秋田県内には地方銀行が2つある。1つは県内トップ地銀ともいえる秋田銀行で、もう1つが北都銀行だ。その成り立ちには相互銀行、無尽があり、いわば第二地銀の系譜を継ぐ地銀といえなくはないが、元々の源流をたどれば明治期に創立・開業した私立銀行に行き着く。その点で、全国地方銀行協会に加盟する「地方銀行」である。
北都銀行のスタートは1895(明治28)年5月、県庁所在地の秋田市ではなく県南東部、内陸の横手市に開業した増田銀行にさかのぼる。増田銀行は1922(大正11)年3月、羽後銀行に改称した。
その羽後銀行は、1928年9月に大館銀行と仁賀保銀行という県内の銀行を合併している。また1932年4月には、県内の植田銀行を買収(事業譲受)した。いずれも県庁所在地の周辺都市に本店を置いていた。現在も北都銀行は横手市・にかほ市などの指定金融機関となるなど、県内において秋田市周辺市町村との取引関係も強い。
羽後銀行としての歴史は長く続き、本店を秋田市に移したのは1964年5月のことだった。そして1993年4月、秋田あけぼの銀行と合併し、北都銀行と改称した。
この秋田あけぼの銀行が、無尽から相互銀行、第二地銀という歴史をたどっている。秋田あけぼの銀行の創立は1949年4月、秋田無尽という組織だった。秋田無尽は創立間もない1951年、相互銀行法の施行に伴い、同年10月、相互銀行に転換し、秋田相互銀行と改称している。秋田相互銀行は1989年のいわゆる金融制度改革法施行に伴い、同年4月に普通銀行に転換し、秋田あけぼの銀行となった。
北都銀行はいわば県内の第二地銀を巻き込んで業容を拡大してきた。
北都銀行に大きな転機が訪れたのは2009年10月のことだった。隣県・山形の荘内銀行と経営統合し、仙台市青葉区に本社を置く金融持ち株会社フィデアホールディングス<8713>を設立した。
統合を機に積極的に手がけるようになったのがプロジェクトファイナンスだ。2014年8月には北海道石狩市の風力発電事業に北海道銀行などと融資。2015年3月には秋田港内の工業団地に設置された東北最大級の木質バイオマス発電所にも新生銀行などとと融資した。
このほかにも、北都銀行は丸紅が秋田港と能代港で手掛ける洋上風力発電事業のSPC(特別目的会社)に、秋田銀行などともに参画。2016年5月には三菱商事が地元企業などと共同して会社を設立し、秋田市と北隣の潟上市の沿岸地域で風力発電に取り組んでいる。
プロジェクトファイナンスで攻勢をかける背景には、秋田県の“地の利”がある。日本海側の秋田・山形両県にまたがる、いわゆる出羽国の沿岸は風の強い地域として有名で、風力発電に適した地とされている。また秋田杉に代表されるように、林業・木材加工業も盛んな地だ。
こうした地の利を活かしつつ、かつ日本海の表玄関・臨海工業都市としての発展を目指してきた秋田市。能代市をはじめとする県北地域では、近年、工業誘致も盛んに行われている。県北地域はかつての鉱業のまちから工業の集積地として変貌を遂げている。
この地域振興に一役買ってきたのがフィデアHD傘下の北都銀行だ。北都銀行では荘内銀行とともに、法人・個人を一人の行員がワンストップで対応する「法個一体営業」に取り組んできた。県内中小企業との絆を強め、その融資額を増やしてきた。その甲斐あって、2010年3月にフィデアH Dを通じて受けた100億円の公的資金も、2023年2月に完済している。
北都銀行、フィデアHDの経営理念には、東北を「幸せと希望の産地」としたいという言葉がある。その言葉には、東日本大震災を、さらにこの7月に秋田県内を襲った豪雨災害を乗り越えていく強い思いも盛り込まれている。
文・菱田秀則(ライター)