M&Aで失敗する例の多くは信義の問題がからみます。デューデリジェンスによって明らかになる問題の多くは、解決できる可能性があります。または、ここで大きな問題が出て解決できそうになければ、そもそも先には進みません。
どんな企業にも問題はあります。どんな人にもいい面と悪い面があるように、企業にもいい面と悪い面があります。M&Aによっていい面を保てるか、伸ばすことができるか。悪い面は改善できるか。それがM&Aの重要な課題となります。
課題は克服できることも多いのですが、克服不可能な事態となってしまうケースもあります。それは、信義に関する問題です。当事者による信頼を損ねる行動、経営トップと社内の間での信義、あるいは株主たちの間での信義が崩れたとき、克服できず失敗してしまうのです。
たとえば、うっかり契約成立前に情報が漏れる。意図的に漏らしてしまう。ほぼ本決まりになってから、新たな提案をゴリ押しするなどなど。
デューデリジェンスに必要な資料を用意しない、やたらと時間を引き延ばすといった行為も不信感につながります。出てきた資料に特別な問題が見いだせなかったとしても、約束通りのスケジュールで対応してくれなかったことは、相手に「なにかあるのでは?」と思わせてしまいます。
話が順調に進んでいるときに、突然、いままで求めなかった地位について強く要求してくる例もあります。「この事業を継続するなら、私を顧問にしてくれないとダメだ」といった主張を、交渉の終盤になって持ち出すといったケースです。
すっかり引退すると思っていた人がまとまりそうになったときに惜しくなったり寂しくなったり、あるいは家族か誰かに言われたのかもしれませんが未練が出てきてしまうこともあるのです。
凡そ、事は功(こう)有るに似て功無きこと有り。幣(へい)有るに似て幣無きこと有り。況(いわん)や数年を経て効を見るの事に於てをや。宜(よろ)しく先ず其の終始を熟図(じゅくと)して而(しこう)して後(のち)做(な)し起すべし。然らずんば、功必ず完(まった)からず。或(あるい)は中(なか)ごろに廃して、償(つぐな)う可からざるに至らん。(『言志晩録』122 終わりを考えて仕事を始めよ)
ちょっと長く引用しましたが、次のように解釈できます。
「メリットがあるようでないこともあるよね。デメリットしかないと思われたことでも、メリットがあったりしたりもするし……。何年後かじゃないと本当によかったのかどうか、わからないこともあるから」
そして「だから、なにかを始める前に、どういう結末になるかをよく考えておこう。そうしないと、最後までやり遂げられないかもしれない。途中で放り出したら、取り返しのつかない損失となるかもしれないんだから」
この言葉から、注目すべきメッセージは「熟図せよ」でしょう。
いくら熟図しても、予見できない事態も起こります。
どうすれば失敗を回避できるのでしょうか。そもそも予見できない事態(当事者が考えを変えてしまう、信義に反することをしてしまう)をうまく対処して失敗を回避することなどできないのではないでしょうか?
確かに、失敗の可能性は高まります。でも回避できるチャンスもゼロではありません。
佐藤一斎は、「細部」について次のように記しています。
真に大志(だいし)有る者は、克(よ)く小物(しょうぶつ)を勤め、真に遠慮有る者は、細事を忽(ゆるがせ)にせず。(『言志録』27 大志と遠慮)
これを現代語風にアレンジすれば……。
●細かいことも大事
大きな目的に向かっている人は、小さな仕事でも、熱心に取り組む。ずっと将来のことまで、よく考えることのできる人は、細かいことについてもおろそかにはしない。
細部を重視すること。「神は細部に宿る」などとも言いますが、目的を達成するために細部を疎かにしないことで、防げることも多数あるのです。
M&Aでは、当事者の気持ちの変化も大きく結果を左右します。短期間で成功したM&Aでは、よく「意気投合」といった言葉が使われます。早い段階で当事者同士の気持ちが通じ合えば、スムーズに進むのです。そこには、お互いの気持ちに対する配慮があります。
細部の多くは、よくわからない、はっきり見えないものですから、ついつい疎かになりがち。「相手の心の内側までわかるわけがありません」と言ってしまえばそれまでです。でも、その細部を疎かにはできません。できるだけ知る必要があります。
みなさんも、気が重いときには上司に会いたくない、仕事に行きたくない、といった気持ちになることがあるはず。このように、人の心は、取り出して中身をチェックすることはできないものの、その多くは行動に現れます。
会いたがらない、資料が来ない、時刻が変更になる、ミーティング時間が短縮される、遅刻するなどなど、当事者の気持ちはなにかしら行動となって現われます。熟図には、こうした点まで含まれているのでしょう。細部を大事にして熟図する。これをやり切ることは難しいことです。
熟図する、細部までしっかり注意を払うことで、予防的な対策をし、失敗を減らすことは可能でしょう。それでもダメなものはダメ。どうにもならないことも起こり得ます。人の気持ちだけではなく、時間の経過も大きな障害となる要素です。時間をかけることで、心だけではなく外部要因にも変化が起こり、当初のシナリオが崩れてしまうリスクは増大していきます。
進歩中に退歩を忘れず、故に躓かず。(『言志後録59』 順境にいて逆境を忘れるな)
●光強ければ影もまた
進むときに、退路を考えておけば、つまずくことはない。
なにかを進めるときに、細部まで熟図することは当然のこと。そこには、退路も含まれています。
どこまで進んでいいのか。引き返せないところまで行っていいのか。どうにもならなくなったとき、どうやって引き返すのか。予見できない事態が生じたらどうするのか。とくに、「ダメなものはダメなんだ」と判断するにしても、どういう終わり方にすべきでしょうか。そのとき、みなさんがどのように引くのかを、常に考えながら進んでいかなければなりません。
誰かの気まぐれや気分の変化によって、予期せぬ障害が出現したとき、引き際をきちんと計算しておかなければ傷が深くなる可能性も高まります。
受ける傷にもいろいろありますが、金銭的な問題よりも時間を失うことによる損失は補填が効かないものです。時間は取り戻せません。当事者の誰もが、平等に時間は失います。しかも失った時間の価値は、立場によって違います。細部まで熟図し、引き際まで考えておく。それは、みなさんにとって失敗を最小限にし、時間的損失を可能な限り回避することになるはずです。
※漢文、読み下し文の引用、番号と見出しは『言志四録』(全四巻、講談社学術文庫、川上正光訳注)に準拠しています。
文:舛本哲郎(ライター・行政書士)