4年間で2400社のM&Aや事業承継を支援する岩手銀行とは?

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2019年4月2日、岩手県を地盤とする岩手銀行<8345>が、2022年度末までの4年間で2400社のM&Aや事業承継支援に乗り出す中期経営計画を発表した。年間600社、月間では50社という超ハイペースな事業承継を含むM&Aプランを打ち出した岩手銀行とは、どんな銀行なのか?

破綻した銀行を救済するために設立

岩手殖産銀行に救済された盛岡銀行本店(岩手銀行赤レンガ館ホームページより)

岩手銀行の歴史は地元銀行の破綻から始まる。1931年10月の昭和恐慌のあおりを受けて倒産した盛岡銀行を救済するために岩手県が設立した岩手殖産銀行が前身だ。この時の名残りが「岩手銀行赤レンガ館」。盛岡銀行の本店として、東京駅丸の内駅舎や日本銀行本館を手がけた辰野金吾氏による設計で建設された。後に岩手銀行本店、中ノ橋支店として利用された。

もう一つの名残りが岩手銀行の株主構成。岩手県と同県企業局の持ち株比率は合わせて6.41%と、筆頭株主の日本トラスティ・サービス信託銀行の5.14%を上回っている。これは県による岩手殖産銀行への出資が今も残っているからだ。

県が設立した銀行だけに、その後も1941年8月に陸中銀行、1943年1月には岩手貯蓄銀行と、経営が傾いた地元金融機関を救済合併している。行政が立ち上げた金融機関であることに加えて、こうした救済合併を繰り返してきた歴史から、経営は極めて堅実。バブル期も慎重な融資姿勢を崩さず、バブル崩壊の影響を受けなかった。

そんな「石橋を叩いて渡る」岩手銀行が、なぜ大胆なM&Aビジネスに乗り出すのか。理由は2つある。一つは銀行業界全体の問題である、超低金利時代の生き残りだ。銀行本来の収益源は預金で集めた資金を融資することで得られる「利ざや」。しかし、現在のようなゼロ金利だと、大きな利ざやは得られない。人件費やシステム費などの固定費は、基本的にそのままなので経営は苦しくなる。

岩手銀行は2019年3月1日に青森銀行や秋田銀行、山梨中央銀行と、ブロックチェーンを活用した金融サービスプラットフォーム上で電子交付サービスをスタートした。これまでは自行の取引先に限られていた法人向け帳票をデータのやりとりを、複数の金融機関や企業から受け取って管理できるようになる。金融機関や企業は新規のシステム投資を抑制できるほか、郵送費や郵送作業費の削減も可能になる。

「救済」のDNAが岩手銀行をM&A支援に走らせる

コスト削減と同時に融資以外の業務を拡大しなくてはならない。M&Aによる紹介料や成功報酬を新たな収益源として育てる狙いもある。M&Aは金融との親和性が高く、金融機関が参入しやすい業界なのだ。

もう一つは岩手銀行のDNAともいえる「救済」の精神だ。グローバル競争や経営者の高齢化で最も打撃を受けているのが、地方の中小企業。とはいえ、規模が小さいだけで、国内はもとより海外でも通用する独自の技術やサービスを持つ企業も少なくない。

こうした企業がM&Aによって生き残るだけでなく、さらに大きな飛躍と成長を遂げる可能性も高い。岩手銀行は新たな中期経営計画で、地元企業の後継者不足をはじめとする地域経済の課題解決により収益を拡大する「共通価値の創造」(CSV)を掲げている。

M&Aビジネスに向けて準備は万全か(同社ホームページより)

M&Aは現在、圧倒的な売り手市場だ。「買いたい」企業は多いが、「売っても良い」企業は少ない。地域密着型の地銀であれば「売っても良い」企業を見つけ出したり、廃業を思い止まらせて「売る」ための説得をしたりと、「売り手」の発掘で強みを発揮できる。

ただ、M&Aの「買い手」は県内だけではない。むしろ東京や大阪、名古屋などに買収に積極的な企業が多い。今後は全国にM&Aの営業網を拡大する必要がある。そうなれば岩手銀行と同じくM&Aを新たな収益源と考える都市銀行との競争も厳しいだろう。

岩手銀行が目標とする2400社のM&Aを達成するには、全国に拠点を持つM&A仲介事業者や経営コンサルタントとの協業がカギになりそうだ。

岩手銀行の沿革

主 な 出 来 事
1932年(昭和7年) 岩手殖産銀行設立
1941年(昭和16年) 陸中銀行吸収合併
1943年(昭和18年) 岩手貯蓄銀行吸収合併
1960年(昭和35年) 岩手銀行と行名改称
1962年(昭和37年) 外国為替業務取扱開始
1966年(昭和41年) コンピュータ導入、預金残高1,000億円達成
1973年(昭和48年) 当行株式東京証券取引所第2部上場
1974年(昭和49年) 東京証券取引所第1部に指定、第1次オンラインシステム稼働
1977年(昭和52年) 預金残高5,000億円達成
1979年(昭和54年) 外国部新設
1980年(昭和55年) 第2次オンラインシステム完成
1981年(昭和56年) 証券業務取扱開始、新本社竣工、預金残高1兆円達成
1985年(昭和60年) 公共債ディーリング業務開始
1986年(昭和61年) 公共債フルディーリング開始、債券先物市場への直接参加資格取得
1987年(昭和62年) 地域CDオンライン業務提携開始
1988年(昭和63年) 担保附社債信託業務の営業免許取得
1989年(平成元年) 資本金100億円を突破、コルレス包括承認銀行へ昇格、金融先物取引業開始
1990年(平成2年) CD等の日曜日稼働(サンデーバンキング)開始
1992年(平成4年) 第3次オンラインシステム稼働
1993年(平成5年) 釜石信用金庫の事業譲受、香港駐在員事務所設置
1994年(平成6年) 中国銀行とのコルレス契約締結
1998年(平成10年) CD・ATMの祝日稼働開始、証券投資信託窓口販売業務取扱開始
1999年(平成11年) 信託代理店業務取扱開始
2001年(平成13年) 損害保険代理店業務取扱開始
2002年(平成14年) 生命保険窓口販売業務取扱開始
2003年(平成15年) 新営業店システム全店稼働
2004年(平成16年) 確定拠出年金業務取扱開始、証券仲介業務取扱開始
2005年(平成17年) 勘定系システムをNTTデータ地銀共同センターへ移行
2011年(平成23年) 震災復興計画「いわぎん震災復興プラン ~ 地域社会の再生をめざして ~」策定
2018年(平成30年) 監査等委員会設置会社へ移行


文:M&A online編集部