「公欲」説得力を生む力を持つ|M&Aに効く言志四録

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あなたの欲望は「情識の条理」から生まれたことか、それとも「条理の情識」から生まれたことか(Hybrid Images /iStock)

正論が歪むとき

 M&A(合併、買収)で生まれる説明責任。たとえば従業員に対して説明会を開くとしましょう。そこでなにをどう話すのか。話すべきことはかなりたくさんあります。M&Aに至った経緯、その理由は当然です。相手側はどのような企業であるのかを紹介し、そのほか、思いつくだけでも……。

 雇用は維持されるのか、勤務内容、勤務地、雇用条件、賃金、評価方法、福利厚生といった従業員の一番知りたいことを説明します。

 さらに、社長を含め現経営陣がどうなるのか、現在の取引先との関係はどうなるのか、といった今後の営業で変化するところ、変化しないところを説明していきます。加えて、将来事業がどうなっていくのかビジョンを示す必要もあるでしょう。

 こうした説明をするにしても、その場で語るだけで説得力を高めることは困難です。日頃からしっかりとした言動、姿勢を見せておきたいものです。それがいわば人間力であり、日頃から発せられる言葉の積み重ねが、いざというときに強さを発揮します。

 佐藤一斎の『言志四録』は、人間力を高めていく言葉がたくさんあります。その中から、説得力に結びつく言葉をいくつかあげてみましょう。

事を処(しょ)するに理有りと雖(いえど)も、而(しか)も一点の己れを便(べん)するもの、挟(さしはさ)みて其の内に在れば、則ち理に於て即ち一点の障碍を做(な)して、理も亦(また)暢(の)びず。(『言志録』183 私心を挟むな)

●私心と正論

いくら自分の取る方法が正しいとしても、そこに自分の利益を優先する気持ちがわずかでも含まれていたら、正しいことも通らない場合がある。

 自分の利。だれでも自分の利益は大切です。私心がまったくないわけがないでしょう。ただ、自分の利益だけしか考えていないのなら、そこから出た言葉が、他者に響かないこともあるのです。

 もちろん、ビジネスでは自分にもなにかしらの利益はあるのが当たり前。だけど、それだけでは相手は納得できないのです。いくら論理的に正しいとしても、結論としてはそれしかないのだとしても、そこだけで押し通すことで説得することはできないのです。

 日頃から、自分の利と正論を組み合わせて相手を説得しようとしている態度が目立つと、いざというときにも相手は疑ってかかるはずで、正論のエビデンスがどれほど正確だとしても、感情的な反発を残すことになります。

 私利がメインになると、正論でさえも歪むのです。せっかく「これしかない」という正しい道を提示しても、誰から、どのような人からそれを聞くかによって、受け止め方が変わってしまいます。

 もしも自分にその力がなければ、誰か私心の少ない人から説得をしてもらうのも手ですが、そのときリーダーシップは傷ついてしまう可能性があるので、慎重な対応が必要となります。

より広い見地から語る

 一方、こういう言葉もあります。

私欲は有る可からず。公欲(こうよく)は無かる可からず。公欲無ければ、則ち人を恕(じょ)する能(あた)わず。私欲有れば、則ち物を仁(じん)する能わず。(『言志録』221 公欲と私欲)

●公欲

私欲に走ることはよくない。もっと大きな社会全体の利益になる「公欲」こそ必要だ。公欲から他人への思いやりが生じる。私欲だけでは、人に恵みを与えることはできないからだ。

 人の上に立つ人は、日頃から広い意味で公的な欲求に目を向けていることが多いはずですから、こうした言葉はいかにも当然に思えてしまうでしょう。

「私はみんなのためを思って毎日考えて行動している」と胸を張れる人も大勢いるはずです。

 それでも、説得力には差が出てきます。

 問題は、公欲のあり方にありそうです。自分の思う公欲と、他者があなたに求めているものにズレがあると、公欲は私欲へと近づいてしまいます。「あなたのため」とか「みんなのため」が、本当にそうなのか、という疑問につながってしまうわけです。

 たとえば、ここで「思いやり」が出てきますが、一方的な気持ちの押しつけは、思いやりにはなりません。説得するときも一方的な正論の押しつけでは納得が少ない。そこには相互の関係性が大きく影響します。

 リーダーと部下、経営者と従業員の間の相互で気持ちが通じていることが、公欲を私欲に小さくまとめてしまうことを防ぐはずです。そこに思いやりはあるのか、をぜひ確認したいところです。

