犬島精錬所跡 わずか10年で潰えた銅鉱石の精錬施設|産業遺産のM&A

alt
瀬戸内に浮かぶ“アートの島”犬島に広がる銅鉱石の精錬施設跡

犬島は岡山市の東部、宝伝港の沖合約3kmにある。面積約0.6平方キロメートル、海岸線の長さ約3.6キロメートルで、岡山市唯一の有人島だ。近年は古民家を改装し、現代の芸術家が家空間そのものを作品化する「家プロジェクト」などのイベントもあり、“アートの島”として注目を集めている。

その犬島のメイン施設は直島福武美術館財団(現福武財団)が運営する犬島精錬所美術館。犬島に残る銅鉱石精錬所の遺構を保存・再生し、2008年にオープンした美術館である。遺産・建築・アート・環境などのキーワードを踏まえた新たな地域創造モデルとして、循環型社会を意識した美術館。この遺産・建築などのキーワードに合致した施設が犬島精錬所跡であり、2007年には経済産業省の近代化産業遺産に指定されている。

地元鉱山の公害対策として建設

犬島には宝伝港から日に数便(便数は犬島精錬所美術館でのイベントや曜日によって変わる)の定期船で渡る。乗船時間は5分ほど。犬島精錬所美術館は、犬島港から南に歩いて数分の距離、精錬所跡はその美術館の建物に活かされるとともに、美術館の東にある沖鼓島という小島を眼前に臨むように広がっている。

犬島精錬所が開かれたのは1909(明治42)年のことだった。現在の倉敷市中庄周辺にあった帯江鉱山という鉱山で産出される銅鉱石の精錬を目的に建設された。

帯江鉱山はもともと地元の人たちが採掘していたが、明治期に三菱合資会社(現三菱マテリアル<5711>)が買収してのち、坂本金弥という地元の実業家・代議士に売却された。1891年のことだ。坂本は積極的に鉱山経営に乗り出したが、活発に採掘していた1900年代初頭には農作物や水質汚染などの公害を引き起こしていた。

帯江鉱山を買収して以降、坂本は1906年に坂本合資会社を設立する。個人から会社組織として鉱山経営を始めた。そして、同時期に問題となっていた公害に対処する目的もあり、坂本合資会社が犬島に建設したのが犬島精錬所であった。

銅価格に翻弄されて……

1913年に坂本は銀行経営の失敗などもあり、帯江鉱山を藤田組(現DOWAホールディングス<5714>)に売却することになる。と同時に犬島精錬所も藤田組に売却し、坂本は鉱山経営から手を引いた。

犬島精錬所はしばらく藤田組が経営していた。銅鉱石の採掘量も伸び、鉱山はもちろん精錬所も規模を拡大していた。ところが拡大基調は一瞬のことで、1910年代前半、まず帯江鉱山の採掘量が徐々に低下していった。

当時は日露戦争から第一次世界大戦に向かう特需に賑わっていた反面、第一次世界大戦が終息を迎える頃になると、銅価格が暴落し始めた。正確な価格は不明だが、1916年にピークを迎えた銅価格は、1919年にピーク時の半値にまで急落したという。

藤田組は1919年に帯江鉱山の操業を停止し、あわせて犬島精錬所の操業も停止した。犬島精錬所は1909年の操業開始からわずか10年で、その役割を終えたことになる。なお、この操業停止には、犬島の島内に藤田組の自山鉱山を持っていなかったことのほか、電解による精錬施設を持たなかったことも影響したとされている。

操業停止から5年後の1924年、犬島精錬所の買収の名乗りを挙げた会社があった。住友合資会社(現在の住友グループ)である。だが、実質的には買収はしたものの再建のめどは立たず、あっけないくらいに1925年に廃止となった。

犬島精錬所は再び操業することはなかったが、最盛期には2000人を超える従業員が働いていた。島民も現在は50人ほどのようだが、最盛期には5000人はいたという。

ベネッセ・福武總一郎氏のもと、美術館として再生

犬島精錬所跡は、遠目には大きな煉瓦づくりの煙突や外壁などが、まるで塹壕のように見える。操業停止後、80年ほどはいわば野ざらしの状態だった。だが、昭和から平成の時代にかけては、映画やテレビドラマのロケ地として利用されたこともあり、遺構ファンなどには人気のマトでもあった。

ところが2001年に、いわばその野ざらしの遺構をベネッセコーポレーション(現ベネッセホールディングス<9783>)創業者の長男、福武總一郎氏が買収した。現在、犬島精錬所は、福武氏が設立し理事長を務める福武財団により、精錬所跡を利用した美術館のほか関連する施設跡も含めて、犬島アートプロジェクトの一部としても再利用されている。

「瀬戸内国際芸術祭」などもあり、近年、瀬戸内の島々には多くの芸術家が集まり、また、観光客も集まる。特に犬島精錬所美術館でイベントが行われる時期は、多くの観光客で賑わいを見せている。その一方、美術館の閉館日には犬島精錬所跡地を遠目に見にくる人もいるが、まるで瀬戸内の凪のようにひっそりとしている。

文:菱田秀則(ライター)