3年以上に及んだコロナ禍はようやく収束の段階を迎えた。その途上で起きたウクライナ戦争は地政学的な緊張激化、資源高、インフレなど新たな混乱を世界経済にもたらせた。不確実性がぬぐえない情勢下、経営のかじ取りは一段と難しさを増している。アフターコロナにおけるM&A市場の見どころや、日本企業の対応のあり方について、米国を本拠とする大手コンサルティング会社「ベイン・アンド・カンパニー」日本法人の大原崇パートナーに聞いた。
ーM&A市場の現況をどうみていますか。
グローバルでは2022年後半から静かな状態が続いている。2022年のM&A金額は3.8兆ドルで、前年より36%減少した。件数はそれほどでないにしろ、10%近く落ち込んだ。今年もここまで傾向はあまり変わっていない。金利動向の不安定さやウクライナ危機後の全体的な景気後退など、昨年後半の失速につながった要因が基本的にまだ払拭されていないことが背景にある。
一方で、再加速に向けた兆候となるようなディール(案件)もここへきて出始めている。米製薬大手のファイザーは3月、がん治療薬の米シージェンを430億ドル(約5.7兆円)で買収すると発表。日本でも5月初めに、アステラス製薬が59億ドル(約8000億円)を投じて、眼科領域の新薬開発に取り組む米アイベリック・バイオを買収することになった。
ーコロナ禍で経済停滞を余儀なくされましたが、この間の日本企業の動きをどう評価していますか。
日本企業のM&Aは一時的に落ち込んだものの、比較的堅調に推移した。その要因の一つとして、プライベートエクイティ(PE)ファンドの活動が活発化したことが見逃せない。PEファンドがかかわる案件数は2022年まで増え続けている。M&A全体の取引額を見ても、2022年は減少に転じたとはいえ、減り幅はグローバルより日本の方がはるかに小さかった。
ただ、(日米の金利差に起因する)昨年来の円安だけは大きなファクターとして作用した。元々、クロスボーダーが日本のM&A市場をけん引してきたが、円安で明確にブレーキがかかった。全体としてM&A意欲が低下しているわけではないが、海外案件についてはアグレッシブさが落ちたといえる。加えて、設備投資などの動きも鈍かった。
結果として、手元キャッシュは過去にない水準まで積み上がっている。これが目下の日本企業の全体像ではないか。
ーこうした中、日本企業はどう行動すべきでしょうか。
しばしば指摘されることだが、日本の上場企業のマルチプル(倍率)は総じて低い。PER(株価収益率)やEV/EBITDA倍率(企業価値倍率)を米国の上場企業と比べると、明らかに違う。資本市場が日本企業に対して成長期待をあまり持っていないということを表している。では、どうすれば成長期待を持ってもらえるか。M&Aを含めた大胆で戦略的に正しい投資をきちんと行っていくことだと思う。日本企業にとって大きな宿題であり、解消されないまま残っている。
ーM&Aについて、中期経営計画で投資枠を設定する企業が随分目立つようになりました。
確かに、今後何カ年でこれだけの金額をM&Aに使うと宣言する例が増えてきた。しかし、実際には枠を使い切ったとか、使い過ぎたという会社よりも、使っていない会社の方がはるかに多い。もちろん、M&Aを通じた持続的な利益成長の道筋についての仮説があって、投資枠という形で数字を出しているのであれば、問題ない。ただ、裏付けがないまま、ひとまず投資枠として押さえているとしたら、非常に危険だ。
仮説のない投資枠なので、何でもいいから使ってしまえ、ということになりかねず、日本企業にありがちな高値づかみにつながり得る。仮説のないM&Aへのコミットメント(約束)は避けるべきだ。
ー事業ポートフォリオの変革は日本企業にとって大きなテーマです。その進捗はどうでしょうか。
日本企業は多業種にまたがるコングロマリット型が非常に多い。結果として、多くが(単体で事業を営む場合に比べ、市場評価が低い)コングロマリット・ディスカウントの状態にある。東証上場企業の半数以上がPBR(株価純資産倍率)1倍割れというのがその証左でもある。
