だった。学者を招くだけでなく、音楽家も呼んだりして、のちに大和が東京支店をつくるときに、大和の出版部も東京につくった」というのがそもそもの経緯のようだ。

拡大と縮小を繰り返す地方百貨店

では、勁草書房の生みの親、大和とはどんな百貨店なのだろうか。創業は1923年、京都大丸の流れを組む。まず、金沢の繁華街・片町に店舗(宮市大丸)を構え、その後、北陸の富山、福井にも出店攻勢をかけた。株式会社大和と改称したのは1943年。当時は北陸、さらに新潟や大阪などにも出店し、計7店舗を構えるまでに成長した。

大阪証券取引所2部に上場して以降は、多角化経営にも積極的に乗り出す。ホテル、レストラン業、さらにまったく異業種といえる印刷業にも進出した。加えて一時期は、自動車販売業の日産自動車石川販売を設立している。勁草書房が分離・独立したのも、こうした多角化戦略で事業を拡大していた時期だった。

だが、こうした積極的な多角化・多店舗化が2008年のリーマン・ショック以後、裏目に出たのかもしれない。百貨店業界全体の厳しさが増すなか、2010年に大和は長岡店・上越店・新潟店・小松店を相次いで閉店した。象徴的だったのは1986年、金沢本店跡に開設した商業施設「ラブロ片町」を、2014年に閉鎖したことだ。片町再開発の目的もあるが、金沢の商業文化を象徴する施設であっただけに、金沢市民はその閉鎖を惜しんだ。なお、現在はそのラブロ片町の跡地に「片町きらら」という新たな複合商業施設がオープンし、大和の本社も片町きららに所在している。

現在、大和は金沢市に香林坊店、富山県の富山市(富山店)と高岡市(高岡店)の計3店舗を構え、そのほかギフトショップ、サテライトショップ、さらにオンラインショップなどを展開している。やや違和感は感じられるものの、勁草書房の会社情報を示すウェブページには「北陸の産品は大和ホームベージヘ。北陸の味覚を皆様にお届けいたします。お中元・お歳暮にもどうぞ。http://www.daiwa-dp.co.jp/」と、とかく杓子定規な杓子定規な会社情報欄でグループ会社であることを微笑ましく紹介している。

ちなみに、勁草書房の「勁草」とは「勁(つよい)草」のこと。中国の古典『後漢書・王覇伝』の「疾風知勁草」(疾風に勁草を知る)に由来しているという。今日、地方はもちろん首都圏では、時代の流れのなかで出版も百貨店の多くも厳しい局面に立たされている。だが、その時流に安易に流れされることなく、出版はもちろん百貨店も勁草のような逞しさのある経営が求められる。

文:M&A online編集部