旧三川電鉄変電所 活かし受け継ぐ3つの会社|産業遺産のM&A

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現在は信号電材が本社を置く旧三川電鉄変電所

炭鉱のまちとして知られる福岡県大牟田市。三井三池炭鉱関連の産業遺産が点在するが、旧三川電鉄発電所はその大牟田市の三池港のそばにある。1909年の建造から100年以上経った今も、現役の建造物として使われている。

外観を見ると実に端正かつ瀟洒である。建造物の面積としては東西に30メートルほど、南北に20メートルほどで、規模がほぼ等しいレンガ造りの平屋建て2棟が整然と並んだ格好をしている。建造された当時は三池炭鉱の専用鉄道線に電力を供給するため、変電所の北側にある四山火力発電所が生んだ交流の電気を直流へ、鉄道用に変換する変電所であった。

東西に長い建物の南に面した長い壁の軒に近い部分には、小さな窓のようなものがいくつも並んでいる。太い電線がつながっていた碍子という絶縁器具がはまっていた跡だという。

三池炭鉱三川坑跡にある電気機関車

三池炭鉱の盛衰とともに

三池炭鉱専用鉄道は1905年に、大牟田市周辺に坑口が点在する三池炭鉱から三池港までを結ぶ路線の全線が完成した。三池炭鉱はその線路に蒸気機関車を走らせ、さらに1907年には電気機関車を購入した。そして、1908年の初めに三池炭鉱の主要坑の1つである万田坑の坑内に向けた専用鉄道を使用するようになった。旧三川電鉄変電所は1909年から始まった専用鉄道の電化にともなう施設だった。

ちなみに、三池炭鉱専用鉄道の全線の電化が実現したのが1923年。1900年代の前半、旧三川電鉄変電所は三池炭鉱専用鉄道の変電所として、フル稼働しただろう。

だが、三池炭鉱は1997年に閉山した。三井の経営から108年、官営時からは124年という長い歴史を刻み、日本炭鉱史において特筆すべき歴史の幕を下ろした。

その頃、三池炭鉱専用鉄道の本線も大部分が廃止された。古い写真を見ると、旧三川電鉄変電所は変電の役目を終え、建物の周辺にも雑草が伸び、建物は生かされず、殺風景な荒城のような雰囲気を醸し出していた。

買収に名乗りを上げた会社

ところが閉山の翌年の1998年年末、解体が間近に迫っていたとされる旧三川電鉄変電所の活用に名乗りを上げた会社があった。株式会社サンデンという地元の電気工事会社。コンセント工事、照明設備工事、ネオン設備工事、交通信号設備工事、避雷針工事などを行っている会社である。

今も跡が残る人道トンネル

サンデンは、もともと三池炭鉱の電気工事を請け負っていたという。旧三川電鉄変電所にも電力に魅せられた同志というべきか、愛着があったはずだ。

そこでサンデンは、当時、旧三川電鉄変電所を所有していた三井鉱山(三井石炭鉱業)から敷地と建物を買い取り、同社の本社屋兼資材置き場として活用しはじめた。

補修や改修箇所は最小限にとどめ、外観のレンガ造りは極力、本来の姿を維持したようだ。そして、サンデンが本社屋として活用を始めた2年後、旧三川電鉄変電所は国の登録文化財に指定された。産業遺産をただ残すのでなく、公営の施設とするのでもなく、民間が買い取って生かすことに意義を見いだしたということができる。

旧三川電鉄変電所のそばには、現在はレンガ枠の面影だけを残す人道トンネルがあった。幅3.6m、高さ3m、長さ14mのトンネルは、通ると三池港にすぐ出ることができ、三池港務所という港湾事務所があった。

この人道トンネルは2009年に解体されたのだが、なぜ、海端の平地に人道トンネルを掘ることができたのか。また、掘る必要があったのか。海辺の土地に高く土盛りし、その上には三池炭鉱専用鉄道が通っていたからだ。その鉄道跡地を生かしつつ、現在は有明海沿岸道路と三池港インターチェンジができている。

サンデンから本社屋を譲り受けた会社

上部の窓には碍子がはまっていた

旧三川電鉄変電所に新たな転機が訪れた。2019年のことだ。サンデンの本社が同じ大牟田市内の別の場所に移ることになったのである。そのとき次の買い手として名乗りを上げたのは信号機を製造する信号電材株式会社。サンデンとは業種が類似しているが、次代を継いだのは国内信号機の約3割のシェアを持つメーカーである。

信号電材も旧三川電鉄変電所を本社事務所として使っている。建物内部を一新しつつも、レンガ造りの外観は極力生かしている。サンデンが重きを置いた文化財・産業遺産の意義を尊重したということだろう。

現在も往時の美しさを存分に見せている旧三川電鉄変電所。大きな窓は上下に開け閉めするタイプで、窓枠は上部がすべてアーチ状に縁取られ、洗練された雰囲気を醸し出している。

経済産業省は日本全国さまざまな遺産を将来に引き継ぐべく近代化遺産に認定しているが、地域・遺産によってはその遺産を今の産業に生かしきていてないケースもあるようだ。その点、旧三川電鉄変電所は、変電所としての役割は終えたものの、建造物は三井石炭鉱業からサンデン、信号電材とその所有者が変わっても、遺産の意義を見いだし、活用され続けている。その姿は、生きた産業遺産といってよいだろう。

文:M&A Online編集部