佐藤一斎の『言志四録』を紹介してきたこの連載も、今回で最終回となりました。2021年をよりよい年にしていくために、『言志録』から見ていきます。
『言志四録』には、『論語』をはじめさまざまな書からの引用を含め、詳しく語る場面もありますが、その一番の魅力は、心にすっと届くような短い文章でしょう。最終回は1巻目から比較的短い言葉を中心に選んでみました。
常にベストを尽くしたい、正しい判断をしたいと思っていても、なかなかそうはいかない時があります。環境や周囲の人を頼っても簡単ではないでしょう。苦しい状況を打開する一歩として、自分の状態をチェックするのもいいかもしれません。
心下痞塞(しんかひそく)すれば、百慮(ひゃくりょ)皆錯(あやま)る。(『言志録』21心がふさがると百慮あやまる)
●心のつかえ
心のつかえを取り除くことができなければ、どんな考えも計画も、すべて間違ってしまう。
自分の心がいま、晴々としているのか。曇りはないか。翳りはないか。なにかつかえていることはないのか。自問自答する時間も大事です。それを見過ごすと、思わぬ間違いをしてしまうリスクが高くなっていくのです。
今人率(こんじんおおむね)口に多忙を説く。其の為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一二。閑事(かんじ)を料理するもの十に八九、又閑事を認めて以て実事と為す。宣(うべ)なり其の多忙なるや。志有る者誤って此窠(か)、を踏むこと勿なかれ。(『言志録』31実事と閑事)
●本当の仕事
誰もが「忙しい」と言う。でも、本当の仕事をしている者は、十人中一人か二人。してもしなくても影響のないような仕事をしている者が十人中八人とか九人になっていないだろうか。確かに「してもしなくてもいいような仕事」もその人にとっては「大事な仕事」「必要な仕事」となっているのかもしれないが、少なくとも志をもって仕事にあたる者は、そのような穴に落ちてはいけない。
これはなかなか難しい問題です。いまやっている仕事は大事な仕事です。誰もが認め、当人も自覚している。しかし、それが「本当の仕事」なのか。それをどう判定すればいいのでしょうか。自分のやるべきことを明確に理解していれば、その違いがわかるかもしれません。
さらに、これは時間の問題ではないのです。5分か10分だけでも集中すれば、「本当の仕事」をやり遂げられるかもしれない。それなのに、ついつい自分の目指す目的とは外れた仕事に時間を取られていないか。そんなことに気付かせてくれる言葉でしょう。
能く人を容(い)るる者にして、而る後以て人を責むべし。人も亦其の責を受く。人を容るること能わざる者は人を責むること能わず。人も亦其の責を受けず。(『言志録』37容人三則その三)
●受け入れる
相手を受け入れる度量があるからこそ、相手の問題点を指摘できる。相手もそのような指摘を受ければうなずける。相手を受け入れる度量のない人が相手の問題点を指摘したところで、相手はそれを素直に受け止めることはできないだろう。
物事をスムーズに進めていくためには、協力が不可欠です。自分も大事ですが、相手のことをどこまで理解できているのかが問われる場面もあるのです。「私は理解されていない」と思う以前に、他者についてどこまで理解できているのでしょうか。受け入れようとしているのでしょうか。
昨(さく)の非を悔ゆる者は之れ有り、今の過(あやまち)を改むる者は鮮(すく)なし。(『言志録』43昨非と今過)
●いまの過ち
過去にあった間違いを悔いる者はいる。いま起きている過ちを改めようとする者は少ない。
さまざまな判断、決断、行動の場面で、「変えられない」と思い込んでいることはとても多いものです。変えることより変えない選択には、たくさんの理由がつけられます。周囲も「いまさら」と思うでしょう。勇気と信念がなければ、いま起きている過ちを改めることはかなり難しいことなのです。
その結果、「昨の非」を悔いることになってしまうのです。
一気息(きそく)、一笑話も、皆楽(がく)なり。一挙手、一投足も、皆礼なり。(『言志録』78自然の楽と礼)
●自然体
呼吸一つとっても、会話一つとっても、気持ちを和ませる音楽のようなものになる。ちょっとした手の動き、足の運びからも自然な祈りとなり作法となる。
リラックスしたいときに、ことさら非日常を求めるだけではなく、日常の中の細やかなリズムや楽しみを受け止める感性を持ちたいものです。他者に対して示す必要がある礼儀とは別に、自分の中に思いがあれば、自然に行動や仕草にそれが現われるのです。
正しい言動、正しい振る舞いを求められることの多い世の中ですが、それを形式的に身につけることより、自分の中から自然に出てくるものとして身につけることができれば最高ですね。