 さらに、「仁」が登場します。これは以前『M&Aに効く論語』でもお伝えしたように、ビジネスでいえばビジョン、ミッションに通じる概念です。私欲を小さくし、公欲をメインに経営することは、ビジョン、ミッションを今一度、確認することでもあるのです。

 この点で、どんな小さな組織でもビジョン、ミッションを、しっかりと明確にしておくことは役に立ちます。その上での発言なら公欲が全面に出てくるでしょう。

公か私か。それは心しだい

 公欲とはどのようなものでしょう。そもそも私たちは「私」からはじまっているので、「公」であり続けることなどできるでしょうか。少しでも公欲をメインに考えることができるような人間力を養うことは可能なのでしょうか。

心を霊と為す。其の条理の情識に動く。之を欲という。欲に公私有り。情識の条理に通ずるを公と為し、条理の情識に滞るを私と為す。自ら其の通滞(つうたい)を弁ずる者は、即便(すなわ)ち心の霊なり。(『言志後録』19 公欲と私欲)

●二つの欲

私たちの心は複雑だ。理性もあれば感情もある。感情から生まれるのが欲望だ。欲望には公欲と私欲がある。あなたにどうしても譲れない欲があるとして、それが筋道として正しいものなら、つまり理性と合致すれば公欲となる。筋道として正しいに違いないと鵜呑みにして強行しようとする欲は、理性と反発しあって私欲となる。合致するか反発するかは、複雑な心のなせるわざなのだ。

あのとき、心と欲望が芽生えた(Jorisvo/iStock)

 人の欲望は、生まれながらにして生じているわけではなく、心を持つことから始まるのです。旧約聖書で言えば、イブが禁断の果物を口にしたとき、心が生まれ欲望が生まれます。心が生まれる前の生物としての行動は、生存のために費やされます。生存したいという欲求は、ここで言う欲望ではなく、生きものすべての基本的な行動原理です。

 でも、心があれば、「誰かのために生きる」といった欲望へと変化します。私のため、あなたのため、家族のため、会社のため、お客様のため、社会のため、と私欲からはじまって公欲へと発展していきます。

 つまり、公欲はかなり後天的な欲望なので、それを自分の中心に据えるためには日頃から公欲を意識して考えなければなりません。

 佐藤一斎は、欲望は感情から生まれるとしながらも、「情識の条理」か「条理の情識」かで、公私が分かれるとしています。残念ながら、佐藤一斎は『言志四録』の中で、情識とはなにか、条理とはなにかについてとくに述べていません。

 辞書に照らせば、情識とは強情、頑固。条理は物事の筋道です。頑固さの中にも物事の筋道に合っている欲望は「公」。物事の筋道の中で頑固なままでいることを「私」とするのです。

 私としては、このニュアンスを学ぶことが佐藤一斎の考えに近づくのだろうと思うものの、一般的に語るときにはなんとも言えぬわかりにくさがあるかもしれません。

 最初、私も、公欲は自分を投げ打って達成したい欲で、私欲は自分のために達成したい欲なのかと思っていました。ですが、この言葉にはそうではない意味が含まれています。

 誰にでもどうしても譲れない欲があります。それが筋道として正しいものなら、つまり理性と合致すれば公欲となります。一方、筋道として正しいに違いないと鵜呑みにして強行しようとする欲は私欲となってしまう。つまり、出発点がそもそも違う。

 この考えでいけば、「私はなんの利益も得ないのです。正しいことをやるだけです」と言っていたとしても、自身の中から生まれたどうしても譲れないことが発端にあるわけではなく、ただ筋道として正しいからと信じ込んで主張するのだとすれば、それは私欲になってしまうのです。

 いずれにせよ私たちの心のあり方によって、公と私のどちらに欲望が振れていくかは変わります。

 この言葉は、『言志四録』をバイブルのように愛読したと言われる西郷隆盛が選んだ101条にも含まれているので、みなさんも自分のこととして解釈してみてはいかがでしょうか。

 日々、こうした観点から、自分の言動をチェックしていくことで、より多くの人が納得してくれる可能性が高まるはずです。

 次回からは、西郷隆盛が選んだ101条から、さらにM&A、経営や仕事にも大きく影響する言葉、人間力を磨く言葉を見つけていきましょう。

※漢文、読み下し文の引用、番号と見出しは『言志四録』(全四巻、講談社学術文庫、川上正光訳注)に準拠しています。

文:舛本哲郎(ライター・行政書士)