コングロマリット・ディスカウントを是正するための方策の1つが事業ポートフォリオの変革だ。そこではM&Aで新たな資産を追加するだけでなく、当然ながら事業の切り出し・売却が必ず伴う。祖業を含めて、企業にとって痛みを伴う事業売却は2021年あたりまで増加傾向にあったが、それが2022年に一服。作業が終わったというより、一時的に様子見になった感がある。
ー事業の切り出しで期待されるのはPEファンドですね。
2022年は全体としてM&Aディールは静かだったが、その中で注目案件を挙げるなら、オリンパスによる祖業の顕微鏡など科学事業の売却。当該事業が苦境に陥った後に売却するケースは頻繁に見られるが、ポートフォリオ再編を進めるために、儲かっている事業を手放すという日本企業として珍しいケースだった。
買ったのは米投資ファンドのベインキャピタル。取引金額は4200億円超に上った。おそらく当初、事業会社も買い手に名乗りを上げていたと思うが、数千億円規模の案件になると、最終的にはPE同士の戦いになる。大型スピンオフ案件で、PEに買い負けない事業会社はそうそういるものではない。
東芝の非公開化はある意味、象徴的。買い手としてファンドの名前しか出てこなかった。本来なら、どこかの事業会社が買収候補になってもいいし、救済合併の話があってもいいはずだが、そうではなかった。
ーアフターコロナの到来を受け、M&A市場の今後の見どころや、注目セクターは?
4つ挙げたい。ヘルスケア、自動車、小売り、テクノロジーだ。
まずはヘルスケア。なかでもファーマ(製薬)関連は大きな動きが出てくると思う。コロナの特効薬をつくるといった形の有事対応が終わり、製薬各社は本来的な課題に改めて向き合うことになる。ブロックバスターと呼ばれるような稼ぎ頭の大型薬が数年後に続々、特許切れを迎えるのに伴い、新薬候補の獲得が必須。となると、M&Aに向かわざるを得ない。先に、アステラス製薬が8000億円の巨費で米国スタートアップを買収することになったケースもしかりだ。
次に自動車。EV(電気自動車)シフトが加速する中、大きなカギとなっているのがバッテリー(電池)の供給。これをめぐる動きは明らかに増えるだろう。一方、縮小に向かっているガソリン車では生き残りを賭けた合従連衡が表面化すると思われる。
ー小売りもコロナ禍による巣ごもり需要などを経て業界環境が一変しました。
コロナのビフォーアフターでいうと、最も激変したセクターが小売りだ。Eコマースがものすごく伸びた。消費者のモノを買うパターン、振る舞いが様変わりした。大手小売りが猛烈な勢いでEコマース対応を進めてきた結果、業界全体の勢力図が変わってきている。
国内市場においては人口減・少子高齢化などで限られたパイの奪い合いという競争要件も加わる。M&Aを含めた再編がセクターとして起こり得る。
最後はテクノロジーセクター。ここは正直読みづらい。2022年前半まで、テック系のスタートアップは赤字の会社でもすごい値段で買われていた。バリュエーション(企業価値評価)が何10X(何十倍)という世界だったが、それが一気に下がった。ひと頃のように高くてもとにかく買うというのではなく、目利きされるようになるのではないか。
そうした中で、AI(人工知能)関連は高値傾向が続いている数少ないサブセクター。IoT(モノのインターネット)関連も一時ほどではないものの、引き続き注目される。高くても買われるAI関連など一部を除き、今後、買い叩きのようなゲームが起こるかもしれない。
いずれにせよ、M&A市場が再加速に向かう過程で、テック系セクターがターゲットとして出てくるのは間違いない。どういう風な展開になるのか興味深い。
◎大原 崇(おおはら・たかし)さん
東大法卒。パソナ、外資系コンサルティングファームを経て、ベイン・アンド・カンパニーに入社。現在、東京オフィスのパートナー、M&Aプラクティスリーダーを務める。
15年以上にわたり、電機・電子機器、自動車、産業財、消費財、サービスなどの業界の国内外の顧客に対するコンサルティングに従事。全社ポートフォリオ戦略、成長戦略、コスト構造改革、ディール実行や買収後の統合支援などさまざまなテーマのプロジェクトに携わる。東京都出身。
聞き手・文:M&A Online 黒岡博明