諺(ことわざ)に云う、禍(わざわい)は下(しも)より起こると。余謂う、是れ国を亡すの言なり。人主をして誤りて之を信ぜしむ可からずと。凡そ禍は皆上(かみ)よりして起こる。其の下より出ずる者と雖(いえど)も、而も亦必ず致す所有り。成湯之誥(せいとうのこう)に曰く、爾(なんじ)、万方(ばんぽう)の罪有るは予(わ)れ一人に在りと。人主たる者は、当(まさ)に此の言を監(かんが)みるべし。(『言志録』102禍は上より起こる)
●禍は上から
「禍は下から」ということわざがある。使用人などを注意せよということなのだろうが、これは国を滅ぼす誤ったことわざである。災い、過ちの多くは上から起こるのである。実際に下の者が間違いをしでかしたとしても、その者に間違いを起こさせたのは上の者が原因となっている。中国古代殷王朝の初代の王とされる湯王(とうおう)の言葉として「あなたたちの地域で犯罪などの問題が起こるのは、すべて王である私の責任だ」とある。上に立つ者は、みなこの言葉を手本にしてほしい。
パワハラ、セクハラなどのハラスメント、責任逃れ、ズルい行動など、ビジネスの世界でも、さまざまな問題は発生します。そのたびに、実行者のみが処罰されることが多いわけですが、その原因は、組織に責任を持っているトップにあるのです。
よくトップ人事については「余人を持って変えがたい」とか「多大な功績(実績)」などを持ち出すことも多いのですが、たいがい精査すると「別の人ならもっと違う業績を上げたのではないか」と思われるような事実があるものです。それは、たとえば過去を踏襲するトップは、革新的な人材の登用をためらうでしょうし、革新的なトップは伝統を重視する人材を近くに置かないでしょうから、当然、結果も変わってくるわけです。
ビジネスにおいてはとくに、「自分ではなかったら、どうなっていたか」をよく考えておく必要があるのではないでしょうか。
『言志録』の中から西郷隆盛「南州手抄言志録」に選ばれている言葉も紹介しておきましょう。
著眼(ちゃくがん)高ければ、則ち理を見て岐(き)せず。(『言志録』88眼を高くつけよ)
●高く遠く
高いところから遠くを見通せば、どの道を選ぶか迷うことはない。
計画性に不可欠なのが、視点です。どの角度から事象を見るかによって、計画も変わっていきます。目の前の問題を解決するための計画であっても、より遠くまで見通せていれば、不必要な目標を削り、ムダな作業を減らせるでしょう。目の前には常に問題があります。それを完全になくす必要があるのか。それとも4割減らせばいいのか。回避するだけでいいのか。それは、遠くが見えていなければわかりません。
己れを喪(うしな)えば斯(ここ)に人を喪う。人を喪えば斯に物を喪う。(『言志録』120己を失えば)
●自分を信じる
自信を失ったとき、人からの信用も失う。人からの信用を失ったとき、手にしたものを失う。
短いですが怖い言葉です。ここで大切なのは自信。過信ではありません。自分を信じていいのか。常に自分に問い続けた者だけが持つことのできる自信。ともすれば「信じてください」とまず信用を得ようとしてしまうものですが、そもそも自信のない人を信じてくれる人はいません。自信には裏付けが必要です。エビデンスも必要です。実績だけではなく、いま目の前で見えている言動も重要です。そのすべてが、一つの志の上に組み立てられているものなら、揺らぐことはないでしょう。
進んでいくためには、自身の内側から崩れないようにしっかり築いていくことが理想的です。
已(や)む可(べ)からざるの勢に動けば、則ち動いて括(くく)られず。枉(ま)ぐ可からざるの途(みち)を履(ふ)めば、則ち履んで危からず。(『言志録』125やむを得ざる勢 その二)
●勢い
十分に考え抜いた末に最善の道と確信したとき、これしかないのだとやむにやまれぬ勢いで進めば、行き詰まることはない。
よく「気持ちで負けるな」と言われます。万全の準備をし、自分たちが進むためにはこれしかないと信じる道を選んだとき、私たちは覚悟を決めることができます。そのような強い気持ちで当たれば、多少の困難にめげることはないはずです。この言葉は、勢いをつけるためには、その前に覚悟が必要であり、覚悟を決めるためには入念な準備が必要だと言っているのです。
長らくお付き合いいただいた「M&Aに効く言志四録」は今回で終わります。佐藤一斎の言葉は、古くさいと映ることもあるでしょうし、説教くさく感じることもあるでしょう。なによりいまの時代には好かれない「上から目線」を感じてしまうわけですが、それでも江戸末期の困難な時代に、これだけの言葉を後の世に残そうとした強い気持ちを感じます。
その一字一句をそのまま受け止めることは、恐らく佐藤一斎も望んではいないはずです。むしろ、こうした言葉から私たちが何を感じ、何を学べるか。そこが大切なところでしょう。
コロナ禍によって世界は一変しました。人の気持ちや行動も大きく変わりました。これからの時代にも、折に触れて佐藤一斎の言葉を過去から照らす光として確認しながら、これからの変化に向かっていきたいものです。
※漢文、読み下し文の引用、番号と見出しは『言志四録』(全四巻、講談社学術文庫、川上正光訳注)に準拠しています。
文:舛本哲郎(ライター・行政書士)