M&A(合併、買収)では、経営的な利益を追求することが第一ですが、これはいわばマクロな話です。企業組織には、全体的なマクロの視点だけでは解決できないことがたくさんあります。企業組織を作っているのは人。人には心がある。こうしたミクロの部分にも目を向けていく細やかさが求められます。
経営的に大きな利益になることが明らかな案件でも、ミクロに目を向けると、社員や部署によって得失が判断しにくいケース、利益があるようでも微妙なケースも出てくるはずです。数字的な利害だけではない点がM&Aをより難しくしてしまうこともあるのです。
企業組織にはそれぞれ独自の言語があり、独自の文化があります。規模の大小は問いません。自分たちがそこで事業を展開する意味を考えたとき、自然発生的に、あるいは意図的に自分たちの独自の言語や文化を築くことになります。
もしも、当事者の企業のどちらもが、たとえば国際空港のように多言語・多文化に対応しているのなら、M&Aによるミクロの問題は少なくなるでしょう。ですが、単一言語・単一文化の企業が圧倒的に多いはずですから、買収や合併、吸収による人の心に起因した軋轢は生じやすいのです。
前回取り上げたように、肝心の部分は秘密厳守のまま進むM&Aの性質上、多くの当事者・関係者(従業員、得意先など)には「寝耳に水」となりやすい。そこで、感情的な反発に加えて、単一言語・単一文化ゆえの反応(他の言語や文化への拒否反応など)にも注意を向けておきたいものです。
では、注意を向けると行っても、相手をウイルスと見なして抗体を作って、激しく抵抗してしまうといった過剰な防衛反応を未然に防ぐことはできるでしょうか? 人や組織の心理的・感情的なコンフリクトを完全に防ぐことは難しいかもしれませんが、ミクロの利害にも十分に目を行きわたらせて、ソフトランディングを狙うことはできるはず。そのためには「寝耳に水」の人たちに十分な説明をしていくリーダーシップが不可欠です。
「寝耳に水」からの連想ではありませんが「聞く耳を持たない」人たちも出てくることが予想されます。反対、反発ありきの人です。あるいはそうすることで自身のミクロの利益を確保しようとする動きです。ミクロの利益は必ずしもマクロの利益とはなりませんので、個々の事情をすべて汲み取ることは不可能です。いずれにしても、より多くの人たちが納得しやすい方向性を打ち出していきたいものです。
善を責むるは朋友の道なり。只だ須(すべか)らく懇到切至(こんとうせっし)にして以て之に告ぐべし。然らずして、徒らに口舌に資(と)りて、以て責善(せきぜん)の名を博せんとせば、渠(か)れ以て徳と為さず、郤(かえ)って以て仇(あだ)と為(な)さん。益(えき)無きなり。(『言志録』151責善の道)
●よい行い
よい行いをしよう、と勧めあうのが友人として友情を深める方法である。それも、できるだけ丁寧に勧めることである。ただ口先だけで言っても、それは役に立たないばかりか、むしろ相手から誤解されて友情を失うことになる。
佐藤一斎が「言志録」でこう警告しています。最近の日本などの政治的な発言からも感じることではないでしょうか。
「丁寧に説明する」と表明することと、「丁寧な説明」は別物です。そして丁寧かどうかは説明を受けた側が評価するのであって、「これだけ丁寧に説明してもわからない人にはなにを言ってもムダ」と説明側が決めてしまったら、そこで決別となります。納得できなかった側は、友になるどころか敵対しかねません。
こちらはせっかくいい話をしているのに、と憤ったところで、関係をさらに悪化させるようでは丁寧とは言えないのです。
とはいえタイムリミットもある。相手との約束もある。そのほか様々な条件があります。その中で「せっかくこっちは丁寧に説明しているのに、どうしてわかってくれないのか」と感じる場面もあるでしょう。
丁寧さと同時に納得性がなければ、決別してしまう可能性が高くなりますし、相手は不満を抱えたまま、いわば火種がくすぶったまま事態が進行していくことになり、お互いに不安と不信の中で緊張状態が続いてしまうでしょう。
丁寧な説明で納得してもらうためには、論理的な説明が不可欠です。論理的に正しい説明には納得するしかありません。ただし。ここにも心に対する細やかさが求められます。
