働き方改革関連法案の審議が大詰めを迎えている。焦点となっているのが「高度プロフェッショナル制度」の是非だ。
法案では平均労働者給与の3倍以上(現時点では年収1075万円以上)で、金融商品の開発・ディーリング、市場アナリスト、事業コンサルタント、研究開発職などに従事する専門職社員を労働時間や休日などの規制対象から外す。そのため「残業代ゼロ法案」とも呼ばれる。企業が残業コストを気にすることなく長時間労働をさせられるため、労働組合などから「過労死を助長する」と批判の的になった。
一方で政府は「副業解禁」も進めている。もともと副業は法律で禁止されているわけではないが、多くの企業が就業規則で正社員の副業を禁止しており、判例でも副業を理由とする解雇を認めてきた。
厚生労働省は2018年1月に副業・兼業について、企業や労働者がどういう事項に留意すべきかをまとめたガイドラインを作成。この中で「希望に応じて幅広く副業・兼業を行える環境を整備することが重要」と、企業側に副業を認めるよう促しており、政府による「副業解禁宣言」といわれている。
政府による「副業解禁」は、働く人たちから概ね好意的に受け止められている。「会社に気をつかわずに副業ができる」「収入増につながる」「余暇の時間で自分が本当にやりたかった仕事ができる」など、ネットでも好意的な意見が多い。そもそも副業は残業と違って会社から強制されるものではないため、一般には「権利が増えた」と受け止められているようだ。
逆に高度プロフェッショナル制度導入に前のめりの経済界は、「副業解禁」については「本業に支障が出かねない」「業務上の守秘義務に抵触するおそれがある」などと後ろ向きだ。経団連会長が「副業の旗振り役をする立場にはない」と発言すると、たちまちネット上で炎上した。「企業が喜ぶ高度プロフェッショナル制度」と「働く人が喜ぶ副業解禁」の図式だが、本当にそうなのか。
高度プロフェッショナル制度は、原則として仕事が片付けば労働時間に関係なく帰宅でき、出勤日も自由。政府は「自分のペースで仕事をしていける働き方を作ってほしいという要望が強い」と主張している。しかし、上場企業のトップは「非常に能力の高い社員が短時間に仕事を終えて成果をあげたとしても、毎日5時間しか働かないとか、月に10日しか出社しないという働き方は、日本の企業風土には合わず容認できない」と断言する。
とはいえ同法案が可決成立すれば、成果を出した社員に「定時までは会社にいろ」「営業日には必ず出勤しろ」と強制できなくなる。露骨に居残りを強制すれば訴訟リスクを負うことにもなりかねない。訴訟に至らなくても、人手不足が深刻な中、短時間で成果を出せるような優秀な人材は「いいとこ取り」する会社に見切りをつけて、さっさと転職するだろう。同法案が対象とする専門職は現状でも転職率が高い。
かつてブームになった「年功序列ではなく、個人の成果に連動して給与を決める」成果主義が、「個人プレーを助長して職場が混乱し、かえって業績が下がった」として下火になったように、高度プロフェッショナル制度も日本企業に定着しない可能性が高そうだ。同法案の審議に参考人として出席した小室淑恵ワーク・ライフバランス社長も「私たちがコンサルティングしている企業で、高度プロフェッショナル制度を導入したいという企業はほとんどない」と証言している。
半面、今は企業が慎重姿勢を崩さない「副業解禁」は、遠からず積極的に導入されるだろう。なぜなら自社が支払う賃金を低く抑えることができるからだ。実は一般労働者の副業が当たり前の米国では「副業で収入が増える」のではなく、「副業しないと生活できない」状況だという。
実は労働力も「市場原理」で動いている。副業禁止が当たり前の労働市場では、正業だけで生活できる賃金を支払わなければ求職者から見向きもされない。一方、副業が自由な労働市場では副業で収入を補填してでも正社員としての雇用を選択する労働者が増え、平均賃金は低く抑えられる。もちろん低賃金での雇用に応じなければ、副業が当たり前になっても正業の賃金水準は維持できるが、労働組合などで組織されていない個々の労働者や、ましてや求職者に「強気の賃金交渉」は難しいだろう。
2004年に人材派遣が製造業で解禁された際に、政府や経済界は「働く人がライフスタイルに合わせて派遣か正社員かを選べるようになる」と主張した。だが、実際には正社員を希望しながら低賃金で不安定な派遣労働を選ばざるを得ない人が多く、その結果として労働市場では平均賃金を引き下げる要因となっている。製造派遣解禁時に「派遣がイヤなら、正社員を選べばいい」との主張も聞かれたが、いま同じことを発言すれば「暴言」とみなされるだろう。副業解禁も同じ道をだどることになりそうだ。
米国では2008年のリーマン・ショックに伴う税収減で、かつては安定していた公立学校教師の給与が削減され、副業をしないと生活できない状況に追い込まれている。こうした大不況が起これば、日本でも「副業収入がないと生活できない」賃金が常態化するだろう。幸いにして大不況が訪れなければ正社員の給与が一気にダウンすることはないだろうが、中・長期的には副業収入を織り込んだ市場原理で平均賃金はジリジリと下がっていく。
仮に法律で「残業代ゼロ」が可能になったとしても、上司が部下に残業を無理強いするのは難しくなる。高度プロフェッショナル制度の対象となる年収1000万円超の社員が在籍する企業のほとんどは大手で、企業イメージには敏感だ。残業強制による過労死や訴訟が起これば、上司が処罰を受けるのは間違いない。自分のクビをかけてまで部下に残業を強制する管理職はそう多くないだろう。
だが、副業となると話は別だ。仮に副業を抱え込んだ末に過労死に至ったとしても、正業の企業も副業の企業も責任は問われない。副業となれば企業としても労働時間の管理や把握のしようがなく、完全に働く人の「自己責任」となる。副業が解禁されれば、企業は社会的信用や訴訟のリスクが高い長時間労働を強いることなく、長期的に賃金を抑制できる外部環境が整う。
経済界が現時点で「副業解禁」に消極的なのは、長期的なメリットに気づいていないか、あるいは「気づいてはいるけど、とぼけている」かのいずれかだ。本当は「副業解禁」こそが、働く人にとって最も「怖い」働き方改革なのである。
文:M&A Online編集部