M&A(合併・買収)の世界で時々出くわすのが「1円」買収だ。経営者が手塩にかけて育てた企業や事業をたった1円で売買すること自体がにわかに信じ難いが、上場企業がかかわる案件だけで、今年も半年足らずで「1円」が3件、「0円」つまりタダというのも3件ある。どうしてこんなことになるのか?
小学生のお小遣いは1カ月1000円ほどが平均だという。それでは、1000円の範囲でのM&Aはどのくらい行われているのだろうか。
東証の適時開示をもとに調べてみると、年によってバラつきがあるものの、1000円以下のM&A案件が年間10数件発生している(表参照)。世界同時不況の発端となった2008年のリーマンショックから3年は30~20件台に数字が跳ね上がっている。そのなかでも“主役級”が「1円」なのだ。
M&Aのターゲットとなる企業(あるいは特定の事業)が極度の業績不振に陥っているケースでは企業の値段がタダ同然になることは決して珍しくない。その典型例は、赤字続きで純資産額がマイナスになっているような債務超過企業。
親会社など売り手からすれば、他社にタダでも引き取ってもらいたい欲求が働く。会社をたたむよりも、他社に譲渡できれば、従業員の雇用が確保され、再生への道が開けるからだ。
◎M&A:取引金額「1円」などの件数推移(適時開示ベース)
年 | 1円 | 0円 | 1000円以下 |
---|---|---|---|
2020 | 3件 | 3件 | 8件 |
2019 | 7件 | 4件 | 19件 |
2018 | 2件 | ― | 7件 |
2017 | 5件 | 1件 | 9件 |
2016 | 2件 | 1件 | 12件 |
2015 | 9件 | 2件 | 17件 |
2014 | 4件 | 2件 | 13件 |
2013 | 5件 | ― | 8件 |
2012 | 4件 | 4件 | 14件 |
2011 | 8件 | ― | 13件 |
2010 | 7件 | 11件 | 25件 |
2009 | 11件 | 12件 | 34件 |
2008 | 9件 | 11件 | 26件 |
※2020年は6月17日時点
むろん、買収代金が「1円」だからといって、買い手の負担が1円で済むわけではない。M&Aに必須のデューデリジェンス(資産査定)の費用や契約時の弁護士費用、M&A仲介会社への手数料などがかかる。それだけではない。
買収したその会社を立て直すことができなければ、赤字が赤字を呼び、出費は数千万、数億円に膨らむおそれがある。倒産寸前の会社を買うのだから、通常のM&A以上に、経営再建や事業シナジー(相乗効果)獲得へのハードルが高いことを覚悟しなければならない。
「1円」は会計上、備忘価額といわれる。実質的に価値を失った資産などを帳簿に記載する際に用いられ、きりの良い数字として10円でも構わない。しかし、現実には「0円」とする例も多いようだ。
2020年の「1000円」以下をみると、1円、0円が各3件のほか、1000円が1件、もう1件が629円となっている。ジェイホールディングスは投資用不動産の販売・仲介子会社を、パスはブロックチェーン(分散台帳)関連子会社を、それぞれ子会社の経営陣に1円で譲渡した。全国保証はセディナ(名古屋市)から住宅ローン保証事業を1円で買い取った。
他の年では2円、3円、4円というのも見られる。海外案件だと、1ドルといった具合だ。ただ、10円は見当たらなかった。
新型コロナ感染が経済活動を直撃した今年は後半以降、「1円」買収に代表される超々小型M&Aが広がる可能性もある。
気になるのは過去、「1円」買収された企業のその後。10年前の2010年には「1円」買収は7件あったが、5件は現在も事業が存続している。
その一つ、美容サロン展開のサムソン(岐阜市)。当時、サムソンは売上高に匹敵する債務超過を抱え、親会社のアデランス(現アデランスホールディングス)が切り離しを計画。経営陣・従業員による買収で独立したが、今では東京、大阪、愛知など9都府県に「BLANCO」「AZURA」などのブランドで70数店舗を運営し、韓国にも進出している。
東洋冷蔵は、メルシャンの子会社で当時、鯛の養殖を手がけていた南紀串本水産(和歌山県串本町)を1円で買収。2020年1月、今度はその南紀串本のクロマグロ養殖事業を、水産最大手のマルハニチロに譲渡した。
◎2010年に「1円」買収された企業・事業とその後
対象企業・事業 | 買収者 | その後の状況や現況 |
---|---|---|
太陽電池ウエハー事業 | 石井表記 | エクセル(広島市福山市)から事業取得したが、業績悪化で撤退 |
サムソン | 経営陣・従業員 | アデランスから独立。東京、名古屋、岐阜を中心に美容サロン展開 |
アルファ・テクノロジー | 経営陣 | ソフト開発が主力。日本産業ホールディングスから独立し、現在いたる |
南紀串本水産 | 東洋冷蔵 | メルシャンから買収。今年1月に南紀串本水産のクロマグロ事業をマルハニチロに譲渡 |
リッスンジャパン | エムティーアイ | トランスコスモスから買収。2011年に解散し、エムティーアイが音楽配信事業の一部を承継 |
アルファコム | アイケイ | アイケイグループの一員として、コールセンター構築・支援を手がける |
岩国ウッドパワー | ミツウロコ | ミツウロコグループホールディングス傘下でバイオマス発電事業を担う |
文:M&A Online編集部