理(ことわり)到(いた)るの言は、人服(ふく)せざるを得ず。然れども其の言激する所有れば則ち服せず。強うる所あれば則ち服せず。挟(さしはさ)む所有れば則ち服せず。便ずる所有れば則ち服せず。凡そ理到って人服せざれば、君子必ず自ら反(かえ)りみる。我れ先ず服して、而る後に人之れに服す。(『言志録』193心服させる言)
●論理的に正しくても
論理的に正しい発言には従うしかない。ただし、それがあまりにも激しすぎたり、押しつけられたり、特定の考えを刷り込もうとしたり、なんらかの都合がこめられたりすると、誰も従わない。もし、理論的に正しいはずなのに誰も従わないとすれば、大いに反省しなくてはならない。自分が従わないことに、人は従わないのである。
人は論理的に正しいだけでは心服できないことを佐藤一斎は指摘しているのです。面従腹背などといった言葉もあるように、「はいはい、わかりましたよ」的な状況は、日常的にも起こりやすいのですから。ましてM&Aといった一生に一度あるかないかといった大きな事態には、理性的な反応ができなくても仕方のないことでしょう。
丁寧に説明するにあたって、論理的に間違いのない説明をすることは当然です。それでもなお納得してもらえないときは、「なぜわかってくれない!」と怒りに向かうのではなく、「こちらになにか問題があるかもしれない」と反省せよ、と佐藤一斎が諭してくれています。
激しい現実、「寝耳に水」の話に反射的に拒絶しているのなら、ある程度の時間をもたせることで徐々に理解されていく可能性があります。「さすがに激しかったなあ、そりゃそうだな」と相手の気持ちになることが大切です。
押しつけになっていないか。かなり話が進んでから伝えるので結論ありきとなりますから、押しつけになってしまいます。押しつけるにしてもミクロの部分ではなんらかの選択肢も残してあれば、そこを活用して押しつけ感を減らすことも可能でしょう。ミクロの利益を強調するわけです。
またこちらの考えを一方的に押しつけるのはもってのほかですが、M&Aに至った経緯を丁寧に伝えることで、こうした結論に達したことを理解してもらう必要もあります。
経営側の都合(マクロの利益)のみではなく、ミクロの利益について語ることは、納得性を高める上でも有効でしょう。
一方、こうした大きな変化に乗じて、自分の利益拡大を図ろうとする人が出てくる可能性もゼロではありません。丁寧な説明、納得性の高い説明は当然ですが、それでも混乱を招くような態度の人たちに対しては、どう向き合うべきでしょうか。
凡(おおよ)そ、人を諫(いさ)めんと欲するには、唯(た)だ一団の誠意、言(げん)に溢(あふ)るる有るのみ。荀(いやし)くも一忿疾(ふんしつ)の心を挟まば、諫(いさめ)は決して入らじ。(『言志録』70諫言二則その一)
●忠告
人に忠告する時は、ただひたすら誠意を言葉にこめるだけである。もしも、ほんの少しでも怒りや憎しみを抱いていたら、忠告は相手に伝わらないだろう。
混乱をあえて起こそうとする人たちに対して、毅然とした態度で向き合うこと。ただし、「忿疾」(怒り、憎むこと)を持たないこと。いくら論理的に正しくても、そこに怒りの感情や憎しみの感情があると、相手には届かないのです。
人間というのは怒り、憎しみを強く持ってしまうと、理性的ではいられず、損得だけでは納得できません。むしろ利益を度外視した判断や行動に進みがちなのです。
相手の怒り、憎しみを理解するだけではなく、こちらも「このタイミングでどうして」といった怒りや、「信頼していたのに、なぜ」といった憎しみを高めてしまうと、どれほど言葉を費やしても相手には届きません。
これはとても残念なことですが、最後には、従わない、納得しない人たちが出てしまうことも覚悟しなくてはならないでしょう。それがM&A後の経営にとって重要な役割を持つ人材であったときには、大きな損失につながる可能性もあります。
どうすれば損失を最小にし、丁寧な説明で納得を得られるようになるのでしょう。それは突き詰めれば人間力になります。このとき発揮されるのは、日頃から信頼される言動を続ける力です。次回は、その人間力を高めるための言葉を紹介していきましょう。
※漢文、読み下し文の引用、番号と見出しは『言志四録』(全四巻、講談社学術文庫、川上正光訳注)に準拠しています。
文:舛本哲郎(ライター・行政書士)